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SETSUKA  作者: meiban
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18/19

第18話 雪灯籠まつり

電車を降りると、空気の冷たさが一段変わった。


駅のホームには雪が薄く積もっていた。

屋根の端から落ちる雫が、大きなつららを形成している。

吐いた息はすぐ白くなりマフラーの内側にこもった。


雪也は鞄の持ち手を握り直し、改札へ向かった。


駅舎は小さくどこか古びていた。


改札を出ると、待合室の壁に手書きの案内が貼られている。


『雪灯籠まつり 臨時バスのりば』


その文字を見た瞬間、じんわりとした思いが溢れ出してきた。


雪灯籠。


あの村で聞いた言葉だった。

真白が嬉しそうに話していた灯り。

雪乃さんが、手間をかけるといい顔になると言っていた灯り。


それが今は、慰霊祭の案内として駅の壁に貼られている。


不思議な感じがした。

知っているはずのものが知らない形で目の前にある。


雪也は、しばらくその紙を見つめていた。


待合室には、数人の人がいた。

年配の夫婦。

カメラを首から下げた男性。

小さな花束を抱えた女性。


みんな静かだった。

祭りという言葉から想像する賑やかさはない。

けれど、沈んでいるというわけでもなかった。


故人を……誰かを思い出すために来ている。

そんな空気が、待合室全体に漂っていた。


やがて、駅前に小さなバスが停まった。

行き先表示には『雪花村跡地』と出ている。


雪也は、少し息を止めた。


跡地。


その二文字が思っていたより重かった。


バスに乗り込むと車内は暖房で少し温かかった。

窓ガラスは白く曇っていて、指でなぞれば線が引けそうだった。


雪也は一番後ろに近い席に座り、鞄を膝の上に置いた。


バスが動き出す。


駅前の小さな商店街を抜けると、すぐに景色は山道へ変わっていった。

民家の数が減り、道の両脇には雪をかぶった木々が続く。

枝の先に積もった雪が、時折風に揺れて落ちていく。


車内では誰も大きな声を出さなかった。


エンジンの音。

タイヤが雪を踏む音。

暖房の送風音。


それだけがゆっくりと耳に残る。


雪也は窓の外を見ていた。

どこか見覚えがあるような景色。


一年前、ここを通ったのだろう。


あの時のバスには、老夫婦が乗っていた。

運転手の顔は、ミラー越しに少し見えるのに、どこかぼやけていた。

外はもっと吹雪いていて、何もかもが白く滲んでいた気がする。


同じ道なのかもしれない。

全然違う道なのかもしれない。


考えても分からない。


けれど、少しずつざわついていた。


山道を進むにつれて、乗客はさらに黙り込んでいった。

誰かが膝の上の花束をそっと持ち直す。

紙の擦れる音が小さく響いた。


雪也は、ポケットの中のお守りに触れた。


青い布の感触が、指先にある。

それだけで、少しだけ息がしやすくなった。


バスは、やがてゆっくりと速度を落とした。


「終点、雪花村跡地です」


運転手の声が車内に流れる。


その声は普通だった。

何も不思議なところはない。

顔も、バックミラー越しにはっきり見える。


雪也は一年前の「ここだよ」という声を探していた。


ドアが開く。


冷たい空気が一気に車内へ流れ込んできた。


乗客たちは静かに降りていく。

雪也もそれに続いた。


靴の裏が雪を踏む。

思ったより深く沈んだ。


