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SETSUKA  作者: meiban
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14/19

第14話 選ぶ関係

翌朝、

雪也は目を覚ました瞬間、

胸の奥に鈍い重さを感じていた。


重いのに昨日みたいな息苦しさとは少し違う。


壊れる。

戻れる。


その二つの言葉が、胸の奥でまだうまく馴染んでいなかった。


布団から起き上がり、

障子を開ける。


雪はまだ降っていた。

でも、吹雪ではない。


白くて、静かで、

前がまったく見えないわけじゃない。


――進める日だ。


理由はない。

ただ、そう思った。


食堂へ行くと、

真白が湯気の向こうで笑っていた。


「おはようございます!」


いつも通りの声。

いつも通りの笑顔。


それが今日は少しだけ怖かった。


――この笑顔を失うかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥がぎゅっと縮む。


「……おはよう」


声が少しだけ遅れた。


「どうかしました?」


「いや……」


そこで言葉が止まる。


いつもなら、

”なんでもない"で閉じていた。


でも今日はその一言を飲み込んだ。


「……ちょっと、考え事してた」


真白は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせて、

それからやわらかく笑った。


「そっか」


それ以上は聞かれなかった。


その“聞かなさ”は今日は楽だった。


あかりは食堂の隅で腕を組んでいた。

雪也を見るなり小さく息を吐く。


「……今日は、逃げない顔だな」


「……顔で分かるのかよ」


「分かる」


即答だった。


「覚悟したやつの顔をしてる」


雪也はその言葉を否定はしない。


覚悟。

それが何なのかまだうまく言葉にはできない。


でも、逃げないと決めたのは事実だった。



===



昼前、

雪也は神社へ向かった。


理由を考えるのはもうやめた。


散歩でもない。

たまたまでもない。

確かめたい、でも少し違う。


ただ、

行きたいと思った。


それだけだった。


鳥居をくぐる。

空気が変わる。


止まる、というより、静かに整っていく感覚。

境内の中央に美琴が立っていた。


「来ると思っていました」


「……僕も」


互いにそれ以上は言わない。


沈黙が落ちる。


不思議と、

その沈黙からは逃げたくなかった。


雪也は、昨日より少しだけ前へ進んだ。


たった一歩。

でも、それだけで十分だった。


「……僕さ」


言葉が、喉の奥で一度止まる。


「また同じことが起きるかもしれないって、ずっと思ってる」


美琴は動かない。


「近づいて、怖くなって、自分から離して」


雪也は少しだけ苦笑した。


「たぶん、またやる」


「はい」


短い返事。


否定されないことが、

かえってごまかしを許してくれなかった。

わかってるんだろう。


「……怖いのは、変わらない」


「はい」


「失うかもしれないし、

そのあと、またぐちゃぐちゃになるかもしれない」


雪也は拳を握った。


「それでも」


そこで言葉が止まる。


うまく言えない。

でも、もう誤魔化したくなかった。


「……なかったことには、したくない」



美琴の瞳がわずかに揺れた。


雪也は続ける。


「昨日、切ろうとした」


「はい」


「でも、終わらなかった」


「はい」


「それで、分かった」


雪也は視線を落とした。


「僕、もう……大事じゃないふりは、たぶん無理だ」


雪が静かに落ちる。


言葉は綺麗じゃない。

でも、嘘ではなかった。

正直で素直な言葉が零れ落ちる。


「失うのは怖い」


「はい」


「また、逃げたくなるかもしれない」


「はい」


「でも」


でも。


雪也は、ゆっくり顔を上げた。


「それでも、切らない」


その言葉は、思っていたより静かに出た。


叫ぶみたいな決意じゃない。

ただ、もう引っ込められない言葉だった。


美琴はしばらく黙っていた。


境内の静けさが、

少しだけ張りつめる。


「……それが、あなたの選択ですか?」


「……ああ」


「楽な道ではありません」


「分かってる」


「続けるたびに怖くなります」


「……うん」


「それでも?」


雪也は、少しだけ笑った。


「それでも、僕はそうしたい。」


今度は迷わず言えた。


美琴は、静かに頷いた。


「あなたは、失うかもしれない場所に立つことを選びました」


雪也は返事をしなかった。


胸の奥にあるのは、

安心じゃない。


怖さだ。

たぶん、これからも消えない。


でも、その怖さごと抱えたまま立っていたいと思った。

それが前と違うことは自分でも分かった。


「……僕、また怖くなる」


「はい」


「また、離れたくなるかもしれない」


「はい」


「そのときは」


雪也は少し言葉を探した。


美琴は、静かに待っている。


「……また、ここに来る」


美琴は、ほんの少しだけ目を細めた。


「はい」


それだけだった。

でも、それで十分だった。


しばらく、どちらも何も言わなかった。


雪が降る。

白さが境内を埋めていく。


それでも、もう立ち止まっているだけの感覚ではなかった。


怖いまま前に立っている。


そんな感覚だけが静かにそこにあった。



===



その夜。


雪也は、なかなか眠れなかった。


今日の言葉が胸の奥で何度も反芻される。


「切らない」


自分で言ったくせに、まだ少し信じきれていない。

でも嘘ではなかった。


喉が渇いて雪也は部屋を出た。

廊下は静かで外の雪明かりだけが薄く差している。


そのとき、真白の部屋から小さな灯りが漏れているのに気づいた。


――まだ起きてるのか。


ふと、中から声が聞こえた。


「……うーん、この縫い方で大丈夫かな」


独り言だった。

雪也は足を止める。


紙が擦れる音。

糸を引くかすかな音。


「雪也さん、喜んでくれるかな……」


その言葉に、胸の奥が小さく鳴った。


それ以上聞くのは、

いけない気がした。


雪也はそっとその場を離れる。


部屋へ戻って、しばらく天井を見つめた。


――喜んでくれるかな、か。


その言葉が、

頭の中で繰り返される。


嬉しい。

でも、少し怖い。


期待されることが怖いんじゃない。


その期待にもう応えたいと思ってしまうことが、

少し怖かった。


それでも目を閉じたとき、

昨日までみたいな息苦しさはなかった。


雪也は布団の中で小さく息を吐いた。


怖いままでいい。

そう思えたのは。



ーーーはじめてだった。




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