1話 クビになったので掃除屋になります
ミガク・ココロ。
18歳。
伯爵家でメイドとして働いていた。
朝の光が差し込むはずの部屋は、どこか淀んでいた。
薄暗い影が床にまとわりつき、空気が重い。
それでも私は、いつも通り雑巾を絞り、丁寧に磨き上げた――はずだった。
「どうして、掃除を頼む前より後の方が汚れているのよ!」
伯爵夫人の鋭い声が、胸に突き刺さる。
確かに……
私は命じられた通り、この部屋を綺麗にした。
誠心誠意、心を込めて。
なのに。
拭いたはずの床には、いつの間にか泥のような黒い跡が広がり、
払ったはずの埃は、まるで嘲笑うようにふわりと舞い上がる。
さっきまでなかったはずの汚れが、じわじわと増えていく。
「悪いけど……貴女は今日でクビ!」
「そ、そんな……! そこを何とかお願いします……!」
声が震えた。
ここでクビになったら、弟の学費が払えない。
生活だって成り立たない。
必死に頭を下げる私を、伯爵夫人は冷たい目で見下ろした。
「だめよ。こっちも、役に立たないメイドを雇えるほど優しくないわ。」
そのまま踵を返し、ドレスの裾を揺らして去っていく。
残された私は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
どうしよう……。
これでクビになるのは、もう三度目だ。
掃除をして、綺麗になったと思ったら――
なぜかまた汚くなっている。
最初は、誰かがわざと汚しているのかと思った。
でも、汚れるスピードがあまりにも早い。
人の仕業とは思えない。
「ほんとに……どうしよう。
このままじゃ、生活もできないよ……」
ため息がでる。
街の石畳をトボトボと歩く足取りは重い。
伯爵家を追い出されたばかりの私は、行くあてもなくただ歩くしかなかった。
そんなとき――
ふと、視界の端に古びた木製の看板が映った。
「油汚れ、カビ、水垢、穢れもピッカピカ?
《キレイクリーンラボ》?」
……お掃除屋さん、かな?
でも、気になる単語があった。
「穢れ……?」
汚れじゃなくて、穢れ。
まるで、あの部屋で見た“黒い影”を指しているみたいで、胸がざわつく。
さらに目を凝らすと、看板の下に小さく書かれていた。
「――社員募集」
「……えっ、社員募集!?」
思わず声が漏れた。
気づけば足が勝手に動いていて、私はその扉をノックしていた。
「……あのー、こんにちは。看板見てきたんですけど」
おそるおそる扉を開ける。
中は静かで、人の気配がない。
でも、扉は開いていたし……
それに、部屋の中は驚くほど綺麗だった。
椅子もテーブルも、まっすぐ整列していて、
床には一つの埃も落ちていない。
空気まで澄んでいる気がする。
「こんにちは、お客さんかな?」
「わあっ!!」
背後から声がして、思わず飛び上がった。
「ごめんね。驚かせちゃって。
軽食を買いに行ってたんだ。
あれ…貴女は。」
振り返ると、紙袋にパンを抱えた青年が目を丸くして立っていた。
金色の髪が光を受けてきらりと輝き、
水色の瞳は湖みたいに澄んでいる。
……綺麗な人。
いや、綺麗すぎる。
「あの、実は看板を見まして!」
「社員募集のほうか。
じゃあ、早速だけど、こちらにどうぞ。」
柔らかく微笑みながら、彼はソファへ案内してくれた。
腰を下ろすと、ふかふかで思わず沈み込む。
こんな高級そうなソファ、座ったことない。
湯気の立つ紅茶をそっとテーブルに置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
カップを持つ手が震えないように気をつけながら口をつける。
香りがふわりと広がり、緊張が少しだけほどけた。
目の前の彼の紅茶を飲む所作…綺麗。
ただの掃除屋とは思えない。
「まず、ここの責任者のカガヤ・ヒカルです。」
にこりと微笑むその顔は、柔らかいのにどこか底が見えない。
「私は、ミガク・ココロです。よろしくお願いします。」
深く頭を下げると、ヒカルさんは満足そうに頷いた。
「まずは――キレイクリーンラボへようこそ。」
その声は穏やかで、どこか誇らしげだった。
「ここは清掃業社で、依頼のあった家の清掃をします。
伯爵家や公爵家などの屋敷だけでなく、店舗の清掃も行っています。」
「そうなんですね……。
でも、掃除屋って珍しいですよね。
この国だと、だいたいメイドたちがするものかと……」
この国では、身分の高い家ほど多くの使用人を抱えている。
だから、掃除はメイドの仕事――そう思っていた。
ヒカルさんは紅茶を一口飲み、静かに言った。
「清掃にも色々ありますからね。
ただの掃き掃除や床磨きは誰でもできますが……
専門の知識がなければ綺麗にならない場所も多いんです。」
その瞳が、ふっと鋭さを帯びる。
「特に、身分の高い人を招く家にとっては、
家がきちんと整っていること自体が“信用そのもの”なんです。」
「そ、そうなんですね……」
「ええ。
それに――」
ヒカルさんは、意味ありげに微笑んだ。
「この国には、“普通の掃除では落ちない汚れ”が存在しますから。」
その言葉に、胸がドキリと跳ねた。
あの伯爵家の部屋で見た、黒い影のようなもの。
拭いても拭いても増えていく、あの不気味な汚れ。
まさか……。
ヒカルさんは、私の表情を読み取ったように、ゆっくりと続けた。
「それで…何があったか話を聞かせてもらえませんか?」
長い手足を組み替える。




