31.
小さな窓の向こう側で、ベルトルトがひゅっと息を呑むのが伝わってきた。すぐに答えは返ってこない。
エメリーネだって悩んでいるのだ。その悩んでいる答えを、テレジア神に導いてもらおうとしているのだから、彼だって言葉を選んでいるにちがいない。
「……それは興味深いお話ですね。同士は、その縁談を受けたくないと?」
「いえ、悩んでいるのです。とても魅力的な話ですが、はたしてそれが、この国にとって、彼にとっていいことなのかと……」
エメリーネとしては、父王を守り、さらにこの国が貧困に喘ぐのを防ぎたい。一度目の人生とは異なる未来を手に入れたいだけなのだ。
とはいえ、そこにオディロンを巻き込んでいいのかどうかを悩んでいた。
四年後には破滅する未来が待つこの国を守るため、アルマスの悪事を暴き、彼を宰相の地位から引きずり下ろす必要がある。
テレジア神から授かったオーラの見える力を用いて、これから味方を増やしていく予定だった。
そのなかで、エメリーネは伴侶となる者すら利用するつもりでいた。テレジア神はエメリーネを幸せにしてくれる者がふさわしいと言葉にしたが、そんな甘いことは言っていられない。
王族として生を受けた以上、国のために愛のない結婚をするのも厭わない。ただ、寝食共にすれば、そこに愛が芽生えていくかもしれないが、今のエメリーネに愛は不要。
必要なのは、知識とそして思い通りに動いてくれる味方。
そのなかでエメリーネの心を掻き乱すオディロンは異質の存在であった。彼に頼りたいと思う反面、巻き込みたくないという気持ちもある。
「同士が願うのはガレッティ国の安穏。そうであれば、この縁談は受けるべきです」
はっきりした口調のテレジア神の声に、エメリーネの身体は小さく跳ねた。いつも曖昧な言い方で、エメリーネ自身に考えるよう促すテレジア神が、明確に意見を口にするなんて稀なこと。
ただテレジア神は、エメリーネの結婚相手はエメリーネを幸せにしてくれる人だと言っていたのだ。そのために足元に目を向けろとも。
つまりテレジア神は、あのときからエメリーネの伴侶にふさわしい者をわかっていたのではないだろうか。
「ですが、わたくしの相手には他国の王族や貴族だっていいはずです。母は、友好国ジオグ国の貴族です」
「だからです。今、この国は国政が落ち着いているとはいえません。その状態でジオグ国の者と縁をもったとしましょう。王妃、そして王配。二代続けてジオグ国の者が選ばれ、ガレッティ国の実情を知ったら、この国を支配しようと考える者も出てくるかもしれません。戦とは、資源を奪うために起こることもたびたびあるのです」
国土を広げたいと思うのはどの国も同じだ。そこにガレッティ国内の統治能力の低下がくわわれば、相手国にしてみれば絶好の機会といえる。
まさしくオディロンが言っていた内容と同じ話である。
「ただし……どうしても嫌だと言うのであれば……他に同士を幸せにしてくれる者を……。いえ、失礼しました」
本来、神の声と称して言葉を紡ぐベルトルトだというのに、今日はどこか様子がおかしい。
「いえ、テレジア神。ありがとうございます。わたくしの考えも決まりました」
「縁談を受け入れると?」
返事をする代わりに、エメリーネは小さく頷いた。
向こう側にいるベルトルトがどんな表情をしているかはわからないし、エメリーネが頷いたところも見えたかどうかもわからない。
「……同士よ、王族の結婚には議会の承認が必要です。つまり、議会で認められなければ、婚約もできません」
静かに響くテレジア神の声に、エメリーネも小さく「はい」と答える。
「腐敗し始めている議会で、出席者の過半数から承認を得られるのは難しいかもしれません」
まさしくテレジア神の言うとおりである。
今の議会は、アルマスの息のかかった貴族たちが仕切っている。下手すれば、反アルマス派の人間に、議会に出席しないよう圧力をかける恐れだってある。
「それでもわたくしは、オディロン・ベルジュ公爵を、夫に望みます」
「わかりました。ささやかながら、我々も同士の幸せを願っております」
それは、ベルトルトが二人の縁を認めたということだ。ただし聖職者である彼は、議会での発言権は認められているが、議決権はない。それでも味方が増えたというのは心強いものである。
エメリーネの胸の奥に小さな火が宿り、あたたかさを感じた。
「……議会は、父と母、現国王の婚姻は認めたのですよね?」
思い出したように、エメリーネはぽつりと呟く。
「両親は、王族には珍しく、恋愛結婚なのです」
「えぇ……存じ上げております。国王が隣国ジオグ国で見初めた女性……」
「それこそ、議会から反対されるような気がするのですが」
国内貴族の彼らからしてみれば、ジオグ国の人間というだけで、得体の知れない女性に分類される。いくら貴族令嬢とはいえ、人となりも知らない女性を、自国の王妃に据えようと思うだろうか。しかも国王、当時の王子が隣国に足を運んだときに見初めた女性だ。
「それが議会の恐ろしさなのです。そうしなければならない状況を、意図的に作り出す……」
それは、どういう意味なのだろうか。人の考えなど容易に変わるものだと言っているのか、それとも何か大きな力が働いたのか――いわゆる権力と呼べるような。
つまり議会は魔窟なのだ。




