第21話 聖女、荒野に来る
百人目が門をくぐってから十日ほどが経った日の午後だった。
門の外に立っていたのは、一頭の馬と一人の女だった。
旅装は埃まみれで、髪は乱れていた。馬は口から泡を吹いて立っているのがやっとだった。
でも背中の白木の杖だけは俺の記憶のままだった。
「……ミリア」
名前を呼んだ声が、自分でも驚くほど普通だった。
「アレン」
彼女は馬を降りて門の前で立ち止まった。
門をくぐらなかった。くぐっていいのか分からない顔だった。
「入ってください。水があります」
◇
井戸端でミリアは甘水を一杯飲んで、長いこと黙っていた。
村人が遠巻きに見ていた。リーゼは井戸の反対側に腕を組んで立っていた。何も言わなかったが動かなかった。
「……五年前の日のことを覚えていますか」
ミリアがようやく口を開いた。
「あなたがパーティに入った日。この杖に何か掛けてくれた。『派手な効果は無理なんです。でも切れないようにはしておきました』と」
「覚えています」
「あのときからずっと。私はあなたが毎晩みんなの装備を見ていたのを知っていました。みんなが寝た後に一人で」
ミリアは杖を膝の上に置いた。
「知っていて何も言わなかった。追放の日も。……ガルドに遮られて、それきり」
「あれは仕方が」
「仕方なくありません」
強い声だった。
「ごめんなさい。遅すぎることは分かっています。でも言いに来ました。……ごめんなさい」
ミリアは深く頭を下げた。
追放の日に黙っていた人が。頭を下げていた。
俺は何と言えばいいのか分からなかった。
怒っていない。最初から怒り方が分からなかった。でも「いいんです」と言うのも違う気がした。
「……頭を上げてください。水が冷めます」
ミリアは顔を上げて少しだけ笑った。
甘水は冷めるものではない。
◇
「戻ってきて」
ミリアはまっすぐに言った。
「レオンは王の前で『私の誤りだった』と言いました。王はあなたを召喚するよう命じました。……丁重に、と。あなたの付与の価値を王国はようやく知ったんです」
「……」
「ガルドの帳簿の不正も私が証拠を押さえています。あなたの冤罪は晴らせます。王都に戻れば全部」
俺は井戸の縁に手を置いた。
冷たくて、ざらついていて、俺が最初に付与を掛けた石だ。
「ミリア」
「はい」
「俺はここが家です」
言ってしまってから自分で驚いた。
王都にいた五年間、一度も「家」と呼んだ場所はなかった。
「水があって、畑があって、壁があって。名前を知っている人が百人います。全員の名前はもう覚えきれませんが、覚えてくれる人がいます。……ここを置いては行けません」
「王都に戻ればもっと」
「もっと、は要りません」
ミリアはしばらく黙っていた。
それから井戸の反対側を見た。
腕を組んだまま動かない亜麻色の髪の女を。
「……あの人は」
「リーゼです。この町の帳面を全部見ている人で」
ミリアは小さく頷いた。
それ以上は聞かなかった。
「分かりました」
静かな声だった。
「戻らなくていい。……でも聞いてほしいことが二つあります」
◇
一つ目はガルドのことだった。
「ガルドはあなたの冤罪が晴れることを恐れています。私を脅しました。『アレンも含めて誰も救われない』と。……彼はあなたをここへ送った張本人です。この場所を探し当てられます」
「……」
「王の使いは十日で着きます。私は神殿の馬を潰しかけて六日で来ました。ガルドが誰かを送るなら七日で来る。……つまり明日には」
俺はふた月ほど前にニコが言ったことを思い出した。
徴税官に紛れていた王家の獅子の騎士。
「二つ目は」
「それは」
ミリアは杖を握った。
「……今夜、落ち着いてから。あなたの付与のことです。あなたがたぶん知らないこと」
◇
翌日の夕方、ミリアは世話役の列を少し離れて見ていた。
夜は村長の家で眠った。朝からマーサの窯を手伝っていた。聖女に粉をこねさせる町はたぶんここだけだ。
世話役が名前を言い、新しい人が役割を言い、俺が額に手を当てる。
一人ずつ。
「……五年間、毎晩やっていたことと同じですね」
ミリアが小さく言った。
「剣とローブと杖に。今は百人に」
列が終わる頃、ピムが荒野から戻ってきた。
いつもの音のしない歩き方ではなかった。走っていた。
「管理官。東から馬だ」
「ドルフさんですか」
「違う。十一騎。……荒野の盗賊みたいな格好をしてる。だが盗賊にしては馬が良すぎる」
東。王都からの街道はラッセルを回って東から荒野に入る。ドルフも徴税官もそこから来た。
「距離は」
「まだ半日ある。街道の外れで馬を休ませてる。……夜に来るつもりだ」
ミリアの顔から血の気が引いた。
「……間に合わなかった」
「いえ」
俺は北壁を見た。
ニコとカーラとルッツが、もう壁の上にいた。昨夜のうちにミリアの話を聞いて見張りを倍にしてあった。
「間に合いました。一日早く来てくれたので」




