第14話 辺境伯の使者
泉から戻った、その日の夕方のことだ。
五騎は門の前で止まった。
先頭は黒い外套の痩せた男。後ろの四人は黒地に銀の鷲の旗を掲げた騎士だった。
荒野の村には場違いなほど立派な馬だった。
「東のハルトマン辺境伯閣下より参った。徴税官ローデンである。この村の長は誰か」
村人が俺を見た。
俺は門の内側から一歩出た。
「管理官のアレン・グレイです」
「管理官?」
ローデンは馬上から俺を見下ろした。
「聞いたことがないな。グレイス荒野は二十年前から無主の地だ。無主の地は隣接する領主の管轄に入る。つまりハルトマン辺境伯領だ」
「……王国の辞令があります」
「見せてもらおう」
◇
村長の家でローデンは辞令を広げた。
王家の印章。「王国直轄地グレイス荒野の管理および復興を命ず。領主待遇とす」。
「……本物のようだな」
ローデンは鼻で笑った。
「だが知っているぞ。この任地がどういう場所かは。失脚した者を体よく捨てる場所だ。『領主待遇』など名ばかりの」
「名ばかりでも」
俺は辞令の一行目を指した。
「『直轄地』と書いてあります。王国の土地です。辺境伯閣下に課税の権限は」
「書いてあるだけだ。二十年、直轄地として誰一人管理していない。実態は無主の地だ。……では王都に照会しよう」
ローデンは辞令を指で弾いた。
「返事が来るまで早くて半年。わしが急がせなければ一年。その間、この村の井戸と畑は辺境伯領の管理下に置く。異議があるなら王都に申し立てればいい。……一年後にな」
リーゼが椅子を蹴って立った。
俺は手で制した。彼女は座らなかったが黙った。
「税の中身を伺っても」
「収穫の三割。それと『ノルドの甘水』とやらは樽一つにつき銀貨一枚」
「……売値と同じです」
「知っている」
ローデンは初めて笑った。
「ラッセルの市場でずいぶん評判だそうだな。辺境伯領の町で商売をして辺境伯に一銭も納めないのは、いかがなものか」
◇
俺は辞令を見た。
この紙一枚で何ができるのか。何もできないのかもしれない。王都に照会して半年。その間に井戸を取られて、畑を取られて。
王都で五年、俺は言われたことをやるだけだった。言い返したことは一度もない。
──でも、ここは俺が決めると言った場所だ。
「お断りします」
声は思ったより落ち着いていた。
「井戸も畑も、この村の人が二十年守ってきたものです。辺境伯閣下の管理下には置けません」
「断れる立場だと思っているのか」
「思っていません。でも断ります」
ローデンが辞令を掴んだ。
「こんな紙切れ一枚で」
そして両手で引き裂こうとした。
──破れなかった。
ローデンはもう一度力を込めた。紙はしわ一つ寄らなかった。
後ろの騎士たちがざわついた。
「……なんだ、これは」
「あ。すみません」
俺は頭を掻いた。
「王都を出る前に、なくさないようにと。癖で不壊を」
「紙に!?」
リーゼの声だった。
◇
ローデンが辞令を机に叩きつけたとき、リーゼが口を開いた。
「ねえ、徴税官様」
低い声だった。
「二十年。この村に鷲の旗は一度も来なかった。狼に三人食われた年も。井戸の水で子どもたちが熱を出し続けた十年も。私の父さんが咳で寝込んでた十年も。……辺境伯は何をしてくれた?」
「無主の地に義務はない」
「無主の地に税はあるの?」
ローデンは答えなかった。
「水が甘くなった途端に鷲の旗が四本。ずいぶん目がいいのね。死にかけの村は見えなくて、銀貨は見える」
「口を慎め、小娘」
「慎まない」
リーゼは机に両手をついた。
「甘水はラッセルの市場で売ってる。ラッセルはハルトマン領の町。市場税はもう辺境伯の懐に入ってるはずよ。止めたければ止めなさい。ラッセルの宿屋の女将があんたの名前を覚えるわ。息子の腹を治した水を止めた徴税官の名前を」
部屋が静かになった。
ローデンの顔が少し赤かった。
リーゼは座らなかった。
◇
「……閣下に報告する」
ローデンは破れなかった辞令を一瞥して立ち上がった。
「わしは徴税官だ。王家の印章入りの辞令を破り捨てる権限はわしにはない。閣下に判断を仰ぐ」
「税は払いません」
俺はもう一度言った。
「ただし。辺境伯閣下ご本人がいらっしゃるなら、お話は伺います。閣下の領地とこの村とで何ができるか。……税ではなく取引なら」
ローデンは俺を長いこと見た。
「アレン・グレイ、と言ったな」
「はい」
「その名、覚えておく」
五騎は東へ去っていった。
◇
門が閉まってから、リーゼが椅子に座り込んだ。
「……言いすぎた?」
「いえ。俺には言えませんでした」
「あんたも断ったじゃない。『思っていません。でも断ります』って」
リーゼは小さく笑った。
「王都で五年、一度も言い返さなかった人の台詞とは思えなかった」
「自分でも驚いてます」
そこへニコが入ってきた。
珍しく早足だった。
「管理官。……一つ、気になることが」
「はい」
「騎士の四人のうち一人だけ。旗は同じ鷲だったが、鞍の金具に刻まれた紋が違った。鷲じゃない。……獅子だ」
ニコは腰の剣に手を置いた。
「王家の獅子。あれは王都の騎士だ」