目の前に広がっていたのは、白い斜面と、少し開けた雪原だった。


建物はない。

道らしい道もない。

遠くに仮設のテントと、木の杭で作られた案内板が立っているだけだった。


『旧雪花村跡地』


その文字を見た瞬間、喉の奥が詰まった。


ここが。


ここが、雪花村だった。


雪也はしばらく動けなかった。


花月館があったはずの辺り。

真白が駆けていった雪道。

あかりが山の方を指差した場所。

美琴が静かに立っていた鳥居。


どこにもない。


目の前にあるのはただの雪原だった。

白くて、冷たくて、何もない場所。


風が吹く。

雪が舞い、視界が少し白くなる。


「……そうか」


声に出したのは、それだけだった。


思っていたより、戸惑うことはなかった。

叫びたくもならなかった。


ただ、体がすぅっと静かに冷えていくような感覚がした。


全部嘘だったのだろうか。

そう思いかけて、雪也は首を振った。


嘘というには、あまりにも心に残っている。


真白が笑った顔。

あかりの雑な励まし方。

囲炉裏の火の匂い。

冷めてもおいしかったおにぎり。


何もない雪原を前にしても、それらは消えなかった。

消えるはずがなかった。


雪也は一歩踏み出した。


足跡が残る。

雪の上に、自分の足跡だけがくっきりとついた。


それを見て少しだけ安心した。


少なくとも、今ここに来ている自分はいる。

ここへ来ようと決めた自分がいる。


そのことだけは今ここが現実だと感じられて、安心した。



===



雪原の端には古い石碑が立っていた。

雪を払うと、刻まれた文字が少し見える。


『大災害慰霊塔』


横には、誰かが供えた花が置かれていた。

小さな線香立て。


故人を偲び、この場所で起きた悲惨な出来事がもう二度と起こらないように祈り、

記憶を分かち合う場である。


雪也は、手を合わせるべきか少し迷った。


自分はこの場所の何を知っているのだろう。

村の歴史も、亡くなった人の名前も、詳しくは知らない。

ここに祈りに来た人たちと同じように振る舞うことが、少しだけ違う気もした。


けれど、何もしないで通り過ぎることはできなかった。


雪也は鞄を足元に置き、ゆっくりと手を合わせた。


目を閉じる。


浮かんできたのは、見知らぬ誰かの顔ではなかった。


真白だった。

あかりだった。

美琴だった。


今の雪也にはこうやって祈る以外に考えられなかった。


しばらくして、目を開ける。

指先が少し冷えていた。


近くでは、祭りの準備が進んでいた。


地元の人たちが雪を固めて灯籠を作っている。

丸く積んだ雪の中をくり抜き、小さな灯りを入れる。

子どもが手袋を濡らしながら雪を運び、年配の男性が「そこは崩れるぞ」と声をかけている。


観光客らしい人たちは、少し離れた場所で写真を撮っていた。

けれど、どこか遠慮がちだった。

ただの祭りではないと誰もが分かっているようだった。


「お兄さん、灯籠作るの手伝っていかんね?」


急に声をかけられて、雪也は顔を上げた。


近くにいた年配の女性が、軍手を差し出していた。

顔には深いしわがある。

けれど、その目は柔らかかった。


「えっと……僕ですか?」

「そう。人手はいくらあっても助かるけんね」


雪也は少し迷ってから、軍手を受け取った。


「……手伝います」


「ありがとね。雪は冷たかけど慣れたら楽しかよ」


方言混じりの言葉がすこしだけありがたかった。

もしかして九州出身の方なんだろうか、僕も、もうすこしくだけて話そうか?

