第15話 鍛冶師バルド
鷲の旗が去って半月ほどが経った夕方だった。
その男は金槌を一本だけ持って門の外に立っていた。
大柄で、腕に古い火傷の跡がいくつもある。荷物はない。金槌だけを赤ん坊のように抱えていた。
「バルド。鍛冶屋だ」
夕方の広場で世話役のゲルトが名前を読み上げると、男は低い声でそれだけ言った。
「役割は鍛冶。……炉があれば、だが」
「どこから来たんですか」
「ラッセル。ハルトマン領の鍛冶ギルドに税が払えなくなって店を取られた。……あんたのところも鷲の旗が来たんだろう。噂で聞いた」
俺は何も言わなかった。
バルドの額に手を当てた。掛かった。
「炉はありません。でも」
俺はゲルトを見た。
ゲルトはもう腕まくりをしていた。
「石と泥ならいくらでもある」
◇
炉は四日でできた。
ゲルトが石を積み、バルドが形を指図し、双子が泥を運んだ。
ふいごの革はベルタが古い外套を潰して縫った。
鉄はドルフが次の便で屑鉄を運んできた。折れた鋤の刃、曲がった蹄鉄、古釘の山。銀貨二枚分。
「これで何が作れますか」
「鍬なら五本。鎌なら十本」
バルドは屑鉄を一つずつ手に取り、音を聞き、選り分けた。
「鉄は悪くない。……あんたの付与とやらを掛けてから打つのか?」
「やってみます」
◇
それが失敗だった。
バルドが一番大きな鉄片を一つ取り分けて俺に渡した。
「試しだ。これ一つにやってみろ」
俺は鉄片に手を当てた。
これは鉄。役割は鍬になること。
「不壊」
いつもの染みていく感触。
バルドが鉄片を火に入れ、赤くなるまで待ち、金床に乗せて金槌を振り下ろした。
──甲高い音がして金槌が跳ね返った。
「……おい」
バルドがもう一度振った。
鉄はへこみもしなかった。赤く焼けているのに形が変わらない。
「叩けねえぞ、これ」
「あ」
俺は自分の手を見た。
不壊。壊れない。
壊れないということは、曲がらない、潰れない、形を変えない。
鍛冶とは鉄の形を変える仕事だ。
「……すみません。付与は打った後に掛けます」
「当たり前だ! 試しで良かったな。山ごとやってたら鉄を全部駄目にしてたぞ」
バルドが怒鳴った。でも口の端が少し上がっていた。
「その鉄はどうするんですか」
「知るか。一生、鉄の塊のままだ。炉の重しにでもする」
不壊の鉄塊は今も炉の脇に置いてある。
俺の、付与の順番を忘れないための戒めとして。
◇
二日後、最初の鍬ができた。
バルドが打って、研いで、柄をつけた。何の変哲もない鍬だ。
俺はそれを受け取って刃に手を当てた。
これは鍬。役割は新畑を耕すこと。
今度は二つ掛けた。
折れない。そして鈍らない。
「不壊。鋭利」
バルドが鍬を取り、炉の脇の不壊の鉄塊に全力で振り下ろした。
鉄と鉄のぶつかる音が村中に響いた。
鍬の刃は欠けていなかった。鈍ってもいなかった。鉄塊のほうに浅い傷がついていた。
「……不壊の鉄に傷が」
「不壊は、折れない、砕けない、だけみたいです。表面の傷までは防がない。……鋭利の鍬ですから、どっちが勝つんでしょうね」
「知るか」
バルドは鍬をしばらく眺めて、それから俺に突き返した。
「最初の一本だ。誰に使わせるか、あんたが決めてやれ」
俺は少し考えた。
それから広場の端で新畑を見ていた老人を呼んだ。
「オットーさん。これ、使ってもらえますか」
ラッセルで畑を取られた老人は、鍬を受け取って長いこと刃を見ていた。
「……わしの鍬は三年で刃が駄目になった。毎年、研ぎに出す金が惜しくて」
「これは研がなくていいです。……ずっと」
オットーは何も言わずに新畑に向かって歩いていった。
その背中を妻のグレタが追いかけた。
◇
「売れるぞ、これは」
翌日、ドルフが鍬を手に言った。
「折れない鍬、鈍らない鎌。農家なら一生に一本でいい。……銀貨五枚でも売れる。水より儲かる」
「武器は?」
バルドが横から言った。
「剣も作れる。折れない剣なら銀貨五十枚だ」
俺は首を振った。
「武器は作りません。売る分は」
「なぜだ」
「ドルフさんが前に言いました。樽の付与を商人が知ったら戦争になる、と。……折れない剣はもっと早く戦争になります」
俺は炉の火を見た。
「売るのは農具だけです。武器はこの町を守る分だけ。ニコの剣と、あと何本か」
バルドはしばらく黙っていた。
「……ギルドに店を取られたとき、最後に作ったのが徴税官の護衛の剣だった」
それだけ言って炉に戻った。
反対はしなかった。
◇
夕方、バルドは鍬を打つ手を止めずに言った。
「次は井戸の滑車を作る。鉄の軸なら桶を引く速さが倍になる」
「……助かります」
「礼はいい。それより管理官」
金槌の音が一拍止まった。
「ラッセルの鍛冶ギルドは辺境伯とつながってる。俺が折れない鍬を打ってると知ったら黙っちゃいねえぞ」




