55.
ぐるぐると考えごとをしていたら、いつの間にか眠っていたようで、室内はすっかり明るくなっていた。昨夜は遅くまでパーティーが開かれていたから、今朝は誰もがゆっくりだ。
ベルを鳴らすと、「おはようございます」とシーラがすぐに現れた。
「おはよう、シーラ。あなたはゆっくり休めたかしら?」
「はい。今まで、ゆっくりしていましたから」
シーラは、エメリーネが寝坊したから休めたとでも言いたげである。
「今日、何か特別な予定はあったかしら?」
「いえ、今日はゆっくりお休みになられてください。ただ、ジオグ国のレジス王太子殿下が滞在しておりますので」
つまり、レジス王太子の相手をしなければならないのだろう。オディロンがつれてきたなら、彼が面倒をみればいいのに、と心の中でぼやく。だが、レジス王太子の滞在を許しているのは父王であるが。
結局、エメリーネが目覚めたのは昼近くであったため、その日は昼過ぎまで、自室でゆったり過ごすことにした。
その後は、執務室で昨夜のパーティーの参加者、そして共に踊った相手を確認する。贈り物の目録はすでに届けられており、どうやら式部官たちも学習したらしい。
エメリーネはそれをエリナと確認し、お礼状をどうするかと相談し始めた。
そうやって、少しずつ仕事を行っていると、シーラが「レジス王太子殿下が、エメリーネ様の都合をうかがいたいそうです」とやってきた。どうやら彼は、エメリーネと話をしたいらしい。
「では、東屋で一緒にお茶はいかがかしら? わたくしも、ちょうど休憩したいと思っていたところだから」
レジス王太子がこちらに滞在する理由も、それとなく聞き出しておきたい。
エメリーネがシーラとエリナを連れて東屋へと向かえば、侍女たちがいそいそとお茶会の用意を整えており、席についたところですぐに、レジスもやってきた。
「お招きいただきありがとうございます」
「わたくしも、ゆっくりお話したいと思っていたのです」
「そのようにおっしゃっていただけるとは、光栄です」
まずはあたりさわりのない言葉を交わし、シーラとエリナを下がらせたところで、レジスがここにとどまる理由を問いただす。
「僕もエメリーネ王女に興味があるのです」
「つまり、わたくしの婚約者を決めるときまでいらっしゃると?」
「はい、陛下が許してくだされば」
父王のことだから、ダメだとは言わないだろう。
「わかりました。父にはわたくしからも進言いたしますわ」
「おっと、それは心強い話です。では、それまでは僕に付き合っていただいでもよろしいでしょうか?」
「そうですね。陛下が認めていらっしゃるのですから、この国とジオグ国の今後の関係のためにもお付き合いいたしますわ」
「エメリーネ王女なら、そうおっしゃると思いましたよ」
レジスとの茶会は悪いものではなかった。
さらにその日の夜は、父王も交えて三人での晩餐となったが、そこでレジスは「街の視察をお願いしたのです」と提案した。
もちろん、父王はそれに反対するわけでもなく「エメリーネ、いい機会だから対応しなさい」と言われてしまえば断れない。
結局、三日後、レジスと共に街の視察に出た。視察先に選んだのは、エメリーネも幾度となく足を運んだ孤児院、そして聖堂と無難な場所である。
孤児院では、レジスは子どもたちに囲まれても嫌な顔一つ見せず、丁寧に対応する様子は好感が持てた。子どもたちなんかは「王女様、王子様と結婚するの?」と勘違いする始末。
それをやんわりと訂正して、次の視察場所である聖堂へと向かった。
聖堂には次から次へと人がやってきては、石像の前で祈りを捧げて帰っていく。
「建物の造りは大してかわりはありませんね。ただ、ジオグ国と比べると人が多い印象です」
「昼間は、すべての者に解放しているのですが、夕方は王族のための時間となるのです」
「ジオグ国では、テレジア教と王族は完全に独立していますからね。エメリーネ王女は、テレジア教の司教とも懇意にされているとお聞きしていますが」
