第45話 鎧の名前
王都に着いて、五日目の夕方だった。
北門の外でレオンが馬を降りた。
銀の鎧。王家の紋章のない、ただの銀の鎧だ。腰に古い剣。前線の泥が脛まで跳ねていた。
俺を見て、レオンは何も言わずに頭を掻いた。
一年前、ノルドの門で覚えた仕草だった。
「……謝りに来たんじゃない。今日は」
「はい」
「報告と名前だ。……順番は報告が先だ。名前は後で言う。先に言うと照れる」
◇
ギルドの宿舎の小さな部屋。
レオンは鎧を着たまま椅子に座った。椅子が軋んだ。
「東の国境に黒い霧が出た。三か月近く前だ。……冬の一番深い頃に」
レオンは剣を膝に置いた。
「霧は呪いだ。五年前、ガルドのローブが弾いていたのと同じものだ。触れた木が腐る。触れた兵が病む。……この剣は弾いた。剣の周りだけ霧が割れた。五年前と同じだった」
「……剣はまだ切れていません」
「知ってる。お前がそう言った。……霧の向こうから声がした」
レオンは顔を上げた。
「『五年前、わしの呪いを弾いた剣だ。同輩を斬った剣だ』と」
「同輩」
「四天王は四人いた。五年前、俺たちは一人と戦った。……王都には『退けた』と報告した。倒した、とは言わなかった。俺が倒したんじゃない。剣が倒した。お前の付与の掛かった剣が、呪いを弾いて届いた。……俺はそれを名剣だからだと思っていた」
ニコの言葉を思い出した。四天王は三人残ってる。
残りの三人のうちの一人が、霧の向こうにいた。
「声はこう続けた。『持ち主は変わっておらんのか。掛けた者は変わっておらんのか』」
レオンは剣の柄を握った。
「剣を探してるんじゃない。……お前を探してる。アレン」
「……もう見つかっています」
俺はカイの話をした。顔の思い出せない男。嘘の名前。皮。「春に、来る」。
レオンは最後まで黙って聞いた。
「……荒野か」
「はい」
「次の大侵攻は荒野を通る。二十年前と同じ道を。霧の向こうの奴が言った。『春に、北へ行く。泉を戻しに』と。……東の国境じゃない。お前の町だ」
◇
長いこと、二人とも黙っていた。
それからレオンが鎧の胸に手を当てた。
「……名前の話だ」
「はい」
「ひと月考えた。前線で霧を見ながら。……俺は鎧に名前を付けたことがない。剣にも。王家がくれたものに名前は要らなかった。名前は王家が付けていた」
レオンは少し笑った。照れた笑い方だった。
「『ノルド』だ」
俺は何も言えなかった。
「お前が剣を返してもらった町だ。俺が膝をついた町だ。……鎧にその名前を付けて前線に立つ。地味なままで。それでいいと思った」
「……町の名前です」
「知ってる」
「俺が照れます」
「俺も照れてる。おあいこだ」
◇
名前は本人が決めるまで待つ。
決めたなら掛ける。
「役割も要るんだろう」
「はい。鎧の役割を、レオンが決めてください」
レオンは長いこと考えた。
五年間、一度も見たことのない顔で。
「……俺を守ることじゃない」
ゆっくりと言った。
「五年前はそう思ってた。鎧は俺を守るものだと。剣は俺が斬るものだと。……前線で三か月、霧を見た。霧が剣を避けると、剣の後ろにいる兵は病まない。俺の後ろだけ霧が割れた。二十人、俺の後ろに並んで霧の中を歩いた」
レオンは鎧の胸を叩いた。
「霧は剣が弾く。刃と牙は鎧で受ける。……壊れない鎧で前に立てば、俺の前で全部止まる。止まった後ろに兵が並ぶ。鎧は俺が着て歩く盾だ。鎧の役割は、俺の後ろの兵を守ることだ。……俺は前に立つ。それだけだ」
不壊は壊れないだけだ。霧を弾くのは剣の仕事。鎧は刃と牙を止める。
止める人が前に立つと決めた。それなら掛かる。
俺は鎧に手を当てた。
冷たい銀。前線の泥。その下に、一年前より少し痩せた男がいる。
鎧、ノルド。
役割は、レオンの後ろに並ぶ兵を守ること。レオンが前に立つための鎧。
「不壊」
光は出ない。音もしない。手のひらから、薄い何かが銀に染みていく。
いつもの感触だった。
レオンは鎧を見下ろした。
胸を叩いた。腕を曲げた。
「……何も感じないな」
「光りませんし、音もしません」
「地味だ」
「はい」
レオンは笑った。
一年前、「地味だ」と言って俺を追放した男が、「地味だ」と言って笑った。
「地味でいい。……切れないんだろう」
「切れません。それは、たぶんじゃない」
俺はついでに剣にも触れた。
五年前のままだった。端がない。ほつれもない。
「剣もまだです」
「二年目だ。……地味な剣と地味な鎧で前線に立つ。王都の連中は名剣と名鎧だと思うだろうな」
「思わせておいてください」
「……お前、意地悪になったとリーゼが言ってたぞ」
レオンは鎧の肩を回した。
「リーゼは元気か」
「鍬で迎えに来ると言っていました。ひと月で帰らなかったら」
「……鍬か。あれは効く。ハウザーで見た」
◇
「明日、王に会う」
レオンは立ち上がった。鎧が音を立てた。不壊の鎧は音まで消さない。
「俺の報告と、お前のカイの話。……王は兵を荒野に置くと言うだろう。バルテンがもうそのつもりだ」
「……兵」
「お前が断れるかどうかは知らん。ただ、一つ。……霧の向こうの奴は町を狙ってる。お前の百二十四人だ。兵がいなければ、戦わない町は戦わないまま終わる」
レオンは扉の前で振り返った。
「俺も行く。春に。……前線は王が許した。鎧に名前が付いたからな」
◇
──これは、俺が王都にいる間のノルドの話だ。
北壁の上でカーラが北を見ていた。
夕方。黒い岩場。火はない。
「……増えてる」
隣にピムが来た。斥候は昼のうちに岩場の手前まで行って戻っていた。
「狼が岩場に集まってる。二十。三十。……狩りじゃない。群れが三つ、別々に来て、岩場で一緒になってる。狼は群れ同士で一緒にならない。普通なら」
「普通なら」
「何かが集めてる。……待ってるんだ。岩場で」
ニコが梯子を登ってきた。
槍を担いで北を見た。何も言わなかった。
下の広場で、リーゼが帳面を閉じた。
十四。
帳面の隅に小さく数字が書いてあった。領主が出てからの日数だ。
「……あと十六日」
誰にも聞こえない声で、リーゼは言った。




