↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/30

第11話 名前を知らない人には掛からない

 新畑の芽は出た。

 ただし半分だけ。


「北の畑は三日で膝まで伸びた。こっちは三日で指の長さ」


 リーゼが帳面に何か書きつけた。

 新畑の土はまばらに緑が点在しているだけだった。芽が出た列と出ない列が交互に並んでいる。


「収穫まで二十日。量はたぶん北の畑と同じくらい。五倍の広さで同じ量」

「……薄く掛けた分、ちょうど薄くなったんですね」

「ないよりまし。でも次はちゃんと決めて」

「はい」


 町にする、と宣言してから十日が経っていた。


 ◇


 人は来続けた。


 宣言の翌日に二人。三日後に五人。その後も二日に一度は門の外に誰かが立っている。

 リーゼの帳面によれば今日で五十八人。


 俺の一日はこうだ。


 朝、新しく来た人の名前を聞く。空き家に案内する。

 昼、役割が決まった人を探して額に手を当てる。

 夕方、屋根を直したゲルトの家に新しい梁の付与を頼まれる。窯が増えたので二つ目の窯に均熱を掛ける。井戸の桶が割れたので新しい桶に。


 夜、名前を忘れていないか帳面を見返す。


「アレン、ベルタのところの新しい子、まだ掛けてないって」

「あ、……ええと、昨日来た」

「三日前よ」


 リーゼの声が少し低かった。


「その子、昨夜から熱を出してる」


 ◇


 ベルタの家に走った。


 藁の上で知らない女の子が浅い息をしていた。

 三日前に来た一家の末の子。名前は聞いたはずだ。聞いたはずなのに出てこない。


「……名前は」

「ロッテです」


 母親が涙声で答えた。


 ロッテ。三日前に来て、まだ役割のない子。

 いや、違う。

 何かを成し遂げる役割でなくていい。ヨナスのときと同じだ。この町で母やきょうだいと暮らして生きていくこと。それがこの子の役割だ。最初からあった。


 ──俺がこの子の名前を忘れていただけだ。


「ロッテ。この町で母さんと兄さんと暮らして、育っていく子」


 額に手を当てた。


「頑健」


 掛かった。


 頑健は病を消さない。体が自分で押し返すのを少し助けるだけだ。

 それでも、その夜のうちにロッテの熱は峠を越えた。


 母親に何度も頭を下げられて、俺は何も言えなかった。

 三日間この子の名前を思い出せなかった男が、感謝される資格はない。


 ◇


 その夜、俺は広場に立った。


 三十人のときは全員の顔と名前が頭に入っていた。

 五十八人。あと十日で七十人になるかもしれない。百人になったら俺は何人の名前を忘れるのだろう。


 何か近道はないのか。


 一つ目。

 三十人のときは「ノルド村の皆さん」で空振りした。でも北壁は何十本の丸太でも一つの壁として掛かった。村人がそう呼ぶ名前があったからだ。

 なら、「町」になった今なら。みんなが「ノルドの町」と呼び始めた今なら、一つの対象になるかもしれない。


 広場に向かって手をかざした。


「ノルドの町の住人全員に。頑健」


 ──掛からない。

 壁は一つの物だ。人は五十八人の別々の人だ。名前でひとまとめにはならない。


 二つ目。

 人に直接でなくても、人が必ず通る物に掛けて、そこから渡せないか。

 門に手を当てた。門の役割は、人を通し、狼を止めること。


「この門をくぐった人を頑健に」


 ──掛からない。

 門の役割は「通す」ことだ。「くぐった人を守る」ことではない。役割の外には効かない。


 三つ目。

 通るだけでなく、体の中に入る物なら。

 井戸に手を当てた。


「この水を飲んだ人を頑健に」


 ──掛からない。

 井戸の役割は水を届けること。飲んだ人を守ることではない。


 俺は井戸の縁に座り込んだ。


 三つ試して分かった。

 物を介しても、人の名前と役割を飛ばすことはできない。人への付与はその人を知ってからしか掛からない。


 近道はない。

 人には人として向き合うしかない。名前を聞いて、何をする人なのかを知って、額に手を当てる。一人ずつ。それ以外に方法がない。


 ──それが俺の付与だ。

 地味で、遅くて、一人ずつしか掛けられない。王都で五年、言われ続けた通りの。


「何やってんの、こんな時間に」


 リーゼだった。

 返事を待たずに隣に座った。


「近道を探してました。見つかりませんでした」

「でしょうね」

「……すみません。ロッテのこと」

「謝るのは私にじゃないでしょ」


 リーゼは膝を抱えた。


「ねえ。あんた一人で全部覚えようとしてるでしょ」

「それが俺の役割なので」

「違うわよ」


 リーゼは帳面を開いた。

 そこには俺の知らない字で名前が並んでいた。


「ベルタが書いたの。宿で帳場をやってたから、人の名前を覚えるのは得意だって。……新しく来た人には古い村人を一人ずつ世話役につける。世話役が名前と何をしたいかを聞いて、夕方、広場であんたに引き合わせる」

「……」

「あんたは夕方だけ広場にいればいい。名前は世話役が覚える。あんたは額に手を当てる」


 俺は帳面を見た。

 ロッテの名前の横に、ベルタの字で「世話役:マーサ」と書いてあった。


「……いつの間に」

「あんたが井戸に向かって独り言を言ってる間に」


 ◇


 翌日の夕方、広場に列ができた。


 新しく来た人と、その横に古い村人。世話役が名前を言い、新しい人が自分の役割を言い、俺が額に手を当てる。


「ヨナス爺さんの世話役は俺な」


 列の後ろでゲルトが言った。隣でヨナスが黙って頷いた。


 一人ずつ。

 一人ずつしか掛けられない。でも名前を覚える人が五十人いる。


 ──それなら百人でもいけるかもしれない。


 ◇


 列の最後にニコがいた。

 世話役ではない。自分の番でもない。


「……一つ、言っておきたいことが」

「はい」

「人が増えれば悪い奴も来る。噂を聞いて来るのは腹を空かせた奴だけじゃない。見張りを増やしたほうがいい。……今は夜、俺と交代でゲルトだけだ」


 俺はニコを見た。


「兵隊だったんですか」

「……昔」


 それだけ言って、ニコは北壁に戻っていった。


 ◇


 その三日後、南の荒野に砂煙が上がった。


 ドルフの荷馬車だった。ロバが三頭に増えていた。

 荷台から降りたドルフは、いつもの塩と油の前に、布で巻いた細長いものを俺に差し出した。


「王都で妙なものを見つけてな」


 布を解くと、飾り気のないただの鋼の剣が出てきた。

 刀身には傷一つ、曇り一つなかった。


「研いでないのに新品より鋭い。……あんたの仕事だろう、これ」


 俺はその剣を知っていた。

 五年間、毎晩磨いた剣だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。