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SETSUKA  作者: meiban
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16/19

第16話 冬の教室

冬の教室は静かだった。


三年生の教室は、もう半分ほどが空席になっていた。

机の上には教科書よりも、寄せ書きや写真、誰かが持ってきた菓子の袋が目立つようになっている。


窓の外の校庭は、薄く雪を被っていた。

部活帰りの生徒が二、三人、白くなったグラウンドの端を歩いている。

その足跡だけが、雪の上に薄く残っていた。


――卒業が近い。


その事実を、雪也はようやく受け止められるようになっていた。


一年前なら、こうやって終わることを考えるだけで胸が重くなったと思う。

区切りがつくことは、また何かを失うことだと決めつけていたからだ。


でも、今は少し違う。


失うことが怖くなくなったわけじゃない。

誰かと離れることが平気になったわけでもない。


ただ、怖いからといって考えないふりをするのは、もうやめたいと思っていた。


「山口、これいる?」


隣の席から声をかけられた。

顔を上げると、クラスメイトが数枚の写真を差し出している。


文化祭の写真だった。

写真の端の方に少し気まずそうな自分がいる。

笑っているのか、困っているのか、よく分からない顔をしていた。


以前なら、こういうものは受け取らなかった。

写真に残ることも、誰かの思い出の中に自分がいることも、正直いえば遠慮したかった。


「……もらっとく」


雪也がそう答えると、相手は少し意外そうに目を丸くした。


「おう……珍しいな」

「別に。捨てるのも悪いだろ」

「そういうことにしとくわ」


軽い調子で笑われ、雪也は写真を受け取った。


胸の奥が少しだけくすぐったかった。

自分がこのような返事をしたことに自分で少し驚いていた。

でも、嫌な感じではない。


放課後になると、教室の中はいっそう騒がしくなった。

卒業式の練習がどうだとか、進路がどうだとか、最後の休みにどこへ行くだとか。

そんな話があちこちから飛び交っている。


雪也は、その輪の中心にはいなかった。

誰かの笑い声を聞くたびに、自分だけが取り残されているような気がしていた。

でも今となっては、その輪の中心にいないことはそれほど苦ではない。



自分がそこに混ざらなくても、誰かが楽しそうに笑っている様子を感じるだけで、

疎外感を感じなくなっていた。


何より、ほとんどが被害妄想である。そう、考えるようになった。


「お前ら、机の中ちゃんと片づけとけよー。卒業前に変なもん残すなよー」


担任の声が飛ぶ。

教室のあちこちから、面倒そうな返事が返った。


雪也も机の中に手を入れ、ノートやプリントを引き出していく。

丸まった配布物。

使いかけの消しゴム。

いつのものか分からないパンの袋。


その奥に、薄い封筒が挟まっていた。


「……なんだこれ」


引き抜いてみると、小学校の頃の写真だった。

進路関係の書類を整理した時、古い封筒ごと鞄に入れていたらしい。

そのまま机の奥へ押し込んで、すっかり忘れていた。


写真の端には幼い自分が写っていて、

その隣に、小さな女の子が立っていた。


――小春。


胸の奥ははっきりとざわついた。


痛みがある。

けれど、目を逸らしたい衝動は起きなかった。


雪也は、しばらくその写真を見つめていた。


嫌われたと思っていた。

見捨てられたと思っていた。

そう信じて、ずっとそのままにしてきた。


あれが本当かどうかは今も分からない。

けれど、分からないまま一方的に決めつけていたのは、たぶん自分の方だ。


「……」


写真を封筒に戻す。

それ以上、今ここで考える必要はないと思った。


逃げたわけではない。

いま、学校で考えることではない。


雪也は封筒を鞄にしまい、鞄の中をよく確かめてみた。


指先に、やわらかい布の感触が触れた。

青い布のお守り。

真白から受け取ったものだった。


雪也は、それをそっと取り出した。

丁寧に縫われた布の端は、少しだけ色あせている。

手のひらに乗せると不思議と温かかった。


――返さなくていいです。


