第20話 消す
──これが第二章の、俺の知らないところで起きていた最後の話だ。王の謁見の、その夜のことだ。
◇
魔術師ガルドは自室の扉に鍵を掛け、椅子に座り込んだ。
震えていた。
怒りではない。恐れだった。
官房に問い合わせが行く。
辞令を手配した官房書記は金で動いた男だ。問い詰められれば三日と持たずにガルドの名を吐く。
聖女は薬局に行った。ヴァンスがそう言った。
帳簿と納品の差。二十五本分の銀貨。口座の名義。あれを突き合わせられれば終わりだ。
そして召喚。
あの男が王都に来る。王の前で口を開く。
「言われた通りに書きました」と。「毎晩、掛けていました」と。地味な声で、頭を掻きながら。
それだけで全部が終わる。
◇
選べる道は二つだった。
一つは連れ戻すこと。
荒野に使いを出し、頭を下げ、パーティに戻れと言う。装備に付与を掛けさせ、勇者パーティは元に戻る。帳簿の件は「誤解だった」で済ませる。あの男ならたぶん許す。そういう男だ。
──だが。
戻せば、四天王を退けた功績はあの男のものになる。王から賜った勲章も、年金も、「勇者の右腕」と呼ばれた五年間も。
地味な付与術師のおまけだったということになる。
ガルドは机を叩いた。
認められるか。
もう一つの道。
王の使いが着く前に、あの男がいなくなること。
荒野だ。狼がいる。熊がいる。管理官が荒野で死んでも誰も不思議には思わない。
死人は王の前で口を開かない。
◇
夜半、男が一人、裏口から入ってきた。
ハウザー。
元近衛騎士。酒と賭博で身を持ち崩し、今はガルドの金で動く男だ。
ふた月ほど前、荒野の噂が王都に届き始めた頃に、ハルトマン辺境伯の徴税官の護衛に金で紛れ込ませ、鷲の旗を持たせて荒野の村を見てこさせた。鞍の金具の獅子は外させなかった。外せばかえって目立つと思ったからだ。
「報告は聞いた通りだな」
「ああ。ノルドの町。北壁は破れん。だが南の門は木だ。人はわしが見たときで六十ほど。噂では今はもう百だ。見張りは夜に一人か二人。管理官は戦えん。壁の下でおろおろしてるだけだ」
「殺せるか」
「一人では無理だ。百人の町だぞ」
ハウザーは酒の匂いをさせて笑った。
「だが十人いればやれる。夜のうちに門を破って火を放つ。住民は壁と火に集まる。管理官は壁の下にいる。……そこを突く。荒野の盗賊の仕業だ。よくある話だ」
「見張りは今も一人か二人か」
「ふた月前の話だ。増えてるかもしれん。……だが百人の百姓だぞ。何人増えようが同じだ」
「十人、集まるか」
「金次第だ」
ガルドは引き出しから革袋を出した。
二十五本分の銀貨がまだ残っていた。
「王の使いより先に着け」
「七日で着く」
「失敗したら」
「失敗はしない」
ガルドは首を振った。
「失敗したときの話をしている」
ハウザーは笑うのをやめた。
「……失敗したら、次は正規の兵を動かす」
ガルドは机の上の紙を見た。
辞令の写し。王が「記憶にない」と言った、あの辞令。
「あの辞令は偽物だった、ということにする。アレン・グレイは王の名を騙って管理官を僭称し、辺境伯の徴税を拒み、荒野に私兵を集めた反逆者。……そう報告すれば討伐命令が出る」
「出るか、そんなもの。王は召喚しろと言ったんだろう」
「王の照会が官房から戻るまで十日はある」
ガルドは指を一本立てた。
「その前に、官房の書記に『辞令は偽造、管理官は僭称』という報告を正規の文書として上げさせる。書記はまだわしの金で動く。討伐命令には軍務卿の署名が要るが、辺境伯領との紛争の体にすれば、辺境警備の一部隊くらいは書記の手で動かせる」
「……王の召喚と討伐が同時に荒野に着くのか」
「討伐が先に着けば、召喚する相手はもういない。それまでにあの男を黙らせておけば書記も黙る」
ハウザーは革袋を懐に入れた。
「あんた、本当に魔術師か。商人のほうが向いてる」
「出ていけ」
◇
扉が閉まった後、ガルドは一人で長いこと座っていた。
五年前。
地味な付与術師が自分のローブに手を当てて、「切れないようにしておきました」と言ったことをふと思い出した。
あのローブは五年間、一度も燃えなかった。
新しいローブは最初の戦いで燃えた。
──たまたまだ。
ガルドはもう一度、自分に言った。
今度は声に出さなかった。
◇
翌朝。
王都の北門を十一騎が出ていった。
先頭はハウザー。荒野の盗賊に見せかけるためのばらばらの装備。
ただし一人だけ、鞍の金具に王家の獅子を残したままの男がいた。外すのを忘れていた。
同じ朝、王都の東門を一騎が出ていった。
白木の杖を背負った聖女。
神殿の馬を借り、誰にも行き先を告げずに。
二組の馬が同じ朝、北へ向かった。
王の使いはまだ支度をしていた。




