第3話 畑に付与してみたら
翌朝、俺は村長の家の床で目を覚ました。
昨夜は大騒ぎだった。
リーゼの叫び声を聞きつけた村人が井戸に集まり、水を飲んで全員が同じ顔をした。子どもたちは桶に顔を突っ込んで飲んだ。老人の何人かは桶を抱えたまま泣いていた。
俺はその間ずっと「いや、ただの付与なので」と言い続けたが、誰も聞いていなかった。
最後はリーゼに「空き家は寒いから」と村長の家に押し込まれ、藁の上で眠った。
「起きた?」
声のほうを見るとリーゼが戸口に立っていた。
その後ろに痩せた初老の男が立っている。杖をついてはいるが、自分の足で。
「父さん。昨日まで立てなかったのよ」
村長は俺の前に膝をつき、深く頭を下げた。
「井戸の水を飲んだら咳が止まった。十年ぶりに夜通し眠れた。……あんたは、いったい」
「あの、顔を上げてください。本当にただの付与で」
「ただの付与で井戸の毒が消えるなら王都の付与術師は全員聖者だわ」
リーゼが腕を組んで言った。
「ねえ、アレン。……井戸ができるなら畑は?」
──そう来るか。
◇
俺はリーゼに連れられて村の北側の畑に立った。
畑、というよりただの地面だ。
土は固く、白っぽく、指で掘ると石のように崩れる。去年撒いた麦は芽を出す前に腐ったという。
「正直に言うとやったことがないです」
「井戸も?」
「井戸も初めてでした」
「じゃあ同じでしょ」
リーゼの理屈は乱暴だったが、反論できなかった。
できないと言ってこの人を失望させるのが嫌だった。それだけかもしれない。
俺は畑の端にしゃがみ、土に手を当てた。
固い。この土に鍬を入れたら刃は半年で欠ける。
付与の条件は「名前と役割を知ること」。
これは畑。……いや、それだけでは足りない気がする。井戸のときは「村の人に水を届ける」という役割がはっきりしていた。
「リーゼ。この畑に名前はありますか」
「名前? ……北の畑、としか」
「じゃあ何を植える予定ですか」
「麦よ。種は去年の残りが少しだけある」
北の畑。
麦を育てる場所。村の人が冬を越すための。
二十年前には金色の波が立っていたという場所。
──よし、わかった。
「豊穣」
光は出ない。音もしない。
手のひらから、何かが土に染みていく。
井戸のときよりずっと重い。深い。広い。
足元から畑の端までゆっくりと何かが広がっていくのが、目を閉じていても分かった。終わるまでに井戸の十倍は掛かった気がする。
「……終わりました」
「え、もう? 何も変わってないけど」
「畑は井戸と違ってすぐには分からないと思います。種を蒔いてみてください」
リーゼは半信半疑の顔で懐から麦の種を一掴み取り出した。
畑の隅に大切そうに撒いて、土を被せる。
その日は何も起きなかった。
翌日も。
その朝、井戸の桶を覗いたリーゼが首を傾げた。
「……まだ甘い」
「はい」
「王都の付与って一日で切れるんでしょ。昨日のがまだ甘いんだけど」
「今日は調子がいいのかもしれません」
教本には、持続は最長で一日とある。一日と少し。たまたま長持ちしているだけだろう。
畑のことは何も言わなかったが、朝と夕方、リーゼが畑を見に行っているのを俺は知っていた。
◇
三日目の朝。
「アレン!! アレン、起きて!!」
叩き起こされ、引きずられるように畑に連れていかれた。
畑の隅が緑になっていた。
三日前に一掴みの種を撒いた、ほんの一角。そこだけ全ての種が芽を出していた。
それも芽というより既に膝の高さまで伸びている。茎は太く、葉は濃い。朝露を受けて白い畑の中でその一角だけが、別の場所のように輝いていた。
「……麦ってこんなに早く育つんでしたっけ」
「育たないわよ!! 普通は芽が出るまで十日、ここまで伸びるのに一か月!!」
リーゼは叫んでから畑の残りを見渡した。白く乾いた、何も生えていない広い地面を。
「……一掴みでこれなら」
「はい」
「残りの種、全部撒く。今日中に」
畑の周りにはもう村人全員が集まっていた。
誰も何も言わない。ただ麦を見ていた。
やがて一人の老婆が畑に入り、麦の葉に触れた。
それから声を上げて泣き出した。
「……生えた。生えたよ。北の畑に、麦が。……あの子に見せてやりたかった」
俺はどうしていいか分からず立ち尽くした。
「ねえ、アレン」
リーゼが隣に来た。目が赤い。
「あんた、王都で何て呼ばれてたの?」
「……役立たず、ですね」
「王都って馬鹿しかいないの?」
俺は答えられなかった。
◇
同じ頃。王都ラグナ、王立武具商会。
「こいつにするか」
勇者レオンは新品の剣を手に取った。
銀の刀身に金の装飾。鞘には王家の紋章。見るからに英雄の剣だった。
「よろしいのですか? 今お使いの剣も相当な名剣とお見受けしますが」
店主はレオンの腰の剣に目をやった。
飾り気のない、ただの鋼の剣。だが五年間使い込まれたはずのその刀身には傷一つ、曇り一つなかった。
「ああ、あれか」
レオンは古い剣をちらりと見た。
「五年使ったがどうも地味でな。たしかに丈夫だが英雄の剣にしちゃ飾り気がない。新しい付与術師も『派手な剣のほうが炎が映える』と言っている」
「……左様ですか」
「下取りに出す。新しいほうを頼む」
店主は古い剣を受け取り、刀身を光に透かした。
研ぎに出した形跡がない。それなのに刃は新品より鋭い。
店主は長年の経験からひとつだけ確かなことを知っていた。
こういう剣は、ない。
「……本当によろしいので?」
「くどい」
レオンは新しい剣を腰に差し、店を出ていった。
店主は光に透かした刀身からしばらく目を離さなかった。




