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第2話 呪われた土地と、気の強い村娘

 王都を出て、十日。


 乗合馬車を三度乗り継ぎ、最後の町からは徒歩で丸一日。

 俺はようやくグレイス荒野に辿り着いた。


「……荒野、って言葉は正しかったな」


 見渡す限り赤茶けた地面にひび割れが走っている。

 草は生えているが、どれも膝の高さで枯れて風が吹くたびに乾いた音を立てた。砂が舞い、口の中がじゃりじゃりする。空だけがやけに広い。


 辞令にあった「復興」の二文字を俺はもう一度思い出した。

 復興。

 この土地にいったい何を復興しろというのか。


 最後の町の宿屋の主人は俺が行き先を告げると、気の毒そうな顔で黒パンを一つ持たせてくれた。

「あそこに行く奴にはいつもそうしてる」と。

 つまり俺の前にも何人も行って、誰も戻ってこなかったということだ。


 地図によれば荒野には人の住む村が一つだけある。

 ノルド村。二十年前の大侵攻の生き残りと、行き場のない流民が寄り集まった廃村。


 日が傾きかけた頃ようやくその村が見えてきた。


 ◇


 木の柵に囲まれた、家が二十軒ほどの集落だった。

 半分は屋根が落ちている。残りの半分も傾いている。柵の杭は根元が黒く腐っていた。この柵はあと一冬だ。畑らしき区画はあるが、何も実っていない。


 柵の入り口に人影があった。


 鍬を構えた若い女だ。

 亜麻色の髪を後ろで一つに結び、袖をまくり、泥のついたエプロン姿で俺を睨んでいる。


「止まりなさい。何の用?」

「あ、えっと。王都から来ました、アレン・グレイといいます。この土地の、その、管理を任されて」

「……また役人?」


 女は鍬を下ろさなかった。むしろ構え直した。


「前の役人は三日で逃げたわ。その前のは一晩。みんな『こんな土地は無理だ』って泣きながら帰っていった。あんたは何日もつの?」

「何日と言われても……帰る場所がないので」

「は?」

「追放されたので。帰る場所がないんです」


 女は鍬を少しだけ下ろした。

 俺の顔を頭のてっぺんから爪先まで眺める。油で黒ずんだ手も、くたびれた外套も、たぶん全部見られた。


「……リーゼよ。村長の娘。父さんは寝込んでるからいまは私が村のことを見てる」

「よろしくお願いします、リーゼさん」

「さん付けはいらない。あと期待しないで。この村には何もないから」


 ◇


 リーゼに案内されて俺は村の中に入った。


 彼女の言う通りだった。

 村人は三十人ほど。どの顔も痩せていて、子どもたちは目だけが大きい。

 畑は枯れ、家畜はいない。食料は月に一度来る行商人からなけなしの銅貨で買っているという。


「二十年前ここは麦の産地だったの。大侵攻で全部焼けて土が死んだ。それから何を植えても芽が出る前に腐る」

「……土が、死んだ」

「そういう言い方しかできないのよ」


 リーゼは淡々と話した。慣れている口調だった。何度も、来ては去っていく役人に同じ説明をしてきたのだろう。


 そして、井戸。


「水をもらえますか。歩き通しで喉が」

「いいけどまずいわよ」


 リーゼが桶を引き上げてくれた。

 一口飲んで俺は顔をしかめた。


 苦い。

 鉄と泥を混ぜたような味だ。喉の奥がじんと焼ける。


「大侵攻のときに魔物の血が地下水に混じったって言われてる。飲めないことはないけど、飲み続けると腹を壊すし子どもは熱を出す」

「……それはまずいですね」

「だから言ったでしょ」


 リーゼは桶の縁に腰掛けて夕日を見た。


「父さんは十年咳が止まらない。他に水はないから飲むしかないの。この荒野、雨は年に数えるほどしか降らないし」


 少し離れたところから子どもたちがこちらを見ていた。

 目ばかりが大きい、痩せた子どもたちだ。


 俺は井戸の縁に手を置いた。

 石は冷たく、ざらついていた。


 ──こういうとき、俺はつい癖で手を動かしてしまう。


 五年間毎晩やってきたことだ。

 剣に触れて、鎧に触れて、杖に触れて。「切れませんように」と願って付与を掛ける。

 触れたものに何か掛けないと落ち着かない。職業病みたいなものだ。


 付与術の基本は「対象の名前と役割を知ること」。

 これは井戸。

 役割は村の人に水を届けること。


 なら、必要なのは。


「清浄」


 小さく唱えた。


 光は出ない。

 音もしない。俺の付与はいつもそうだ。

 ただ、手のひらから、ごく薄い何かが石の中に染みていく感触だけがある。


「……何やってんの?」

「あ、すみません。癖で。付与術師なのでつい」

「井戸に?」

「ええ、まあ。たぶん何も変わらないと思いますが」


 リーゼは呆れた顔で桶を覗き込んだ。

 そして、固まった。


「……ねえ」

「はい」

「水、透明になってる」


 俺も覗き込んだ。


 さっきまで薄く濁っていた水が、底の石が見えるほど澄んでいた。

 夕日を受けて桶の中が小さく光っている。


 リーゼが手ですくって口に運ぶ。


 一拍。

 二拍。


 彼女は何も言わなかった。

 もう一度すくって、飲んだ。それから、三度目。


「……甘い」

「え」

「苦くない。甘い。冷たい。……何これ」


 リーゼは俺を見た。

 さっきまでの睨みとは別の種類の目だった。


「あんた、今何をしたの?」

「井戸に清浄の付与を。さっき言った通り癖で」

「それで水が……こうなるの?」


 リーゼは桶と俺を交互に見た。


「……あの。井戸に付与するのってそんなに変ですか?」


 リーゼは桶を抱えたまま大きく息を吸った。


「普通じゃないわよ!!」


 村中に響く声だった。


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