↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/30

第16話 聖女の疑念

 ──これも俺の知らないところで起きていた話だ。俺が荒野に来てふた月半ほどが経った頃の。


 ◇


 聖女ミリアは冒険者ギルドの会計室にいた。


「勇者パーティの帳簿を見せていただけますか。……三か月前の遠征の分を」


 会計係の老人は眼鏡を押し上げた。


「聖女様が帳簿を? 珍しい」

「除名の理由になった帳簿です。私はその場にいながら、一度も自分の目で見ていません」


 老人は何も言わずに棚から一冊を下ろした。


 ◇


 帳簿はアレンの字だった。


 几帳面で、小さくて、少し右に傾いた字。五年間、毎晩見てきた字だ。

 宿代。食費。矢の補充。回復薬、三十本。


「……三十本」


 ミリアは指で辿った。

 あの遠征で回復薬を使ったのは五本だ。聖女である自分が治癒を担っている以上、薬に頼る場面はほとんどない。三十本など持ち歩いた記憶すらない。


 ただ、記憶はある。

 遠征の前夜、ガルドが帳簿を手にアレンに言っていた。


 ──回復薬は三十本で記録しておけ。五本は今日、残りは後日届く。受領はわしがやる。


 アレンは言われた通りに書いた。

 納品の確認はガルドの仕事だった。アレンは帳簿に数字を書くだけで、薬が何本届いたかを見る立場になかった。

 それだけだった。


 ◇


 神殿の薬局は、ミリアの顔を見るなり奥から薬師長が出てきた。

 聖女の求めに神殿が断ることはない。


「勇者パーティへの納品記録を」

「三か月前ですね。……回復薬、五本。受領印はガルド様」

「三十本ではなく?」

「五本です。三十本など神殿の在庫でも一度には出せません」


 薬師長は記録の次の行を指した。


「ただ、同じ日にもう一件。『回復薬二十五本分、代金のみ前納。品は後日』。これもガルド様の印です。……品はまだ引き取りに来られていません」

「代金は」

「ギルドの会計から三十本分が薬局に。そのうち二十五本分はガルド様のご指示で別の口座に戻しました。『勇者パーティの予備費』と仰せでしたが」


 薬師長は少し言いにくそうに付け加えた。


「……口座の名義はガルド様ご個人です」


 ミリアは杖を強く握った。


 帳簿に三十本と書かせたのはガルド。

 実際に納められたのは五本。

 二十五本分の銀貨はガルドの指示でガルド個人の口座へ。


 そして水増しの責任を負わされて追放されたのは、言われた通りに書いただけのアレン。


「……写しをいただけますか」

「聖女様のご所望であれば」


 薬局を出たとき、通りの向かいにヴァンスが立っていた。

 目が合った。ヴァンスは慌てて顔を逸らし、人混みに消えた。


 ◇


 帳簿を返しに戻ったとき、ミリアは最後の頁を開いた。


 収支の下に小さな書き込みがあった。帳簿の記録ではない。アレンが自分のために書いていたものだ。


『レオン 剣 掛け直し 異常なし』

『ガルド ローブ 掛け直し 呪詛痕なし』

『ミリア 杖 掛け直し 問題なし』


 毎日、同じ三行。

 日付だけが変わって五年分。


 ミリアは頁を閉じられなかった。


 誰も見ていない帳簿の端に、彼は毎晩、全員の装備を確かめた記録を残していた。

 「問題なし」と書くために、毎晩。


 ◇


「レオン」


 その夜、ミリアは宿の食堂でレオンに写しを見せた。

 レオンは長いこと黙って読んだ。


「……ガルドが?」

「薬局の記録です。納品は五本。差額はガルドの口座に。アレンは言われた通りに書いただけ」

「……」

「レオン。私たちは無実の人を追放したんです」


 レオンは写しを机に置いた。

 手が少し震えていた。


「五年、一緒にやってきた。ガルドとはアレンより長い」

「ええ」

「……ガルド本人に聞く。俺の口から。それまで少し時間をくれ」


 それだけ言ってレオンは立ち上がった。

 三本目の剣が椅子に当たって鈍い音を立てた。


 ミリアは彼を止めなかった。

 時間はない、と言いたかった。でも言えなかった。


 ◇


 部屋に戻ると、戸口にガルドが立っていた。


「聖女様。今日、神殿の薬局にいらしたそうで」


 穏やかな声だった。


「……ええ。薬の補充を」

「それは結構。……ただ、聖女様。余計なことはなさらないほうがいい」


 ガルドは笑っていた。


「勇者パーティは今、苦しい時期です。内輪の帳簿など穿り返しても誰も救われない。……アレンも含めてね」


 最後の一言だけ声が低かった。


 ガルドは廊下の奥へ消えた。


 ミリアは扉を閉めて鍵を掛けた。

 杖を抱えて床に座り込んだ。


 ──アレンも含めて。


 あれは脅しだ。

 ガルドはアレンをどこへ送ったか知っている。辞令を用意したのはガルド自身なのだから。荒野のどこにいるかまでは知らなくても、探す気になれば探せる。

 そしてヴァンスはガルドに見張りを頼まれていた。今日の自分の足取りは全部ガルドに届いている。


 ミリアは杖に額を押し当てた。


「……アレン。ごめんなさい」


 五年前、「切れないようにしておきました」と照れたように言った男の顔を思い出した。


 誰も動かないなら。

 私が行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。