ベルトルトのことを言っているのだろう。
「はい。我が国ではテレジア教を国教としておりますので。わたくしにとって、ここは遊び場のようなところです」
「なるほど。ガレッティ国では、本当にテレジア神が親しまれているのですね」
「そうですね。神頼みという言葉もあるくらいですから」
貧困の足音はすぐそばまでやってきている。特に商売をしている者なんかは、その気配を顕著に感じ取っているにちがいない。だからこそ、テレジア神に祈りを捧げにくるのだ。神にすがってでも、今の生活をよくしたいと。
三十分ほど過ぎた頃、聖堂からぱたりと人の姿が消えた。
「へぇ……これは見事ですね」
「はい、この時間帯はわたくしたち王族のための祈りの時間です。レジス王太子もいかがですか?」
「僕は、真面目な信者ではないのですが……せっかくの機会なので、祈らせていただきます」
祈りを捧げた後は、告解室でテレジア神と話をするのがいつもの流れだと説明すると「では、僕にもテレジア神と話をさせてください」と乗り気であった。
ジオグ国には告解室がないのかと尋ねれば「ですから、我が国では王族とテレジア教は独立しているんです。告解室で何か言えば、それが王族にとって不利な情報にもなり得るわけです。テレジア教の前では決して弱みは見せられません。だから父は僕にレジスという名をつけたのです。テレジア神に負けないようにと、似たような名前を」
さりげなくレジスの名前の由来を知ってしまった。
「安心してください。ガレッティ国のテレジア神は、口のかたいものばかりです」
「なるほど。それなら僕もこちらのテレジア神と話をしてみる価値はありそうですね」
エメリーネが懇意にしているテレジア神に興味をもったらしい。
「では、テレジア神とのお話が終わりましたら、待合室でお待ちください」
レジスが告解室の扉を開けて仲に入っていくのを確認してから、エメリーネも手前の扉を開けた。
静かに椅子に腰を下ろすと、衝立の向こうから人の気配が伝わってきた。
「どうだ? レジス王太子殿下は」
テレジア神に似合わないような荒々しい口調に、エメリーネもふふっと笑みをこぼす。
「今日は粗野なテレジア神なのですね」
「本物は、レジスの相手をしているよ」
本物とはベルトルトか、デオバルトか。
「それで? レジスは何か気になることを言っていたか?」
衝立の向こうのテレジア神は、正体を隠す様子もない。
「……そうですね。例のクロック公爵夫人の首飾りです。お母様が似たようなものをもっていたというあの話ですが……」
間違いなくあれは母妃のものだろうと、エメリーネは答えた。
「やはりな。では、俺のほうからもいくつか伝えたいことがある。まず、王妃の宝飾品をアルマスが勝手に売っていた件。それはイニドロス国へ流れていた」
イニドロス国は、国教の街リマンドに接する隣国だ。リマンドの街を治めるコソラ辺境伯は、アルマス派の一人。そこを通じてイニドロス国へ物を流すのは難しい話ではない。
「そして面白いことに、クロック公爵夫妻がイニドロス国に視察へ行ったときに、例の首飾りを購入したらしい」
「それは、あなたの優秀な部下たちが調べた結果かしら?」
エメリーネなりの冗談のつもりだったのに、軽く流された。
「クロック公爵には、あの宝石を手に入れる理由に後ろめたいことなどなかったはずだろう? 珍しいものだからどこで買ったかを尋ねたら、すぐに教えてくれたよ」
やはりレジスが言ったように、珍しい宝石はエメリーネの前から消え、またぐるりとまわってエメリーネの前に戻ってきたのだ。
「これでアルマスの悪事もいろいろそろったようね。これらをすべて、わたくしの婚約者を決める議会で突きつけたらどうなるかしら?」
「宰相閣下がどう反論するか……見物だな」
エメリーネは、小さな窓の向こうにいるオディロンに向かって、強いまなざしを向けた。決して交わることのないその視線、だがその赤い瞳は、決意に揺れていた。




