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SETSUKA  作者: meiban
10/11

第10話 美琴

どうも、meibanです。

最近学生の時ぶりに国語辞典を買いました。

種類はたくさんあったのですが、一番読みやすそうなレイアウトの明鏡国語辞典にしました。

久しぶりに読んでみると、何も考えずに使っていた言葉の意味が実は間違っていたとか……いろいろな言葉の意味を知れて、とても勉強になりますね。


薪がはぜる音が、朝の静けさに小さく混じっている。


布団の中で目を開けたまま、雪也はしばらく天井を見ていた。

廊下の向こうから味噌汁の匂いがじんわりと流れてくる。


花月館が、少しずつ朝を迎えている。


まだ、幾分か眠い。

けれど、もう眠れそうにはなかった。


逃げるようにしてきたこの村を、いつかは出立しないといけない。

そう思うようになっていた。


「雪也さーん!起きてますかー!」


真白の声だ。

いつもより少し高い。たぶん張り切っている。


「もうすぐ朝ご飯できますから、ちゃんと来てくださいね!」


「……起きてる」


返事はしたが、すぐに布団から出る気にはならなかった。

昨日までの出来事が、思い出のシーンが、しぶとく頭に残っている。

天井の木目を眺めたまま、しばらく動けずにいた。


――ここに来てから、朝が怖くない。


その事実が、胸の奥をかすかにくすぐった。

でも同時に、いつもの調子が狂うような。


やはり期待なんて持たない方がいい。

失うときに痛むから。


「本当に起きてますかー!?」


また真白の声。


「返事だけして二度寝するパターン、もう何回も見破ってますよー!?」


「……寝てねえー!」


「昨日もそう言ってましたー!」


足音が近づいてくる。

廊下を走っている。


――まずい。


雪也は慌てて布団から飛び出した。


障子が、バンと開いた。


「ほらー!やっぱりー!!」


真白が勝ち誇った顔で目の前に立っている。

両手を腰に当てて、完全に決めポーズだ。


「……ああ、今、起きたところだ」


「絶対嘘です!髪の毛、鳥の巣みたいになってます!」


「……ほっとけ」


「ほっときません!朝ごはん冷めちゃいます!」


真白はずかずかと部屋に入ってきて、

雪也の袖を掴んだ。

いつの間にか日常のように感じられる。いつもの朝。


だがここは旅館である。

家族の朝の寸劇ではないのである。


「ちょっ……!」


「早く早くー!」


「引っ張んな!」


「雪也さん、重いです!」


「お前が勝手に引っ張ってるんだろ!」


廊下を引きずられながら、

雪也は小さく息を吐いた。


――こういうの、慣れてきてる。


雪花村での暮らしが日常に感じられるようになり、雪也は少し不安になった。

でも、その気持ちには、わずかに笑いが混じっている。


食堂に着くと、

あかりがすでに座っていた。


野菜たっぷりの味噌汁を飲みながら、

じっとこちらを見ている。


「……何」


「寝起きの顔、ひどいね」


「ほっとけ」


「その“ほっとけ”、三日連続で聞いてるよ」


あかりは箸を置いた。


「昨日と同じ顔だろ」


「じゃあ今日もいつもと同じ雪也だな」


その言葉に、

胸の奥で何かつっかえるものを感じた。


雪也は黙って席に着き、

真白が嬉しそうにお椀を並べる。


「今日はですね!味噌汁、失敗してません!」


「……それ毎回言ってない?」


「毎回、大事なことなんです!」


真白は胸を張った。

雪也は思い出したように神妙な顔つきで伝える。


「昨日しょっぱかったぞ」


「えっ」


真白の動きが、ぴたりと止まる。


「……あれ、気づいてました?」


「全員気づいてたと思うけど」


真白はとぼけるような素振り。

あかりが即座に言った。


「私、海かと思った」


「そ、そんな……」


真白は、がくりと膝をついた。

たしかに昨日の味噌汁は、とても潮の風味を感じられた。

わかめの塩分なのだろうか。


でも今日のはだしがほんのり効いていて、おいしい。

確かに、おいしい。


「私、もう料理の才能ないのかも……」


「いや、そこまで落ち込むな」


雪也は思わず苦笑した。


「だって……あかりちゃんにまで……」


「今日のはすげえおいしいぞ。なああかり…?」


「うん!昨日とはだいぶ違って、おいしい、ね!」


あかりはまた味噌汁を飲んだ。

真白はゆっくり顔を上げる。


「……雪也さん、今、笑いましたね?」


「笑ってない」


「笑いました! 私、見ました!」


真白は急に元気を取り戻した。


「じゃあ今日の味噌汁、雪也さんには二杯目サービスします!」


「いや、一杯でいい」


「遠慮しないでください!」


「遠慮してない」


雪也は小さくため息をつき、進んで食していく。

真白は嬉しそうに調理場へ戻っていった。


「……ねえあのさ」


あかりが少し声を低くした。


「なんか最近顔つきが変わったね」


「……は?」


「なんというか、前より積極的になったというか」


「……まあな」


あかりは箸でご飯をつまみながら言う。


「前は『誰とも関わりたくねぇ』みたいな顔してた、

 でも今は『本当は関わりたくないけど、ちょっと関わってる』みたいな顔」


「……そうか」


あかりは立ち上がった。


「まあ、その顔の方が見てて楽だわ」


それだけ言って、

食器を下げに行った。


雪也は、自分の頬に触れた。


――変わった?


