19話 弟 参上
「ここか……。」
『油汚れ、カビ、水垢、穢れもピッカピカ。
《キレイクリーンラボ》』
穢れって……なに?
汚れじゃないのか?
……それよりも。
姉さん。
いつも自分のことより、俺のことを優先してくれた。
毎月、僕の学費のために仕送りをしてくれている。
その金額が、前よりずっと多くなっていた。
なぜ?
伯爵家に問い合わせたら、数ヶ月前にクビになっていた。
それで、手紙に書かれていた住所を見たら……
ここだった。
よし、入ってみよう。
もし変な仕事なら、僕が止めなければ。
コンコン。
「失礼します。」
扉を開けると、洗剤の匂いがふわりと漂う明るい室内。
その奥から、にこにこと笑う青年が顔を出した。
「あれ、どうしたのー?」
声は柔らかい。
けれど──近くで見ると、目元にうっすら疲れが滲んでいて、年齢は三十手前くらい。
笑顔は可愛いのに、どこか掴みどころがなくて……少しだけ警戒心が走る。
「あの、実は知り合いがここで働いているようで、会いたいんですけれど。」
「お、そうなんですね。
もうすぐここの社長も帰ってくるので、お待ちください。」
にこっと笑う。
その笑顔が嘘っぽいわけじゃない。
ただ、妙に“慣れている”感じがして、余計に身構えてしまう。
促されてソファに座る。
クッションは柔らかいのに、落ち着かない。
……本当に姉さん、ここにいるのか?
胸の奥がざわつく。
この店の雰囲気も、さっきの青年─
どこか普通じゃない気がしてならない。
しばらくすると、扉の向こうから足音が近づいてきた。
「ただいま戻りました。」
「いやー、疲れたわね。」
その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
「あ!姉さん!!」
思わず立ち上がる。
「え? ユウキ??」
姉さんが驚いた顔でこちらをみた。
◇
弟のユウキが姿勢良くソファに座り直す。
「初めまして、ミガク ユウキです。」
丁寧に頭を下げると、ふわふわの茶色の髪が揺れた。
くりっとした目が印象的で、昔から可愛い弟だ。
でも──驚いた。
まさかユウキが、こんな場所まで来るなんて。
「どうして来たの?」
思わず聞くと、ユウキは眉を吊り上げて言った。
「姉さんこそ! 伯爵家クビになったのなんで黙ってたの!?
それに仕送りの金額も増えてるし!
なんか怪しい仕事かと思うじゃん!」
慌てた声に、胸がちくりと痛む。
……そっか。
心配させてたんだ。
「初めまして。僕はここの責任者のカガヤ ヒカルです。よろしくお願いしますね。
えっと、ユウキくんは今何歳なんですか?」
ヒカルさんが穏やかに微笑む。
けれどユウキは、なぜかその笑顔をじっと観察するように見つめていた。
「15歳です。いまベルベット校に通ってます。」
「ベルベット校ってかなり名門じゃない?」
レイさんが口を挟む。
脚を組み、こちらを値踏みするような視線を向けてくる。
「ユウキ、頭良いんですよー!
だから私が学費を稼いでます!
うち貧乏なので!」
「学費高いもんね〜。ココロちゃん、えらーい!」
シュウさんが笑う。
その笑顔は柔らかいのに、どこか“裏”が読めない。
ユウキが警戒するのも無理はない。
「確か奨学金みたいなのもないわよねー?
基本、金持ちのボンボンしか行けないのよね。」
レイさんが軽く言う。
「す、すごいですね……」
ヌメリー先輩が端っこでぼそっと呟く。
「今、ココロさんはここの掃除屋の一員なんですよ。」
ヒカルさんがそう言って微笑む。
その瞬間──
ユウキはヒカルさんをじーっと見つめた。
まるで、
“この人、本当に信用していいのか?”
と問いかけるように。
「掃除屋? 本当に? ただの?」
「うん、そうだよ。」
「うそだ。」
「え?」
私が思わず声を上げる。
ユウキは立ち上がり、名探偵みたいに指を突きつけた。
「だって! 貴方、所作が綺麗すぎます!
それにこのラボ、明らかに工事費が高い!
地下にも絶対なんかある!
“ただの掃除屋”が建てる建物じゃない!」
おお……
弟よ、初対面でそこまで言うか。
「……貴方、貴族の方ですよね?
そんな人がなぜ掃除屋を?」
ヒカルさんは困ったように笑う。
「ちょっと、ユウキ!
それぞれ事情があるんだよ!」
「姉さん、今は大事なことだから!」
ユウキは真剣そのもの。
「だってこの人──
絶対ヤバい人だよ!
ニコニコしてるけど目が笑ってないし!
絶対腹黒!
計算高いし、姉さんをボロ雑巾のようにこき使って使い捨てるよ!」
おい。
ほぼ当たってるけど言うな。
「それに!その人も!」
「え?俺?」
シュウさんが指をさされ、あざとく小首をかしげる。
「可愛い顔してるけど、30手前のおっさんでしょ?
こういうタイプってだいたい酒とタバコ中毒で、
DVとかしそう!!」
わりと当たってるけども!!
シュウさんが「えぇ〜?」と困った笑顔を浮かべる。
「あと!そこの綺麗な人!
この人も危険!
絶対、朝は低血圧で機嫌悪くて、姉さんのこといじめてる!」
「あらま。」
レイさんが脚を組んだまま笑う。
「そして、そこの人!」
ヌメリー先輩を指さすユウキ。
「姉さんの優しさを勘違いしてストーカーしてきそう!!」
やめろ、弟よ。
初対面で全員の急所を刺すな。
「ここには危険な人しかいない!!
だめだよ姉さん!!」
私の手をつかんで、今にも連れ帰ろうとする。
「待って!ユウキ!
私はここでお掃除の仕事をしてるの!!
大変だけどやりがいもあるし、
みんな変わってるけど良い人たちだよ!
変わってるけど……」
「なんで2回言ったのかな?」
ヒカルさんが笑う。
「それにしても……姉弟似てるねー。
発言が失礼。」
「あ、すみません。」
反射的に頭を下げる。
「別に気にしてないよ?
ただね、ユウキくん。」
ヒカルさんは穏やかに微笑んだ。
「僕たちはこの仕事に誇りを持っているんだ。
何も知らずに決めつけるのは良くないよ。」
手を組みながらユウキをみる。
その言い方は優しいのに、妙に説得力がある。
「……確かに。
それは失礼しました。
いくら怪しい人達が多かったとはいえ、
不適切な発言でした。謝ります。」
ユウキは、頭を下げる。
「わあ、素直!」
シュウさんが手を叩く。
「ふふ、君は良い子だね。」
ヒカルさんが微笑む。
「だけど……本当に危険な仕事ではないんですよね?」
その言葉に、私は思わず視線をそらした。
危険……ではあるよな?
穢れは普通に攻撃してくるし。
ヒカルさんも曖昧にニコニコしている。
(この人、絶対ごまかしてる……)
「……わかりました。
僕も見学させてください!!」
「え?」
「納得したら姉さんがここで働くことを認めます。」
「うーん……」
ヒカルさんは困ったように笑いながらも、
「分かりました。
じゃあ、またおいで。」
そう告げた。




