第17話 雪花村の記録
検索結果が表示される。
雪也はしばらく画面を見つめていた。
上から順に並んでいるのは、似た名前の観光地や、雪景色の旅行体験記的な個人ブログばかりだった。
「雪花村」で検索しても、雪也の知る花月館や白峰神社は出てこない。
雪也が知っているあの村とは、どれも違っていた。
花月館。
白峰神社。
雪花峰。
覚えている名前を、一つずつ打ち込んでいく。
「……出ないな」
小さく呟いた声が、部屋の中に落ちた。
暖房はつけているのに、足元はまだ少し冷たい。
窓の外では、細かい雪が街灯に照らされながら降っている。
いつもの自分の部屋からみる雪景色なのに、あの村の雪を思い出させる。
最初は入力の仕方が悪いのだと思った。
「雪花村 旅館」
「雪花村 花月館」
「白峰神社 雪花村」
「雪花峰 登山ガイド」
検索欄には同じような文字が何度も並んだ。
けれど、結果はほとんど変わらない。
あかりや真白……美琴も含めようかと考えたが、あえて入力しなかった。
少しだけ、あれはただの夢だったんじゃないかと思ってしまったからだ。
花月館の宿泊情報は出てこない。
白峰神社の地図も出てこない。
あかりが案内してくれた山の情報も、真白が話していた市場も、何も見つからなかった。
「……そんなことあるかよ」
思わず、少しだけ笑ってしまった。
なんだか、あまりにも現実味がない。
あんなに鮮明に覚えている。
囲炉裏の火がはぜる音も、畳の匂いも、真白が慌てて料理を運んでくれていた姿も。
あかりの声も、美琴の声も。
それなのに画面の中には何もでてこない。
まるで、最初からそんな場所は存在しなかったとでも言うように。
雪也はスマホを机に置き、椅子の背もたれに身体を預けた。
天井の灯りがぼんやりと目に入る。
――やっぱり、夢だったのか。
その言葉が浮かんだ瞬間、すうっと血の気が引いたような感覚になった。
夢。
幻。
どれも、あの冬を片づけるには簡単な言葉だった。
でも、そう呼んでしまうにはあまりにもあの時は温かかった。
雪也は机の上のお守りを手に取った。
青い布は指先に静かに触れる。
縫い目は少し不揃いで、けれど一つ一つが丁寧。
真白が夜更けに、これを作っていた。
「喜んでくれるかな」と小さく呟いていた。
その記憶は、僕とってどうしても夢だと思えなかった。
「……もう少し、調べるか」
雪也は身体を起こした。
検索結果の下の方まで画面を送る。
古い掲示板。
閉鎖されたページの跡。
古い地域資料のPDF。
何度も似たような言葉を押しているうちに、見慣れないページが一つ目に留まった。
『雪灯籠まつり――雪花村慰霊祭』
その小さな説明文の中に、かつて雪花村と呼ばれた集落の名前があった。
雪灯籠。
その言葉だけで白い夜に浮かぶ橙色の灯りがよみがえる。
雪也は、ゆっくりとそのページを開いた。
表示されたのは、地域の広報誌をスキャンしPDF化したような古い記事だった。
だれかが載せたものだろう。
紙面の端は少し黄ばんで見える。
写真は荒く、文字も読みづらい。
けれど、そこには確かに書かれていた。
雪花村。
記録的な大雪。
山腹の雪崩。
村の大部分が壊滅。
生存者は山を下り、近隣地域へ移住。
そして、毎年冬になると村の跡地で雪灯籠を灯し、亡くなった人々を悼む行事が続けられている。
今年から数えると、およそ三十年前の出来事。
雪也は、何度か瞬きをした。
読み間違いではない。
記事は淡々と事実だけを並べていた。
生存者の証言。
どこに村があったのか。
慰霊祭がいつ行われるのか。
今年も雪の状況を見ながら実施予定であること。
そこに、真白の名前はない。
あかりの名前も、美琴の名前もない。
花月館のことも書かれていない。
当然だ。
そう思おうとした。
「三十年前……」
声に出してみる。
それだけで部屋の空気が少し変わっていく。
三十年前に壊滅した村。
そこに、自分は行ったんだ。
花月館に泊まった。
真白と話した。
あかりと歩いた。
美琴に送り出された。
つじつまが合わない。
そんなことは、分かっていた。
最初からおかしなことばかりだった。
時計の文字盤がぼやけていたこと。
