5.
着替えを済ませたエメリーネは、シーラを連れてアルマスの執務室へと足を向ける。カツカツと回廊に響く足音が、時を切り刻む音のようにも聞こえた。
シーラが扉を叩き、返事があるのをじっと待つ。
「どうぞ……」
扉を開けたのは、アルマスの秘書官だ。のっぺりとした顔でニコリともせず、彼が中へと促した。この秘書官には灰色の空気がまとわりついている。空気の色がはっきりと見えた。
(何かしら……?)
そう思いながらも、考えるより先にアルマスが声をかけてきた。
「これはこれは、エメリーネ王女。わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます」
エメリーネの姿を見つけたアルマスが、執務席から立ち上がり、大げさに両手を広げて近づいてくる。茶色の髪を滑らかに後ろに撫でつけ、ぎろりとエメリーネに向ける視線は、まるで爬虫類のよう。そしてなぜかアルマスの周辺の空気が淀んでいた。
いや、彼が黒い空気を放っているように見えるのだ。
エメリーネは見間違いかと思い、瞬きをしてみたが、やはりアルマスは黒い空気をまとったままで、それが消えることはなかった。
そんなアルマスだが、夜会では女性に囲まれている姿もよく見かけると、誰かが言っていた。しかしエメリーネにはその魅力が理解できない。
「わたくしに特別なプレゼントがあると聞いて。居ても立ってもいられず、ここに来てしまったの。子どもみたいにはしゃいでしまってごめんなさい」
かつての十七歳のエメリーネは、アルマスの狙いに気づかなかった。このパーティーをきっかけに、彼の執拗な行動が始まったのだ。
中身は二十二歳だとしても、十七歳のエメリーネを演じる必要がある。
「なるほど。相変わらず王女様は、可愛らしい方ですね」
ふふっと口元を緩めるアルマス。その姿を見るだけで、エメリーネの背筋がぞくりとする。
「来年には成人されるというのに。そろそろ婚約者を決める時期ではありませんか?」
「そうね。だけどそれは、お父様が決めてくださるわ」
まるで興味がないとでも言いたげなエメリーネの様子に、アルマスはにこやかに答える。
「なるほど。エメリーネ様は未来の女王です。その伴侶となられるべき方に求められることは多いのではありませんか? 身分はもちろん、見目も、地位も……そして精力も。陛下のお子はエメリーネ様のみなのですから。エメリーネ様の代で、王家の血筋を途絶えさせてはならないでしょう?」
まるで舌なめずりでもしそうなアルマスの言葉に辟易しながらも、エメリーネは笑顔を崩さない。
「ご忠告ありがとう。では、わたくしのほうから陛下に進言いたしますわ。わたくしの婚約者は、身分よし、見目よし、地位よし、そして精力的な若い殿方にしてねと。そうすればアルマスも安心なさるでしょう?」
若い殿方、とエメリーネが口にしたときには、アルマスの唇の端がヒクリと動いた。彼を覆う黒い空気が、ぶわっと勢いを増し蛇のように這う。
「エメリーネ様。何か勘違いされているようですが、若いからといって精力的とも限らないのですよ?」
「そうなのね? 無知でごめんなさい。それよりも、早くプレゼントをいただきたいわ。これからパーティーの準備をしなければならないでしょう? 時間がとれるのも、今だけなの。あなたからの特別な贈り物と聞いたから、合間を縫って来たのよ?」
これ以上、婚約者の話を続けたくはなかった。エメリーネがどう答えても、アルマスは王配の座を狙っているのだから。
「失礼しました」
軽く頭を下げたアルマスは、執務机の一番下の引き出しからリボンのかけられた箱を取り出した。
「こちらを是非に、エメリーネ様にと。今日のドレスに映えるかと」
「まぁ、ありがとう。アルマス」
明るい声で礼を言いつつ、エメリーネはすぐに声を研ぎ澄ます。
「シーラ」
アルマスからの贈り物をシーラに受け取るように指示した。
「はい。宰相閣下、こちらの贈り物をちょうだいいたします」
シーラはそう言って手を伸ばすが、その手はかすかに震えていた。彼女もまた、アルマスには逆らえない人物なのだが、今はエメリーネの命令に従っている。
「なっ……これは、エメリーネ様に」
その瞬間、アルマスの空気の色が黒から赤に変化する。