真白の声が、ふと胸の奥によみがえる。


囲炉裏の火。

味噌汁の湯気。

雪の降る縁側。

少し得意げに笑う真白。

ぶっきらぼうに手を差し伸べてきたあかり。

神社の境内で、静かにこちらを見ていた美琴。


思い出そうとしたわけではない。

一つ思い出すと、そこから次々にあの村の景色が浮かんできた。


雪花村。


あの場所で過ごした時間がなければ、今の自分はここにいなかった。

そう思えるくらいには、あの冬は雪也の中に深く残っていた。


「山口?」


声をかけられて、雪也は顔を上げた。


「何ぼーっとしてんの」

「……いや、なんでもない」


反射みたいにそう答えてから、少しだけ言い直した。


「ちょっと、いろいろと思い出してただけ」

「ふーん。卒業前だしな」


相手はそれ以上聞かなかった。

少しありがたかった。


友達……といえるのだろうか。

彼は気が置けない人間だ。


思い返せば、青春を感じるようなことはあまりしてこなかったけど、

それでも、こいつとはまた、またこうやって話せる日が来るといいなと思った。




===



放課後、校舎を出ると冷たい風が吹いた。

マフラーを巻き直し、雪也は空を見上げる。


白い雲の向こうに、あの冬の景色が重なった。


雪の中の古民家。

すりガラス越しの灯り。

「お待ちしておりました」と笑う無邪気な真白の声。


本当にあったのだろうか。


そんな疑問が浮かぶ。


あったかどうかを、誰かに証明してもらいたいわけじゃない。

夢だったのか現実だったのか、今すぐ答えを出したいわけでもない。


あの場所で感じたものは自分の中に残っている。

でも、なるべく考えないようにして日常と向き合ってきた。


振り返らないように……したかったから。

振り返らないように……といわれたから。

それでも、縋りたいと思う瞬間はいくつもあった。


帰り道、駅前の商店街は冬らしい雰囲気に包まれていた。

お店の照明の光

白い息。

焼き芋の甘い匂い。


田舎の駅前はスローライフな雰囲気だ。

メカメカしい都会の喧騒に包まれていない。


何気ない景色に雪也は足を止めてしまった。


湯気を見ると、花月館の朝食を思い出す。

灯りを見ると、雪道に並んだ灯籠を思い出す。

人の声を聞くと、4人で牡丹鍋を食べたことを思い出す。


忘れていたわけじゃない。

ただ、思い出さないようにしていただけだ。


家に帰ると、

部屋はいつも通り静かだった。


暖房をつけても、すぐには空気が温まらない。

机の下に鞄を置き、雪也は椅子に座った。


青いお守りを机の真ん中に置く。


「……雪花村」


声に出すと、胸の奥がすこし締め付けられた。


あの村は、今どうなっているのだろう。

花月館はまだあるのだろうか。

真白は、あかりは、美琴は。


知ろうとすることは、失う可能性を受け入れることでもある。

調べて何も出てこなかったら。

たどり着けなかったら。

もう二度と会えないと分かってしまったら。


その方が怖かった。


でも今は、知らないままにしておくことの方が少しだけ苦しい。


あの冬、床に落ちていたあのチラシは、帰ってきたときにはどこにも見当たらなかった。

確かに荷物として持っていたはずなのに、捨てた覚えもない。

だからこそ、青いお守りだけは、あの冬を示す唯一のものだった。


雪也はスマホを手に取った。

検索欄を開き、ゆっくりと文字を打つ。


雪花村。


指先が、一度止まる。


検索ボタンを押すだけなのに、妙に緊張した。

馬鹿らしいと思う。

ただ名前を調べるだけだ。


それでも、そこには確かに一回の深呼吸があった。


知る前と、知った後。

戻れる場所と、戻れない場所。


雪也は小さく息を吐いた。


「……逃げるほどじゃないだろ」


誰に言うでもなく呟き、検索ボタンに触れる。



画面が切り替わった。



そのわずかな待ち時間の中で、雪也は目をつぶっていた。

青い布は、静かにそこにある。


あの冬のすべてを証明するには、あまりにも小さなもの。

たったそれだけ。


検索結果が表示される。


雪也は、息を止めるようにして画面を見つめた。


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