村に入ったときの、現実から少しずれたような感覚。
神社で静かに鳴った鈴の音。
もう振り返らないでください、と言った美琴の言葉。
思い返せば、どれも普通ではなかった。
それでも、あの場所が温かかったから。
あの人たちが確かにそこにいたから。
その違和感をどこか見ないふりをして、日常生活のように感じていたのかもしれない。
画面の中の記事は、そんな雪也の感情とは関係なく、ただ事実を表示し続けていた。
雪也は、もう一度記事を読み直した。
雪花村慰霊祭。
雪灯籠まつり。
今週末、開催予定。
場所は、かつて雪花村があった山間部。
最寄り駅から臨時バスが出るらしい。
その日付は今週末を示していた。
ただ西暦まではわからなかった。
もしかしたらもう……。
雪也はスマホを置いた。
部屋の中は静かだった。
暖房の送風音。
外を通る車の音。
どれも現実の音だった。
「……」
何を考えればいいのか、すぐには分からなかった。
あの冬は何だったのか。
本当に会ったのか。
本当に話したのか。
本当に、あのぬくもりは自分のものだったのか。
考えようとすると胸の奥がざわついた。
雪也は青いお守りを握りしめた。
青い布の感触が、手の中にある。
それは、画面の中の冷たい文字に抗うように、そこに残っていた。
――あったことにしたい。
ふと、そんな考えが浮かんだ。
証拠があるから信じるのではなく。
誰かが説明してくれたから納得するのでもなく。
もし実際にはないものだとしても、それを、自分であったことにしたい。
そう思ってしまうくらいには、あの冬は大切だった。
あったことにしたいなら。
大切だったと言うなら。
もう一度、向き合わないといけない。
雪也は椅子から立ち上がった。
クローゼットを開け、旅行用の鞄を引っ張り出す。
着替え。
充電器。
厚手の靴下。
手袋。
マフラー。
あの時に持って行ったものを一つずつ詰めていく。
何度も手を止めた。
本当に行くのか、と自分に問いかける。
行ったところで真白たちに会える保証はない。
むしろ、会えない可能性の方が高い。
自分はおかしいのかもしれない。
雪花村慰霊祭なんて、もうやってないのかもしれない。
そこにあるのは壊滅した村の跡地だけかもしれない。
それでも、行かないままでいる方が嫌だった。
雪也は鞄の口を閉じた。
机の上には、まだスマホの画面がついたままだ。
「雪花村慰霊祭」の文字が、小さく光っている。
その隣には青いお守りがある。
雪也はそれを手に取り、ポケットにしまった。
持っていくというよりは、置いたままにはできなかった。
「……ありがとうくらいは、言わないとな」
声に出すと、少しだけ胸の奥が落ち着いた。
ただ、あの村で受け取ったものを、雪也はなかったことにしたくなかった。
翌朝。
まだ空が青くなる前に、雪也は目を覚ました。
目覚ましが鳴る少し前だった。
部屋の中は冷えていて、布団から出るのに少し勇気がいった。
顔を洗うと、水の冷たさで一気に目が覚めた。
鏡の前でマフラーを巻く。
そこに映る自分の顔をしばらく見つめた。
一年前より、少し落ち着いているようにも見える。
何も変わっていないようにも見える。
どちらでもいいと思った。
怖いままでも行ける。
分からないままでも歩きつづけることができる。
それを、あの村で教わった。
玄関に立ち、靴を履く。
ドアノブに手をかけたところで、一瞬だけ足が止まった。
ポケットの中のお守りに触れる。
青い布越しにわずかな膨らみを感じた。
あの冬の全部が入っているわけではないけれど、
でも、思い出すには十分だった。
「行ってきます」
両親には前日に伝えていたが、まだ寝ているようだった。
それでも、声に出した。
いってらっしゃいと、母からの声が聞こえたような気がする。
ドアを開けると、外には冬の匂いがあった。
冷たくて、澄んでいて、逃げ場のない空気。
雪也はそれを深く吸い込んだ。
駅へ向かう道は、まだ人通りが少なかった。
街灯の下に、端に固まった雪が残っている。
踏むと、小さく音がした。
あの村の雪とは少し違う音
その音を聞きながら、雪也は前へ歩いた。
雪花村へ。
もう一度、あの場所へ向かうために。




