8.
「お父様」
主役のエメリーネが最初に踊らなければ、他の出席者は踊れない。そしてエメリーネのファーストダンスの相手は父王であり、それが慣例である。
「こうしてエメリーネと踊れる日がやってくるとはな。月日の流れは早いものだ」
手を取って広間の真ん中へと進んだ二人だが、少し父王の手がわずかに震えているのに心が痛んだ。
エメリーネがくるりと回るたび、純白のドレスが大きく広がり、シャンデリアの光を受けてきらめく。フリルの波が揺れ、まるで光の花が咲くよう。
美しいダンスに誰もが見惚れ、音楽が鳴り止んだときにはため息と拍手、歓声があふれかえっていた。
「わたくしもお父様とこうして踊れる日を迎えることができて、感無量です」
給仕から飲み物を受け取ったエメリーネは、葡萄酒の杯を父王に手渡した。
「久しぶりに彼らと話をしてくるよ」
そう言って国王が向かった先は、テレジア教の大司教たちが白いローブを揺らして集う一角。そこは黄色や緑色の空気が漂い、穏やかな雰囲気に包まれている。
残念ながら教皇は巡礼以外でコリオの大聖堂を離れることはできないため、この場にはいない。
エメリーネも誰かと話をしようと思い、ぐるりと広間を見回した。
踊っている者、話に花を咲かせている者、飲み物や料理を楽しむ者など、それぞれだ。やはり彼らは異なった色の空気を持っており、特に黄色や緑色の空気が多い。
ここでエメリーネは、二曲目は誰と踊るべきかと思案する。基本的には男性からダンスに誘うのがマナーである。しかし、デビュタントの日に限って、女性側から誘ってもマナー違反にはならない。
それに、王女のエメリーネをダンスに誘う勇気ある男性など、どれだけいるだろうか。身分の高い者に対して、気軽に声をかけてはならない。そうは言いつつも、ダンスは別である。むしろここぞとばかりにエメリーネに声をかけるチャンスだと思っている者も多い。
さらに今、ここにいる人たちは、王女エメリーネが誰と踊るのかと、興味津々なのだ。国王の次に踊った男性が、エメリーネの伴侶として最も近い地位にいると考えている。
(どうしよう……)
このままここにいれば、間違いなくアルマスが誘いにやって来る。そしてそのまま誘いに応じて踊ってしまったのが一度目の人生で、それが屈辱の始まりだった。
今回はそれを断固として拒否したい。
誰かに助けを求めるかのように、エメリーネは素早く視線を動かす。
父王の側にはベルトルトがいた。司教のローブをまとい、金色の髪がさらりと揺れる彼は、にこやかに相槌を打っている。
そんな彼をじっと見つめると、ベルトルトもエメリーネの眼差しに気づいたようだ。
その視線がエメリーネと交錯した瞬間、ねっとりとした視線を感じた。
はっとして振り返ると、アルマスが不気味な笑みを浮かべて近づいてくる。黒い空気が蛇のように這い、彼の意図を際立たせる。
(もしかして、あれはオーラと呼ばれる人のエネルギー? 欲望なのかしら。一度死に時間が巻き戻ったわたくしに、テレジア神が与えてくれた力……?)
だから、色のついた空気が見えるようになったのだろうか。一度死んだエメリーネであり、しかも時間が五年前にまで巻き戻っている。そのため不思議な力を身につけたとしても、さほど驚きはしない。むしろ、そうでもしないと二度目の人生の意味もないだろう。
(オーラが見える人と見えない人。人によって色が違うというのはわかったけれど……その違いはよくわからないわ。それよりも……)
真っ黒いアルマスが近づいてくるほうが問題である。彼は確実にエメリーネをダンスに誘う。
それから逃げるようにして、エメリーネはベルトルトの元へと向かった。ベルトルトもこちらに向かって歩いてくる。
アルマスが近づくよりも先に、ベルトルトがエメリーネの手を取った。
「エメリーネ王女。どうか一曲、踊っていただけないでしょうか」
「ええ、喜んで」
ベルトルトであれば、二曲目の相手にふさわしい。聖職者でありながら、エメリーネの幼馴染みというのは、王城に出入りできる身分の者であれば誰でも知っている事実。
「ありがとう、ベルトルト。気づいてくれて……」
「いえ。父からもエメリーネ王女とは一曲踊るようにとは言われていたんです。ただ、そのタイミングがわからなくて……」
「ええ、わたくしもよくわからないわ。だけど、踊りたくない相手がいるのよね。そういうときは断ってもいいとは教えてもらったのだけれど、始まってすぐに断るのもねぇ?」
ベルトルトがエメリーネをくるりと回転させる。ドレスが優雅に揺れ、観衆の視線が集まる。
「そうですね。疲れたのでという理由にしても、さすがに一曲踊っただけで疲れてしまっては……」
ベルトルトの言うとおりだ。体力のない王女には、公私ともに支える人間が必要だとか、すぐに結婚相手をという話にまで膨れ上がるだろう。そしてその話に気をよくするのはアルマスなのだ。
「同じ人と続けて踊ってはならないというし……次は、誰と踊ればいいかしら? あの人が誘いに来る前に、次の相手を選びたくて……」
「あの人?」
ベルトルトは不思議そうに顔を傾げる。
「あぁ、ごめんなさい。踊りたくない人のことよ。今も、わたくしのほうに近づいてきたから、逃げてきたの」
「では、父はいかがでしょう? 父はエメリーネ王女を娘のように可愛がっておりましたよね」
「ええ、そうね。ありがたいことだわ」
ここはベルトルトの言うとおり、大司教デオバルトと踊るのが無難だろう。
踊りながらも、黒い影が視界に入る。その持ち主はもちろんアルマスである。
(あのオーラ。便利ね。アルマスがどこにいるかすぐにわかるもの……)
曲が途切れたら、彼がいる場所とは反対側に抜けよう。きっとアルマスは、ベルトルトと別れたエメリーネをすぐに誘ってくるはずだ。
「ありがとうございました」
ベルトルトが礼をし、二人はダンスの輪から抜け出した。
デオバルトの元へエメリーネが向かおうとしたとき、誰かから声をかけられた。
「王女エメリーネ」
うわっと、歓声が上がった。
「どうか、私と一曲踊っていただけませんか?」
跪いてエメリーネの手を取り、ダンスに誘ってきたのはオディロンだった。




