第21話 エピローグ - 小春
小学生の頃。
小春と僕は、いつも一緒だった。
家が近かったのもあって、よく遊んでいたのもあるが、二年生のときには隣の席になった。
休み時間も、放課後も一緒にいたように覚えている。
図書室で本を読んだり、外に出て校庭の桜の木の下で本を読んだり。
僕らはあまり外で走り回って遊ぶようなタイプではなかった。
「ねえ、ゆきや。この話、どう思う?」
「うーん……」
僕には、小春しかいなかった。
ほかのクラスメイトとは、うまく話せなくて、
まるで興味がなかった。
小春がいれば、それで十分だった。
四年生の秋ごろだったか。
放課後の教室で、掃除当番が終わり二人きりになった時だった。
「ねえ、雪也くん」
小春が、いつもと違う顔で僕を見ていた。
「私、もう、雪也くんと一緒にいるの、やめようと思うんだ」
「……え?」
「雪也くん、私以外の人とも、ちゃんと話した方がいいよ」
「何言ってるんだよ。小春がいればいいじゃん」
「でも、それじゃダメなんだよ」
「どうして?」
「……ごめんね」
小春は、そう言って教室を出ていった。
その日から、小春は僕を避けるようになった。
廊下で会っても、目を逸らして、
声をかけても、逃げるように去っていった。
意味が分からなかった。
僕が何か悪いことをしたのか。
小春は、僕が嫌いになったのか。
もう理由を聞くことはできなかった。
小春が、ずっと怖い顔をしていたから。
一週間が過ぎ、
二週間が過ぎた。
そして、ある日の朝。
「谷川さんが、今日で転校することになりました」
担任の言葉を聞いて、僕は思わず顔を上げた。
――谷川。
小春の苗字だ。
「親御さんのお仕事の都合で、急に決まったそうです」
小春の席を見た。
小春はもう学校には来ていなかった。
空っぽだった。
その後のことは、よく覚えていない。
その日、僕は体調が悪くなり、学校を早退した。
小春の家まで走った。
息が苦しくなっても、走り続けた。
小春の家には、引っ越し業者のトラックが停まっていた。
窓にはカーテンがなく、玄関の扉は開いたままだった。
少し離れたところに、お母さんに手を引かれている小春がいた。
「……小春!」
小春の足が止まった。
ゆっくりと、僕の方を振り返った。
あんなに走ってきたのに、その先の言葉が出なかった。
どうして?
行かないでよ‥‥‥!
さよなら。
正直僕にだけは伝えてほしかった。大切だからただ見送りたかった。
小春は、じっと僕を見ていた。
見下しているような。
僕を嫌だと、強く訴えているような目だった。
しばらくして、小春はお母さんに手を引かれ、車に乗った。
小春のお母さんはうつむいたまま、僕を見なかった。
小春も、何も言わなかった。
僕も、小春の名前を呼ぶだけだった。
姿が見えなくなって、僕はその場に立ちすくんでいた。
あの時の小春の目が、ずっと胸の奥に残っている。
それから、誰とも深く関わらなくなった。
中学でも、高校でも。
失うくらいなら、最初から近づかなければいい。
―――自分だけが自分を裏切らない。
そうやって僕はずっと生きてきた。
春の暖かな空気を吸い込み、
僕は少しだけ晴れやかな気持ちで家を出た。
淡い色の花を咲かせた植物を道中で多く見た。
春は新しい気持ちにさせてくれる。
何も変わっていないのかもしれない。
それでも、少しだけ前とは違う気がした。
春から大学生になった。
木々の間から太陽の光が差し込んでいる。
舞い落ちる花びらを眺めながら、僕は桜並木の下を歩いていた。
なんとも、さわやかな朝だ。
ポケットの中で、スマートフォンが震えた。
同じ学科の人からだった。
『講堂の前にいるねー』
入学式の日に知り合って、何度か話しただけの人。
多分これが友達なんだろうけど、仲いいのかただ群れているだけなのかは正直分からない。
『今向かってるわ』
短く返事を送った。
僕を待っている人がいる。
まだ少し、不思議な感じがした。
でも、嫌ではなかった。
今日は三限からだった。
まだ少し時間がある。
春になると、小春を思い出す。
こうやって桜の木の下で一緒に本を読んでいた小春を。
少し強い風が吹いた。
舞い上がった花びらの向こうに、一人の女性が立っていた。
「あっ……」
知らない人だった。
知らないはずなのに。
その女性は、僕の方を見たまま立ち止まっていた。
多分、僕と同じくらいの年齢。
もしかしたら、同じ大学なのかもしれない。
髪を耳にかける仕草。
少しだけ首を傾げて、こちらを見る顔。
あの立ち方を、僕はよく知っている気がした。
顔をよく見る。
小春に似ていた。
メガネを掛けた姿にあまり見覚えはなかった。
それでも、その目を見た瞬間、あの日の記憶が蘇った。
もし、僕を嫌って離れていったのだとしたら、
怖かった。
また、何も聞けないままになるのか。
僕は一度、息を吐いた。
「よし」
小さく声に出して、一歩前へ出た。
「……小春」
女性の目が、大きく開いた。
「雪也……くん?」
その声を聞いた瞬間、胸の奥にあった不安が少しだけ消えた。
「久しぶり」
「うん。久しぶり」
小春は驚いた顔をしたあと、笑った。
笑った時に目を細めるところは、昔と変わっていなかった。
この時間にこの道を歩いているなら、もしかして行き先は同じなのだろうか。
「えっと……この先のキャンパス?」
「えっ、あ、うんそうだよ」
「同じ大学だったんだな」
「私も驚いた。雪也くんに似てる人がいるなって、ずっと見てた」
「じゃあ、声をかけてくれればよかったのに」
「……怖かったから」
小春は、困ったように笑った。
僕は少しだけ笑った。
桜並木のそばにあったベンチに、二人で座った。