いや、そんなことを考えている場合ではない。


雪也はしゃがみこみ、見よう見まねで雪を集めた。


雪は思ったより重かった。

手袋越しでも、じわじわと冷たさが染み込んでくる。

形を整えようとしても、すぐに崩れる。


「そこ、もう少し水含ませると固まるよ」


近くの男の子が教えてくれた。


「……詳しいな」

「よう来てるから」

「そうか」


男の子は少し得意げに笑って、また雪を運んでいった。


雪也は、言われた通りに雪を固めていく。

不格好だった。

形も少し歪んでいる。


それでも、灯りを入れるための小さな空洞ができた。


年配の女性がそこに小さな灯りを置く。


まだ明るいので、灯りは弱く見えた。

けれど、雪の内側に小さな橙色の光が宿った瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。


「手間をかけると、いい顔になるじゃろ」


年配の女性から覚えのある言葉が聞こえてきた。


灯りは灯りでも、火だけじゃない。

人の手で灯すもの。


雪乃さんは……そう言っていた。


雪也は、自分が作った不格好な灯籠を見つめた。


いい顔かどうかは、正直よく分からない。

でも、そこには確かに人の手の跡があった。


日が傾き始めると、辺りの空気が少しずつ変わっていった。


白かった雪原に、橙色の光が一つずつ増えていく。

灯籠の中に灯りが入り、光が柔らかく滲む。


風は冷たい。

指先も足先も冷えている。

それなのに、景色は少しずつ温かくなっていった。


雪也は灯籠の並ぶ道をゆっくり歩いた。


ここに村があった。

人が暮らしていた。

誰かが朝食を作り、誰かが笑い、誰かが怒り、皆一所懸命に生きていた。


その全部が今はない。


でも、毎年こうして灯りが灯される。

誰かが手を動かし、雪を固め、火を入れる。

消えた場所に期間限定で現れて消えていくかのようだ。


それは、決して悲しみだけではないのだと思った。


忘れないため。

悼むため。

そして、そこに確かに生活があったことをもう一度思い出すため。


雪也はポケットの中のお守りを握った。


真白たちと過ごした日々は何だったのか、まだ分からない。

幻だったのかもしれない。

雪花村が見せた夢だったのかもしれない。


それでも。


あの時間がなかったことにはならない。


少なくとも、自分は変わった。

誰かと関わることを前ほど怖がらなくなった。

怖くても戻せると、思えるようになった。


その変化を、気のせいでしたなんて、言いたくなかった。


灯籠の火が風に揺れる。


雪也は足を止めた。


少し開けた場所だった。

灯籠が円を描くように並び、その中央だけがぽっかりと空いている。

まるで、誰かを待っているような場所だった。


雪也はゆっくりと息を吸った。

冷たい空気が肺に入る。

少し痛い。


「……ありがとう」


声は、思っていたより小さかった。


誰に向けた言葉なのか、自分でもわからない。


真白へ。

あかりへ。

美琴へ。

雪乃さんへ。

雪花村へ。


あの冬そのものへ。


「僕は、たぶん……ここに来なかったら、何も変わらなかった」


言葉にすると、じんわりと沁みてくる。


誰かに近づくのが怖いままだったと思う。

失うくらいなら、最初からいらないって、一人でいいって。

ずっとそう思ってた。


灯籠の火が揺れる。

返事はない。


それでよかった。


「でも、あの村で……」


そこまで言って、言葉が詰まった。


あの村で、何をもらったのだろう。


優しさ。

あたたかな食事。

笑い声。

怒られること。

心配されること。


どれも正しい。

でも、どれか一つでは足りなかった。


――ぬくもりを、もらったんだと思う。


自分の中で考えて、少しだけ恥ずかしくなった。


自分で言うには、ずいぶん真っ直ぐな言葉だった。

昔なら絶対に口にしなかったと思う。


けれど、今はそれ以外の言葉が見つからなかった。

だから、僕はここに来た。


雪也はお守りを握り直す。


会えるかどうかじゃなくて、本当なのかどうかではなくて。

ただ、ありがとうって言いたかった。


その瞬間、風が少しだけ強く吹いた。


灯籠の火が一斉に揺れる。

雪が舞い上がり、視界が白く滲んだ。


雪也は思わず目を細めた。


ポケットの中で、お守りがわずかに温かくなった気がした。


気のせいかもしれない。

手の感覚が冷えすぎて、そう感じただけかもしれない。


それでも、雪也はお守りから手を離せなかった。


雪の向こうで灯籠の光が揺れている。


その橙色の奥に、誰かが立っているような気がした。


「……」


雪也は、息を止めた。

すぐには名前を呼ばなかった。


呼んでしまえば、変わってしまう気がした。

呼ばなければ、何も始まらない気もした。


灯籠の火が、もう一度揺れる。


白い雪の中にやわらかな声が聞こえた気がした。


――雪也さん。


胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。

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