第20話 ぬくもりは雪のなかに
灯籠の道を少し進むと、遠くに人の姿が戻ってきた。
子どもの笑い声。
雪を踏み固める音。
仮設テントの方からは、湯気と一緒に賑わった声が流れてくる。
さっきまで遠くにあった祭りの時間が、少しずつ雪也の周りへ戻ってきた。
誰かが灯籠の前で手を合わせている。
誰かが濡れた手袋を外し、息を吹きかけている。
その間を縫うように、橙色の灯りが雪の上へ続いていた。
雪也は、その中の少しだけ歪んだ灯籠を見つけた。
相変わらず右側だけ雪が厚く、上の方もきれいな丸になっていない。
自分で作った灯籠だ。
中の火は、まだ消えずに揺れている。
「……やっぱり、下手だな」
小さく笑い、灯籠の前にしゃがんだ。
それでも、自分の手で雪を集め、固め、ここに残したものだ。
自分も確かに、この場所に触れた。
そう思うと、その不格好な形まで少しだけ愛おしく見えた。
「見つけたとね」
声をかけられ、雪也は後ろを振り向いた。
この場所に来た時に軍手を貸してくれた年配の女性が立っていた。
片手に小さな盆を持ち、その上に紙コップが二つ並んでいる。
「あんたが作った灯籠」
「分かるんですか」
「右だけ厚かけん、すぐ分かるよ」
女性はそう言って笑った。
雪也も、つられて少し笑った。
「寒かったじゃろ。お茶、飲んでいかんね」
「ありがとうございます」
差し出された紙コップを両手で受け取る。
冷えた指先に熱が伝わり、少しだけ痛かった。
白い湯気に顔を近づけ、一口飲む。
少し濃いお茶だった。
けれど、その温かさが喉から身体の奥へゆっくりと落ちていった。
女性は紙コップを手に取り、灯籠を眺めながらお茶を飲んだ。
「あの……九州の方なんですか」
雪也が尋ねると、女性は目を細めた。
「今はね。もう長いこと向こうに住んどるよ」
「今は?」
女性は、灯籠の向こうに広がる雪原へ目を向けた。
「生まれはここ。この村たい」
雪也は、紙コップを持つ手に少しだけ力を入れた。
「……雪花村の」
「そう。結婚して九州へ行ったとよ。私が村ば出た次の冬に、雪崩のあってね」
女性の声は穏やかだった。
けれど、雪原を眺める横顔には、長い時間と想いが刻まれているように見えた。
雪也は何と言えばよいのか分からなかった。
慰めるには、知らないことが多すぎた。
何も言えずにいると、女性は気にする様子もなく、紙コップに入ったお茶から立つ湯気を見つめた。
「こうして温かい飲み物を配っとると、わたしが村を出た朝のことば思い出すね」
「村を出た朝……ですか」
「あの日も、よう雪の降っとった。心細うしゅうて、荷物を持つ手の冷とうてね」
女性は自分の手を眺めるように、紙コップをゆっくり回した。
「そしたら、白峰神社の巫女さんが私にお茶ば淹れてくれたとよ」
その言葉に、雪也は顔を上げた。
「白峰神社……」
「知っとるとね?」
「……少しだけ」
女性はそれ以上を尋ねなかった。
「静かな子でね。何を話したかは、もう覚えとらん」
女性が懐かしそうに笑う。
「でも、そん湯呑みの熱かったことと、私の姿が見えんようになるまで赤か鳥居のそばに立っとったことは覚えとる」
雪也の脳裏に、艶やかな銀色の髪が浮かんだ。
神社の静けさ。
背中に残った気配。
自分を送り出した、あの声。
――振り返らないでください。
名前を尋ねようと思えば、尋ねられた。
どんな姿だったのか、もっと詳しく聞くこともできた。
けれど、雪也は何も確かめなかった。
紙コップから伝わる熱と、女性の横顔。
それだけでもう十分だった。
「だから、今もこうやってお茶を配っているんですか」
女性は少し驚いたように雪也を見て、それから声を上げて笑った。
「そげん立派な理由じゃなかよ。寒そうにしとる人のおったけん、渡しただけ」
「……そうですか」
「そうよ」
女性は、雪也の灯籠へ目を向けた。
「それに、あんたはずいぶん冷えた顔をしとったからね」
雪也は自分の頬に触れた。
冷たいのか、雪が溶けて濡れているのか、自分では分からなかった。
「でも、今は少しよか顔になったたい」
女性はそう言って、紙コップのお茶を飲み干した。
雪也も、残っていたお茶をゆっくりと飲んだ。
最後の一口は、最初ほど熱くなかった。
それでも、身体の内側には確かなあたたかさが残っていた。
空になった紙コップを女性へ返す。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。灯籠、手伝ってくれてありがとうね」
また、ありがとうと言われた。
雪也は、自分の灯籠をもう一度見た。
歪んだ雪の内側で、橙色の火が静かに揺れている。
雪也は灯籠へ小さく頭を下げた。
それから、年配の女性に向き直る。
「そろそろ帰ります」
「そうね。完全に暗くなる前には帰らんば」
女性は空になった紙コップを盆に重ねた。
「気をつけて帰りなさい」
「はい」
雪也は、今度は迷わずに答えた。
バス停へ向かう道には、いくつもの足跡が続いていた。
来たときには、自分だけがこの場所から取り残されているように思えた。
けれど今は、その足跡の一つ一つは、
「誰かがここへ来て、また日常へ帰っていった跡」に見えた。
遠くから、臨時バスのエンジン音が近づいてくる。
雪也はポケットの中のお守りに触れた。
青い布は冷たかった。
それでも、手のひらには、まだほんの少しだけ熱が残っている。
バスが停まり、扉が開いた。
車内から温かい空気が流れてくる。
雪也は一歩、バスへ乗り込んだ。
僕は、大切な気持ちを見つけた。
ぬくもりは雪のなかに。
山奥の雪花村は僕を呼び寄せ、僕にぬくもりを与えてくれた。
そして僕は、そのあたたかさを真っすぐに受け取れるようになった。
ありがとう、そしてさよなら。
僕は、自分の足で帰路についた。




