第25話 壊れない町
期限の夜明け。門の上に俺は立っていた。
武器はない。鎧もない。王都を出たときと同じ、くたびれた外套だけだ。
隣にレオンが立っていた。剣は鞘に収めたまま。
百人の兵がゆっくりと近づいてきた。
先頭に丸太を担いだ十人。破城槌だ。
「……本当に何もしないのか」
レオンが小さく言った。
「しません。壊れなければいいので」
◇
破城槌が門に当たった。
重い音がした。一度。二度。三度。
門は揺れなかった。焦げた板は焦げたまま、びくともしなかった。
四度目で丸太のほうが割れた。
兵たちが顔を見合わせた。
「梯子!」
ヴォルフの声で北壁に梯子が掛かった。五本。
兵が登る。壁の上に頭が出る。
──壁の内側から、ニコとカーラとルッツが梯子を押した。
剣は抜かない。槍も使わない。ただ押す。
梯子は傾いて、兵ごと荒野の砂の上に倒れた。砂だ。骨は折れない。
五本とも同じだった。
「……何なんだ、この町は」
誰かが言った。
◇
ヴォルフが馬上で手を上げた。
「弓」
二十人が弓を構えた。
狙いは門の上。俺とレオン。
レオンが俺の前に出ようとした。
俺はその腕を押さえた。
「下がってください。……俺が見えるように」
「アレン」
「頑健は矢を止めません。死なない保証もありません。……でも立ちます」
矢が放たれた。
二十本。
ほとんどが門と壁に刺さった。二本が頭の上を越えていった。
一本が俺の左肩に刺さった。
熱かった。痛かった。
でも立っていた。骨は折れていなかった。
門の内側でミリアが杖を掲げた。白い光が肩の矢を包んだ。痛みが少し引いた。矢は抜けなかった。それでも立っていられた。
俺は振り返った。
家々の戸の隙間からこちらを見ている百人の目があった。
それから兵の百人を見た。
「──俺たちは戦いません」
声は思ったより遠くまで届いた。
荒野は音を遮るものがない。
「矢も放たない。剣も抜かない。……でも壊れません。壁も門も屋根も人も。この町は壊れません」
◇
二度目の矢は来なかった。
兵たちがヴォルフを見ていた。
ヴォルフは手を上げたまま下ろさない。
一人の兵が苛立ったように門の板に剣を叩きつけた。
不壊の板はびくともせず、弾かれた力が全部刃に返った。
剣が鍔元から折れた。
隣の兵がもう一度叩きつけた。
折れた。
それから何人もが。試すように、腹立ちまぎれに。門に、壁に。
……全部折れた。
「……武器が折れる」
列の中から声が上がった。
「隊長。俺、ラッセルの出です。……この町の水をうちの子が飲んで、腹の病が治った。治ったと女房は思ってる。俺もです。……この町を焼くんですか」
ヴォルフは答えなかった。
手を上げたままだった。
◇
その手が下りる前に、東から馬の音がした。
王旗だった。
金の獅子を描いた旗を先頭に十騎の近衛。その中央に軍務卿の副官。
「辺境警備第三隊! 武器を収めよ! 王命である!」
副官は馬を降りずに二枚の紙を掲げた。
「一枚は国王陛下の直命。『グレイス荒野管理官アレン・グレイを王都に丁重に召喚する』。もう一枚は軍務卿バルテンの差し止め命令。『官房印のみで辺境警備隊を動かせるのは国境紛争への対処に限る。反逆者の討伐は軍務卿の承認を要する。本命令は権限を逸脱したものであり無効。直ちに撤収せよ』」
副官の馬も泡を吹いていた。差し止めの早馬を受けて昼夜駆けたのだという。予定より一日早かった。
ヴォルフはゆっくりと手を下ろした。
馬を降りて、副官から二枚を受け取り、長いこと読んだ。
それから自分の巻物と並べた。
「……王の名と官房の印。重いのは王の名だ」
ヴォルフは振り返った。
「全隊、武器を納めろ。撤収する」
百人が息を吐いた。
ヴォルフは門の前まで歩いてきて俺を見上げた。
肩に矢の刺さった、武器を持たない管理官を。
「百人で攻めて、怪我人はお前一人か」
「はい」
「……私は命令に従った。それだけだ。だが」
ヴォルフは折れた剣を拾い上げた。
「この町に二度と矢を向けないで済むことを祈る」
◇
ハウザーは縛られたまま近衛の前に引き出された。
副官が顔を見るなり言った。
「……ハウザー。近衛を追われた男がなぜここに」
ハウザーの顔が歪んだ。
副官は三年前までハウザーの同僚だった。同じ鎧を着て、同じ獅子の金具の鞍に乗っていた男だ。
ハウザーは近衛の鎧を見た。鞍の獅子を見た。
それから自分の縛られた手を見た。
荒野の盗賊なら黙っていればよかった。
でも、かつての同僚の前で元近衛は黙れなかった。
「……ガルドだ」
吐き捨てるように言った。
「全部ガルドの金だ。十一人分の銀貨も、辺境伯の護衛に紛れ込む金も。管理官を消せと言ったのも。……失敗したら偽の討伐命令を出すと言ったのも」
副官は何も言わずに書記に頷いた。
書記が一言一句書き取った。
◇
「管理官殿」
副官が俺に向き直った。
「王の召喚です。王都へご同行を。……丁重に、との仰せです」
俺は門の上から降りて副官の前に立った。
肩の矢はミリアが抜いてくれた。布を巻いた上からまだ血が滲んでいた。
「行きません」
副官の眉が上がった。
「王命、ですが」
「分かっています。……でもここが家です。百人の名前を世話役が覚えていて、俺が額に手を当てる町です。俺が十日いなければ新しく来た人に付与が掛からない。屋根も鍬も井戸の桶も、俺がいないと」
俺は北を見た。
「それに地脈の泉を清めるまではここを離れられません。……王にお伝えください。『ノルドの管理官は町を離れられない。王が管理官に用があるのなら、こちらへ』と」
副官は絶句した。
王の直命を荒野の管理官が断った。
沈黙を破ったのはレオンだった。
「俺が持って帰る」
レオンは副官の横に立った。
「その言葉を王に。勇者として俺が伝える。……ハウザーの証言と一緒に」
副官はしばらく二人を見比べて、それから深く息を吐いた。
「……承知しました。お言葉のままお伝えします」
馬に上がりかけて、副官は振り返った。
「ああ、もう一つ。ラッセルでハルトマン辺境伯閣下の使いに会いました。……閣下ご自身がこちらへ向かっておられると」




