30.
「あなた、何をおっしゃっているの?」
エメリーネは赤い瞳をゆっくり瞬かせる。
「何を? 俺と君の輝かしい未来について話をしただけだが?」
ニヤリといたずらめいた笑みを浮かべるオディロンとは対象的に、エメリーネはむっと唇を引き締める。こんなとき、オディロンのオーラが見えたらいいのにと思うのに、何度目をこらしても彼のオーラは見えないのだ。
「その輝かしい未来のために、わたくしとあなたが結婚する理由がわかりません。お互い、友好国の王族や貴族が相手でもよろしいのではなくて?」
「なるほど……エメリーネ王女は、よほど俺と結婚したくないらしい」
さほどがっかりした様子もなく、このやりとりすら楽しんでいるように見えるオディロンは、ついてこいとでも言いたげに歩き出した。しっかりと手をつながれているエメリーネは、もちろん彼の半歩後ろをついていく。
「立ち話ですませるような内容じゃないからな。東屋にでも向かうか?」
この庭は、幼き時代の思い出であふれている。これから足を運ぶ東屋だって、お気に入りのお菓子を持ち寄って食べた場所なのだ。
白い円筒屋根の東屋も、なんら昔と変わっていない。
「懐かしいわ……」
まるであのときの記憶を探るかのように、エメリーネはテーブルの上にそっと指を這わす。
「きちんと、手入れがされているのね。今でも使っていらっしゃるの?」
「いや?」
オディロンは椅子の上にさっと手巾を広げると、そこにエメリーネに座るように言う。
「母が亡くなってからは、一度もここに来ていないな」
それでもこうやっていつでも使えるようにしているのだから、彼がそのように使用人に命じているのだろう。
「ここに来るなら、お茶やお菓子を用意すればよかったか?」
「では、次に会うときはそうしてくださいな」
隣に座ったオディロンは、テーブルの上に肘をつき手の甲の上に顎を乗せると、エメリーネの顔を真っすぐに見つめてくる。エメリーネもまた、彼の赤褐色の瞳に視線が引き寄せられた。
「……どうかしました?」
「いや……それよりも、君の結婚相手の話だったな」
そうだった。
ところどころ、思い出によって大事な話が中断されてしまうが、エメリーネはオディロンに補佐官を推薦してほしいとお願いしに来たのだ。
それなのに突きつけられた条件が、オディロンとの結婚。あげく、子を産めとは。
求婚するにしても、もう少し言い方というものがあるだろう。
「えぇ。なぜ、わたくしの結婚相手があなたなの?」
「不満か?」
そうやってエメリーネの気持ちを確かめるような意地悪な言い方が不満なだけで、彼との結婚そのものは、国のために必要だというなら受け入れる覚悟はある。
ただそれは表向きの理由であって、心の奥では密かに期待しているエメリーネもいるのだ。
「いえ、必要であれば受け入れます」
「必要であるかないかで言えば、必要だな。君は、友好国の王族や貴族を相手にと考えているようだが、今、この国が荒れているのは理解しているのだろう?」
王妃が亡くなり、国王は腑抜けになり、国政の実権を握っているのは私利私欲にまみれたアルマスと、彼に同調する者たち。
認めたくはないけれど、エメリーネは小さく頷いた。
「国内すら統治できていないこの状況で、女王となる君の相手に他国の者を選んでみろ。相手国に隙を見せれば、この国を乗っ取られる可能性だってある」
弱体化しているガレッティ国をここぞとばかりに支配しようと、戦をしかけてくる国だってあるかもしれない。
「まずは荒れたこの国をしっかり統治するのが先だ。だから王女様は、国内の有力貴族とつながったほうがいい。それって、俺以外に適任者がいるとは思えないのだが?」
国を統治するために他国の力を借りようとすれば、それすら脅威になりかねないらしい。それだけこの国の立ち位置は不安定なもの。
「あなたの言い分は理解しました……ですが、即答はできかねます」
「この話を受けなければ、先ほどの補佐官の件はなしだ」
わかっている。これは絶対に断れない話なのだ。
それでもすぐに「はい」とは言いたくなかった。もう少し考えて悩んでから、返事をしたい。それが、ただのわがままだとわかっていても。
「そんな顔をするな」
オディロンの骨張った手が、エメリーネの頬を包む。
「そんなに俺との結婚は、嫌か?」
エメリーネは答える代わりに、静かにまつげを伏せる。嫌じゃないから、嫌なのだ。
「……わかった。五日だけ待ってやる。五日後にまた、同じ時間にここに来い。先触れなど不要だ」
エメリーネの頬を覆っていた熱が離れていく。
戻るぞ、とオディロンに促され、エメリーネは静かに立ち上がった。
ベルジュ公爵邸を後にしたエメリーネは、王城へ戻る前に聖堂へ寄るようにと御者に伝えた。すでに太陽は西側に大きく傾き、空を橙色に染めている。この時間であれば、告解室でテレジア神と話もできるだろう。
正面の扉から中に入り、静かに聖堂の奥へと足を進める。テレジア神の石像の前で膝をついて祈りを捧げてから、音も立てずに告解室へと入った。
この間、シーラは待合室で読書をして待っているのだが、彼女はこのささやかな時間を楽しみにしているらしい。
「迷える同士よ。今日はどのような話をテレジア神に伝えたいのでしょうか」
小さな窓のついた隔たりの向こうから聞こえるベルトルトの声に、エメリーネは小さく息をつく。
「テレジア神の教えに従い、わたくしの補佐官となる者を選定しております。他の二人は決まりそうなのですが、味方になる者が決まりそうにありません。いえ、その者を推薦していただくためには条件があると言われたのです」
「どのような条件でしょう?」
「それは……わたくしが、ベルジュ公爵と結婚すること……」
エメリーネが喉の奥から言葉を絞り出すと、狭い部屋には沈黙が落ちた。




