3章
朝食を終えると僕らはまた、昨日の公園に出かけた。二人でベンチに腰を掛けたその時だった。
「おい、松坂。松坂じゃねえのか?」
僕は、驚いた。
振り向くとそこには友人の吉田が古びたジャンパーに手を突っ込み、愉快そうな顔をして立っていた。
「よう、誰なんだその人、姉さんか?」、彼は、すず子を見つめ言った。彼の視線は酒飲みの視線の様にニヤニヤ絡みついて来た。
すると彼に向かって、真剣にすず子が言った。
「失礼ね。この人の婚約者よ」、僕は、特別否定する気も起きなかった。
「最近、婚約したんだ」、僕は、すず子を見つめながら言った。
「ろくに仕事もしないくせに、やることはやってたんだな。どこで知り合ったんだ?」
彼はさらに僕に詰め寄った。
すると隣に座っていったすず子が立ち上がり、大きな声で彼に向かい怒鳴りつけるように叫んだ。
「あんたに関係ないでしょ 」
吉田は驚いたようにすず子を見つめ、一歩あとずさった。
「行きましょ」、すず子は僕の手を取り言った。
「また今度飲みに行こうぜ」、彼は最後に一言、言った。
僕らはそのまま、すず子の部屋へと向かった。
そして、僕らは、彼女の部屋で、一緒に暮らし始めた。
一緒に暮らし始めて2、3ヶ月ほど経った、ある日の日曜だった。まだ、することも決まらずにいた僕に、珍しく健二から連絡が入った。
母が入院したらしかった。
僕は素直に今までの一部始終を健二にさらけ出した。
健二は、時折笑いながら、舌打ちも交えて、聞いていた。
そしてすず子の名前を出した時、
どういう訳か、スマホの向こうの健二の顔色が見えるようだった。
僕は、テーブルのコーヒーに手を掛け、
「どうしたんだい?」、言ったが、それには健二は答えずに
「好きにできるのも、今のうちだぞ」
最後に、健二はそう言って電話を切った。
そんな僕は、ある日、新聞を見つめながら学生時代の妄想に包まれていた。
*
僕は幼い頃から絵が好きだったせいもあり、高校時代から美術部に入部し、絵ばかり描いていた。
美術部は学校の美術室で活動する、十人ほどの絵の好きな、どちらかと言うと変わり者の集まりだった。
僕の描いた絵は、市のコンテストで入選もした。僕は、絵を描き続けたかった。
しかし、三年生になると僕は受験勉強が、生活の中心となった。弟の健二はT大の文学部志望だった。僕は健二に負けたくなかった。
僕にはとても手の届かないレベルだったが、僕は父に頼んだ。
「一浪覚悟で俺も行きたい!」
父は言った
「本当に一浪で行けるのか?」
「行って見せる」、なんの根拠もない強気な宣言だった。
父は当然僕の性格は知っていた。もう半分呆れたように言った。
「まあ、やるだけやってみろ。頑張れや」
結果は健二は現役で合格したが、僕は当然のように落ちた。
父はそんな僕に全く何も言わなかった。僕が浪人生活に入ってから、一言も僕に声を掛けなくなったのだった。夕食時に、僕の顔さえ見ない。
母は、時折、夜の十時過ぎに僕の部屋に来た。部屋のドアにノックの音がすると、僕は慌てて読んでいた漫画の本を隠し、机に向かって参考書を広げ勉強をしていた振りをしたが、
そんな僕の机の横に、コーヒーを置き、母は言った。
「調子はどうなんだい?頑張りなさいよ」
いつも同じセリフで僕を励ましてくれた。しかし、不思議とこのセリフが僕の心に響くのだった。そして少し甘めの、暖かいコーヒー・・・・。
「頑張る」、とは?・・・。今以上のものを狙う、今以上の自分になる。僕の心が固まるのではなく、僕の心の中の迷いは、さらに深くなっていくのだった。
桜の花が咲き始めていた。
僕は私立大学の経済学部にやっと合格した。しかし、授業も出ずに、絵ばかり描いていた僕は、進級できずに退学になった。
*
そんな学生時代の思い出を思い出しながら、ボーっと新聞上の絵画コンテストの記事を見つめていた、そんな僕にすず子が言った。
「描かないの」
僕は返事もせずに、その記事の内容を見つめた。
「あと、一ヶ月……」
そして、力強くタバコを取り上げ、火をつけた。
半年たった頃だった、
「あなた、この前のコンテストの結果はどうだったの?」
「コンテスト?」、実話、一次選考も通らなかった。
「応募したんでしょ?」、すず子の真剣な表情は僕を驚かせた。
「あっ、ああ……」
「どうだったの」
「あっ、ああ……。だめだった」
「そう、次があるわよ」
その週の日曜日の昼、僕は、すず子に声を掛けた。
「飯でも食いに行かないか」
「あっ、ちょっと急用ができたから、一人でお願い」珍しくそう答えたすず子の顔色が気になった。
健二の電話では母の容態は良くないらしかった。僕はその日一人で病院に出かけた。




