第7話 勇者の剣が折れた日
──これは俺の知らないところで起きていた話だ。俺が荒野に来て十日ほどが経った頃のことだ。
◇
王都ラグナから馬で三日、魔王領との境に近いダルム峡谷。
勇者レオンのパーティは新体制で初めての討伐任務に臨んでいた。
対象はワイバーン一体。
魔王軍四天王の一角を退けた彼らにとっては、肩慣らしにもならない相手のはずだった。
「炎よ、宿れ!」
付与術師ヴァンスが唱えると、レオンの新しい剣が轟々と燃え上がった。
続けて「雷よ、纏え!」。ガルドの新調したローブが青白い火花を散らす。
「見事だ、ヴァンス」
ガルドは袖を広げて火花を眺めた。王都一の仕立て屋に作らせた、金糸刺繍の黒いローブ。前のローブは地味でずっと気に入らなかったのだ。
「ミリア様の杖もお望みなら新しいものを。聖光を纏わせればそれは見事に」
「いえ。これで結構です」
ミリアは古い杖を握り直した。
飾り気のない白木の杖。五年前から使っている。
「使い慣れていますから」
ヴァンスは肩をすくめ、それ以上は言わなかった。
「しかし王都の反応は上々でしたな」
ガルドが上機嫌で言った。
出発の朝、燃える剣を掲げたレオンを見て広場の民衆は歓声を上げた。吟遊詩人が早速「炎の勇者」の歌を作ったという。
「前の男がいた頃は『勇者の剣はなぜ光らぬ』と陰口を叩かれていた。これでようやく勇者パーティの名に相応しい見栄えになった」
「見栄え、ですか」
ミリアが小さく言ったが、ガルドには聞こえなかったようだった。
◇
ワイバーンが峡谷の上空に現れた。
翼を広げれば馬車三台分。鱗は灰緑色で太陽を鈍く弾いている。
中型の魔物だ。勇者パーティなら一太刀で終わる。
「行くぞ!」
レオンが跳んだ。
燃える剣が降下してきたワイバーンの翼を薙ぐ。
──甲高い音がした。
剣は翼の鱗に弾かれた。
炎が散り、刀身に深い刃こぼれが走る。
「な……」
レオンは着地して自分の剣を見た。
信じられなかった。
五年間、どんな魔物の鱗も、どんな鎧も、彼の剣を止めたことはなかった。四天王の魔剣と打ち合っても傷一つつかなかった。
「レオン、避けろ!」
ワイバーンの尾が振り下ろされた。
レオンは転がって避けたが、肩の鎧がひしゃげた。これも新調した鎧だ。
以前の鎧なら尾の一撃程度、傷すら残さなかった。
「雷撃!」
ガルドが魔術を放った。青白い閃光がワイバーンの胴を打つ。
ワイバーンが咆哮し、反撃に火球を吐いた。
火球はガルドのローブに直撃した。
──ローブが燃えた。
「ぎゃあああ!!」
ガルドは地面を転がった。
以前のローブなら火球など弾いていた。呪詛も、毒も、炎も、全て。地味なローブは五年間一度も燃えたことがなかった。
「ガルドさん!」
ミリアが杖を掲げた。
白い光がガルドを包み、火傷が瞬く間に癒えていく。
彼女の治癒だけが、以前と変わらぬ威力を発揮していた。
「ヴァンス! 付与を掛け直せ!」
「は、はい! 炎よ宿れ!」
レオンの剣が再び燃えた。
だが刃こぼれは消えない。炎は見た目を飾るだけで、刃を鋭くはしなかった。
戦いは一時間に及んだ。
四天王を退けた勇者パーティが、ワイバーン一体に。
レオンは三度吹き飛ばされ、ガルドは二度燃え、ミリアは聖力の大半を使い切った。
最後はレオンが刃こぼれした剣をワイバーンの眼に突き立て、ようやく仕留めた。
剣はそこで根元から折れた。
◇
「……たまたまだ」
帰りの馬車の中でガルドが言った。
誰も返事をしなかった。
「新しい装備に慣れていなかっただけだ。鎧も剣もローブも全部新品だったんだ。馴染むまで時間がかかる。そうだろう、ヴァンス」
「は、はい。私の付与は規定通りに。王都の付与術師ギルドの基準で最高位の……」
「分かっている。お前のせいではない」
ガルドは焦げた袖を見下ろし、舌打ちした。
──認めるわけにはいかなかった。
ガルドは三年前からある疑念を抱いていた。このパーティは強すぎる、と。
レオンの剣は刃こぼれしない。自分のローブは呪詛を弾く。ミリアの杖は聖力が枯れない。四天王を退けたとき、ガルドはそれを自分の魔力の恩恵だと考えた。そう考えるほうが心地よかったからだ。
だが心のどこかで気づいていた。
パーティにはもう一人いた。目立たず、戦わず、毎晩黙って装備を磨いていた男が。
認めれば四天王を退けた功績の少なくない部分が、あの地味な男のものになる。王から賜った勲章も、年金も、名声も。
だからたまたまだ。
たまたまでなければならない。
「何か言ったらどうだ、レオン」
レオンは折れた剣の柄を握ったまま、窓の外を見ていた。
「ガルド。俺の前の剣はどこにある」
「下取りに出しただろう。武具商会だ」
「買い戻す」
「は? なぜだ。あんな地味な剣を」
「……分からん」
レオンは柄を見つめた。
「分からんが。あの剣だけは五年間一度も俺を裏切らなかった」
ガルドは何か言いかけて、やめた。
ヴァンスは膝の上で手を組み、俯いている。
ミリアは杖を握りしめていた。
五年前。
まだパーティに入ったばかりの頃、アレンが「聖力が長持ちするように」とこの杖に何かを掛けてくれたことを、彼女は覚えていた。
あのときアレンは照れたように言ったのだ。
──派手な効果は無理なんです。でも切れないようにはしておきました。
切れないように。
ミリアは杖を見た。
五年間一度も聖力が枯れなかった杖を。
今日、たった一人以前と変わらぬ力を出せた自分の杖を。
彼女は顔を上げ、馬車の窓から北の方角を見た。
グレイス荒野はそちらにある。