雪花村に来てもう1週間は過ぎているだろうか。

逃げ出すように家を出て、この村に来てすっかりなじんでしまった。


ここに来てからの出来事が、まるでスライドショーのように頭をよぎっていく。


あかりがそう言うなら、たぶん自分の中の何かが変わっている。


それが嬉しいのか、

それとも怖いのか。


ほんの少しだけど、嫌な予感がした。

この場所から戻れなくなりそうな気がしていた。


落ち着く日常に甘えてはいけない。

そう分かっているのに、雪也は唇を嚙みしめ逡巡していた。


冷え切ったリビング。

誰もいない食卓。

帰りたいと願うような場所ではなかったはずだ。


それなのに今、唯一の家族のことをたまらなく恋しく思っている。


それが、なんだか少しだけ……変だなと。

そう、感じた。




===




朝食を終えると、

雪也は外に出た。


冷たい空気が一気に流れ込んでくる。

肺が縮む。

頭が少しだけ冴えた。


雪は音もなく降っている。

村は静かで、どこか息を潜めているようだった。


――ここは、落ち着く。


見慣れた風景に打たれてしまった自分に、

雪也は小さく舌打ちした。


落ち着く場所は長くいる場所じゃない。

そうやって今まで生きてきた。


帰るべきなのだろうか。


なのに、

足は自然と神社の方へ向かっていた。


「……何やってんだろ」


誰に言うでもなく、

足は止まらなかった。


鳥居の前に立つと、空気が一段冷たくなる。

前にも来たことがある不思議な場所だ。


一歩、また一歩、

足を踏み入れた瞬間、風が止んだ。


村の静けさとは違う。

空気の層が一枚だけ増えたような静けさ。


「……また、か」


小さく呟くと、

自分の声がやけに響いた。


境内の奥へゆっくりと進むと足音が雪に吸い込まれていく。

そのときだった。



――カラン。



はっきり聞こえたのに、

どこから鳴ったのか分からない。


視線を上げる。

そこには、巫女装束を纏った少女が立っていた。


雪の中に最初からそこにいたみたいに、

銀色の髪が静かに揺れている。


雪花村に来たばっかりのころに、

真白に連れられてここへ来たときに境内を掃いていた少女。


――美琴だ。


驚きはなかった。

花月館でも何度か会い、先日もみんなでご飯を食べた。

何より、この前も丘の上で天体観測(という名の観光)をしたばかりだ。


太陽の光を受けて銀髪を輝かせる、

美琴の艶やかさにみほれてしまう。


「おはようございます」


声は静かだった。


「……あ、お、おはよう。元気?」


集中していたその時、突然の挨拶に驚き入る。

ふと、あの言葉が頭に浮かんだ。


――あなたは来るべき人だったのでしょう。


その一言だけ頭から妙に離れない。


改めて二人きりでこうやって会話をするのは久しぶりだった。

というより、美琴と面と向かって会話をするのは、

"避けてきた"ような気がする。


美琴は境内を見回すように視線を巡らせ、

静かに言った。


「今日は、少し長く留まっていますね」


「……何が?」


「あなたの足が」


雪也は思わず足元を見た。


雪の上にくっきりと足跡が残っている。

自分のものしかないはずなのに、

なぜかひどく目についた。


「……意味、分からないな」


「分からなくていいですよ」


それだけ言って、

美琴は空を見上げた。


少し間が空く。

雪也は言い返す言葉を見つけられないまま、ただ立っていた。


「……雪、冷たいですね」


「え?」


急に話が変わった。


美琴は手のひらを空へ向け、そこに雪がそっと落ちる。


「最近、外の雪に手で触れていなかったような」


「……ずっと神社にいるから?」


「はい」


確かに神社か花月館以外で美琴と会ったのは数回だろうか。


手のひらの雪を見つめたままに、

美琴は小さく息を吐いた。


「あぁ、雪の冷たさ、少し忘れていました。いつも寒さを肌で感じるだけなので」


その言い方が妙に人間らしくて、

雪也は少し拍子抜けした。


「それって、忘れるもんなのか」


「忘れてしまいますね。雪也さんはもう慣れているでしょうけど」


美琴は神妙な顔をしながら、そっと手を下ろした。


「でも触れると、ああ、じんわり冷たいなって思い出します」


雪也は、その横顔から目を離せずにいた。

美琴が一歩近づいてきて、

ほんの少しだけ。雪を踏む音がかすかにした。


そのとき、美琴の手が雪也の肩先へ伸びた。


―――ふと身体が先に引いてしまった。


半歩。

自分でも意識しないうちに距離を空けていた。


美琴の手が止まる。

雪也はその止まった手を見たまま動けなかった。


美琴は何も言わず、静かに手を下ろした。


「……すみません」


言われて、

自分が何をされたのか、ようやく分かった。

ただ、少し肩についた雪を払おうとしただけだと分かる。

そうだと分かるのに。


「いや……」


違う。

謝るのは美琴じゃない。


でも、その続きをうまく言えなかった。


胸の奥になんだか鈍い痛みみたいなものが残る。


美琴は何も返さなかった。

ただ、音のない境内で少しだけ目を伏せていた。


「……今日は、ここまでにしておきましょう」


「え?」


「冷えますからね。……すみません」


そう言って美琴は社殿の影の方へ下がった。


雪が少し強く吹き付ける。


雪也が目を細め、もう一度視線を向けたとき、

そこには、もう誰もいなかった。


「……え?」


境内に残ったのは、

さっきまで誰かがいた気配だけ。


雪也は唖然としてその場から動けなかった。


しばらくして、ようやく息を吐く。

吐いたはずの息が、喉の奥でつっかえたように抜けていかない。


何かが引っかかったまま残っている。

それが温かいのか、冷たいのかさえ分からなかった。


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