↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
43/62

第43話 一区画ずつ

 王都に着いた、翌日の夜明けだった。


 北門の前に三百人が立っていた。

 灰色のローブ。付与術師ギルドの規定の服だ。五年間、俺も着ていた。三百人が三百のローブで、北門の区画の下に黙って並んでいた。


 一番前に、背筋のまっすぐな男。

 副ギルド長、ベルンハルト。


「来たか」


 それだけ言った。

 敵意はなかった。あったのは目だ。三百の目が全部、俺の手を見ていた。


 ◇


 ヴァンスが壁の下で、砂時計を持って立っていた。

 一晩そこにいたらしい。目の下が黒かった。


「夜半に掛け直しました。規定通り。……私の付与は今夜切れます。最長で一日」


 俺は北門の石に手を当てた。


 あった。

 ヴァンスの付与だ。薄くて、几帳面で、端がある。今夜の夜半でほつれる。五年間、毎朝この壁に掛かっていたものと同じ。


 俺の付与はその上に重ねる。

 端のあるものの上に、端のないものを。


「……重ねます。ヴァンスさんのが切れるとき、俺のが残ります。それで、切れたかどうかが分かる」

「明日の朝、三百人が触って確かめます」


 ◇


 オズワルドが隣に来た。

 老人は俺の手の横に自分の手を置いた。皺だらけの、乾いた手。


「触らせろ、と言った。……いいな」

「はい」


 俺は壁を見た。


 古壁。王都の人がそう呼ぶ壁。

 その北門区画。三百人のうちの三十人が、三十年、毎朝毎晩その名前で呼んできた区画。

 役割は、王都の北を守ること。

 範囲は、北門の左の塔から、東の一との境の鐘楼まで。それだけ。それ以上は明日。


 声に出して決めた。

 ヴァンスが鐘楼を指した。リーゼが水路の端を指したのと同じように。


「不壊」


 光は出ない。音もしない。

 手のひらから、何かが石に染みていく。


 重かった。

 北壁の何十倍。一区画で、泉の東の一本に届くかどうか。

 染みていくものが石の中を、塔から鐘楼へ走っていく。範囲は決めてある。鐘楼で止まる。止まるまで出ていく。


 膝が笑った。

 倒れなかった。隣でオズワルドが、壁に手を当てたまま俺の肩を掴んでいたからだ。八十の老人の手が、思ったより強かった。


「……来た」


 オズワルドがかすれた声で言った。


「端がない。……わしの手の下を通っていった。向こうへ。止まらん。六十年、一度も触ったことのないものが」


 老人は壁から手を離さなかった。

 離さないまま目を閉じていた。


 ◇


 三百人は動かなかった。


 ヴァンスが砂時計を伏せた。砂が落ちた。落ち切った。もう一度伏せた。

 三度目で、ヴァンスは砂時計を置いた。


「……測定の意味がありません。端がないものに砂時計は要らない」


 羊皮紙に書いた。「対象:古壁、北門区画。術式:不壊。持続:端なし」。几帳面な字で。


 ベルンハルトが前に出た。


 壁に手を当てた。

 長いこと動かなかった。それから手を離して、俺を見た。


「三十人だ」


 静かな声だった。


「北門区画の三十人の、明日の朝の仕事が、今消えた。……このまま十日で十区画なら三百人だ。あんたは三百人の飯を消しに来た」


 俺は何も言えなかった。


 ラッセルの会館と同じだった。

 モーリッツ親方の言葉と同じ。切れない付与は、直す仕事を二度と戻さない。

 親方には答えがあった。打つ仕事は消さない。

 ここにはまだ答えがない。城壁は打たない。掛け直すだけだ。掛け直す仕事が仕事の全部だ。


「……すみません」

「謝るな」


 ベルンハルトは首を振った。


「答えも要らん。今は。……見た。それだけだ。明日も見る」


 三百人の中から一人、前に出てきた。

 白髪の、俺の父親くらいの年の男。ローブの袖が擦り切れていた。


「北門区画、三十年」


 男はそれだけ名乗った。


「明日の朝、わしは何をすればいい」


 俺は答えられなかった。

 ベルンハルトも答えなかった。オズワルドが壁に手を当てたまま、目を開けて男を見た。


「……分からん」


 老人が言った。線を引いた日と同じ言葉だった。


「分からんが、明日の朝もここへ来い。壁に触れ。……それから考える」


 ◇


 三百人が散っていった。


 黙って。一人ずつ。

 散りながら、何人かが壁に手を当てた。歩きながら、触れて、離して。

 触れた人はみんな同じ顔をした。驚いた顔ではない。困った顔だ。王都で俺が五年間していた顔。


 ヴァンスが最後まで残っていた。


「私もその三百人でした」


 壁を見たまま言った。


「北門区画。五年。……今夜、私の最後の一回が切れます。切れたら、あなたのが残る。明日の朝、三百人がそれを触る。……それが私の見たかったものです。消される側が何を消されるのか」

「……何を消されましたか」

「仕事を。……それから、たぶん、何かもう一つ。まだ名前が付いていません」


 ヴァンスは砂時計を荷に戻した。規定の位置に。


 ◇


 膝がまだ笑っていた。

 宿舎に戻って昼まで寝た。オズワルドが「一日一つだ。夜は寝ろ。十日目に倒れたら、わしが背負えん」と言った。


 残り九区画。

 九日。


 ◇


 ──これは、俺が王都にいる間のノルドの話だ。後でリーゼから聞いた。


 東の線に種が撒かれた。

 ヴィムとアンナ、ヨルクとリタ。バルドの二十本の鍬。泉から鷲の道の口まで、緑の線の両脇を細長く耕して、北の畑の麦を撒いた。線は、腰の高さの草の中に黒い土の帯が二本添うようになった。


 鷲の道から人が来た。

 十日で十二人。春だった。道が通った。


 夕方の列は続いていた。

 ベルタが名前を言う。本人が役割を言う。そこで終わりだ。誰も額に手を当てない。


「……付与は?」


 十二人のうちの一人が訊いた。

 リーゼは帳面を閉じて言った。


「ひと月後。領主が戻ったら。……それまで、頑健が掛からなくても暮らせる人だけ残りなさい。暮らせるわよ。この村は二十年そうだった」


 誰も出ていかなかった。

 リーゼは帳面に十二の名前を書いた。掛かっていない十二の名前を。

 帳面は百三十六。掛かっているのは百二十四。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。