第33話 鍛冶ギルドの言い分
ラッセルに着いた、翌日の朝だった。
鍛冶ギルドの会館は町の東の端にあった。
炉の煙突が十二本並んでいる通りの突き当たり。石造りの、窓の小さい建物だ。
十二本のうち、煙が出ているのは七本だった。
「冬だから」
隣を歩くニコが低く言った。フードを深く被っていた。
「冬は鉄が動かん。……そう思っておけ」
◇
モーリッツ親方は六十を過ぎた、肩の盛り上がった男だった。
右手の指が二本足りなかった。残りの指で、机の上の鍬をこつこつと叩いていた。
ノルドの鍬だった。バルドが打って、俺が掛けた。
「座れ」
俺は座った。ニコは壁際に立った。
「これがノルドの鍬だ。五十本売れた。次は百本だと、ドルフの爺さんが言っとる」
「はい」
「この鍬は折れん。欠けん。鈍らん。……そうだな」
「はい。たぶん、ずっと」
「たぶん、か」
モーリッツは鍬の刃を残った指でなぞった。
「わしは四十年、鉄を打ってきた。鍛冶屋の仕事を、あんたは知っとるか」
「……打つことだと」
「半分だ」
モーリッツは指を一本立てた。欠けていないほうの指だった。
「半分は打つ。残りの半分は直す。研ぐ。打ち直す。柄をすげ替える。農夫は三年に一度、鍬を研ぎに来る。五年に一度、打ち直しに来る。その銅貨で鍛冶屋の子どもがパンを食う」
机の上の鍬を、親方は持ち上げた。
「この鍬は研ぎに来ない。打ち直しにも来ない。……柄はどうだ。柄は木だ」
「鍬として掛けました。柄も鍬のうちです」
「……柄も、か。なら一生だ。あんたの付与は切れないそうだな」
「はい」
「切れないということはな、領主殿。一度消えた仕事が二度と戻ってこないということだ」
俺は何も言えなかった。
◇
王都で五年。
俺は言われたことをやるだけだった。言い返したことは一度もない。荒野に来て初めて言い返した。徴税官に、王の使いに、王に。
でも、今、言い返す言葉がなかった。
親方の言っていることは正しかった。
切れない鍬は農夫を助ける。オットーは三年に一度の研ぎ代が惜しくて、刃の駄目な鍬を使い続けていた。その銅貨が浮く。
その銅貨で、ラッセルの研ぎ屋の子どもがパンを食っていた。
井戸は水を甘くした。畑は麦を実らせた。壁は狼を止めた。ノルドで、俺の付与が誰かを困らせたことは一度もなかった。
ノルドの外では違った。
「……すみません」
口から出たのはそれだけだった。
「謝ってほしいわけじゃない」
モーリッツは鍬を置いた。
「鍬を打ったのはバルドだろう。あいつの鉄はいい。ギルドで一番だった」
「……バルドさんは、税が払えなくて店を取られたと」
「取ったのはわしらじゃない。辺境伯の税だ。ギルドは税を取り立てる側に立たされただけだ」
親方は苦い顔をした。
「その辺境伯が今度はノルドと手を組んだ。鷲の道を敷いて、ノルドの鍬を優先して市場に入れると言う。……わしらは梯子を外された。税を取り立てた相手が閣下の客になった」
◇
「検めの話を聞きました」
「ああ。ラッセルの市場で鉄物を売るにはギルドの印が要る。百年前に先代の辺境伯がそう決めた。印を押すのが検めだ。……年が明けたら、付与の掛かった農具はその検めを通す。通行料だとドルフは言ったろう。その通りだ。それくらいしか、わしらにできることがない」
モーリッツは俺を見た。
「あんたを恨んどるわけじゃない。あんたは井戸を甘くしに来た。女将は泣いて喜んどる。……だがな、領主殿。あんたが井戸を一つ甘くするたびに、水売りが一人仕事を失う。鍬を一本掛けるたびに、研ぎ屋が一日仕事を失う。切れない付与はそういうものだ。誰かを助けると、誰かが困る」
親方は立ち上がった。
「それを知った上で掛けてくれ。……わしが言いたいのはそれだけだ。鍬を締め出すかどうかは、あんたの返事で決める」
◇
戸口に向かいかけて、親方が足を止めた。
壁際のニコを見ていた。
「……お前。見た顔だな」
「人違いだ」
「二年前の冬。炉の火を一冬守ってくれた男がいた。名前を名乗らんかった。……東から来たと言った」
ニコは答えなかった。
フードの下で、目だけが親方を見ていた。
「人違いなら、いい」
モーリッツはそれ以上言わなかった。
会館を出るとき、俺はニコの横顔を見ないようにした。
◇
宿に戻ると、ヘルガが裏庭で桶を洗っていた。
昨日の列は今日も続いていた。町の人が瓶を持って、ばあちゃんの井戸に並んでいる。
「親方に何を言われたんだい」
「……切れない付与は、誰かを助けると誰かが困ると」
「そりゃそうだろうね」
ヘルガは桶を置いた。
「うちの井戸が甘くなって、町の水売りが一人困ってる。クルトって男でね。荷車で川の水を売ってた。今朝、うちの列を見て黙って帰った」
俺は裏庭の列を見た。
「……それでも、あたしはあんたに頼んだ。ヤンが腹を壊したときに飲ませた水がうちの井戸から出るなら、それがいいと思った。クルトのことは後で考える。あたしが考える」
ヘルガは桶を抱え直した。
「領主ってのはそういうもんだろう。誰かを助けると決めて、困った奴のことは後で考える。……あんたはまだ、決める前に困ってる顔をしてるよ」
◇
その夜、俺は宿の二階で、窓から炉の煙突を見ていた。
七本の煙が夜空に細く上がっていた。
一晩考える、と親方に言ってあった。
リーゼがいれば、もう答えが出ているのだろう。帳面を開いて、数字を並べて。
俺には帳面がない。あるのは、名前と役割を知ることだけだ。
鍛冶屋の役割は、打つことと直すこと。
直す仕事を、俺の付与は消す。なら、打つ仕事は──
◇
──同じ頃。王都ラグナ、王立付与術師ギルドの書庫。
俺の知らないところで起きていた話だ。
オズワルドは机の上に古い教本を開いていた。
六十年前に自分が書いた本だ。
第一章、第一行。
『付与は必ず切れる。持続は最長で一日』。
隣でヴァンスがペンを持って待っていた。
「……消すのはわしがやる」
老人はペンを取り、その一行に横線を引いた。
一本。震えない線だった。
「六十年、三百人の付与術師がこの一行で飯を食ってきた。城壁の掛け直し、軍の装備の掛け直し。毎朝、毎晩。……切れるから仕事があった」
ヴァンスは何も言わなかった。
「アレン・グレイが三百人の仕事を消すのではない。わしのこの線が消すのだ。……それを、わしは分かって引いた」
扉の外が騒がしかった。
三十人ほどの付与術師が廊下に集まっているという。朝からずっとだ。
我々の仕事はどうなるのか、と。
オズワルドはペンを置いた。
「……わしにも分からん」
ヴァンスがペンを机に置いた。
規定通りに、まっすぐ、机の縁と平行に。
「……私が荒野へ行きます」
老人が顔を上げた。
「本人に直接訊きます。規定に書いてないことは本人に訊くしかない。……私はそう習いました」




