29.
エメリーネの言葉に、オディロンは軽く息を吐き、鋭い視線を向けた。
「なぜ? その理由を聞く権利が俺にはあると思うが?」
「はい。テレジア神の教えです。補佐官は三人。わたくしの敵から一人、味方から一人、そしてそのどちらにも属さない者を一人」
オディロンは黙って耳を傾け、その言葉を噛み砕くように目を細くした。
エメリーネは静かに言葉を続ける。
「一人は決めてあります。わたくしの敵でも味方でもない者」
「それは、誰だ?」
「ヨハン・オウネル。シーラの婚約者です」
「ああ、オウネル侯爵家の……」
オディロンの声には警戒がにじむ。
「だが、君は宰相閣下と縁を持ちたくないのだろう? オウネル侯爵家は宰相閣下の援助を受けているのでは?」
「だからです。わたくしの周囲を、反アルマス派で固めてしまえば、すぐに潰されます。だから、少しくらいアルマスの息がかかった者のほうがいいのです」
オディロンは頷き、口元に薄い笑みを浮かべる。
「なるほどな。それで、あとの二人は?」
「はい。あとはアルマスが推薦する者。これは完全に敵だとみなしていいでしょう。そしてもう一人、わたくしが信頼を寄せられる味方となってくれる者。その方を推薦していただきたいのです」
エメリーネが静かに言い終えると、オディロンはいきなり立ち上がった。
「エメリーネ。せっかくだから、懐かしい庭を散歩でもしてみないか?」
彼が差し出した手に、エメリーネは微笑んで応じた。
「はい、是非」
手袋越しだというのに、彼の熱い体温が伝わってきた。そうなると、どこか意識してしまう。厚くて剣だこがある手は、エメリーネの白くて細い手とは違い、苦難を乗り越えてきた手だ。胸が小さく高鳴った。
サロンから外に出ると、花の甘い香りがいっそう強くなった。だがそれは決して不快なにおいではない。どこか懐かしく、母親を思い出させるような、そんな切なくも甘い香り。
「あの頃は、この花も大きく見えたのですが……」
だから迷子になったのだ。
「それだけ、大人になったということだろう」
幼い頃は、大人になることがすべてを解決する魔法のように思えた。
だがこうやって成人を間近に控え、それが単なる偶像だと知った。なんでもできるようになるためには、努力しなければならない。そして今のエメリーネには、その努力が足りていない。
「それで、補佐官にはどのような人物を望む?」
どうやらオディロンは、補佐官を真面目に考えていたらしい。
「はい。できれば、女性でお願いします。そして、完全に反アルマス派の家系で。女性というだけで、アルマスはその者を下に見るでしょう。その方がどこの家柄かなんて気にしないはずです」
「それも、テレジア神の教えか?」
つまりベルトルトの考えかと、オディロンは尋ねている。
「いいえ。テレジア神は味方から一人としか言っておりません。だからわたくしが味方としてふさわしい人物を考え、あなたを頼ろうと思い、ここに来たのです」
「なるほどな。あの宰相閣下がここに来ることをよく許したな」
「だって、言っておりませんもの。わたくしがどこへ行こうが、アルマスに教える義務はありませんわ。聞かれたら答えますけど」
オディロンは、喉の奥でくくく……と笑う。
「そのときの宰相閣下を目にすることができなくて、残念に思う。きっと、悔しそうな顔をするだろうな。あれは俺を毛嫌いしているから」
「ええ。では後日。あなたに報告しに来ますわね。アルマスがどんな顔をしていたか」
二人は笑い合いながら庭を進み、噴水の前にたどり着いた。水音が静寂を彩る。
噴水から飛び出た水は、ちろちろと小さな流れを作り、この庭園に命を吹き込んでいる。
「そういえば、誰かさんはこの噴水に落ちたこともあるな」
もちろん、その誰かさんとはエメリーネのこと。
「オディロン。あなたはどうして、わたくしのそういう恥ずかしいことばかり覚えていらっしゃるの?」
オディロンのからかいに、エメリーネは頬を膨らませ、つないでいる手にぎゅっと力を込める。
「どうして、だろうな。その頃から、目を離してはいけない、気になる存在だったのだろう」
あまりにも真剣な眼差しに、エメリーネは驚いて瞬きをする。
「補佐官の件だが」
そこで突然、オディロンは話題を戻した。
「俺の母方の親戚筋に、エリナ・ナウマンというナウマン子爵家の娘がいる。年は、君の二つ上で、今年で十九歳になった」
子爵令嬢、年齢も二つ上。エメリーネとしては理想的な相手だ。
「国軍の第一師団に所属している」
「女性軍人ですか?」
「ああ、だが医療班だ」
「つまり……病気や薬などの知識に長けている……?」
となれば、願ってもいない相手だろう。
「ああ。そこに対する執着はすごいな」
執着という言葉にエメリーネは一瞬眉をひそめたが、オディロンは続ける。
「なかなか個性の強い女性でな。軍の集団生活に馴染めないようなんだ。だが、優秀な女性だ。護衛を側に置いていない君の身も、身体を張って守ってくれるだろう。どうだ?」
「ええ。話を聞いただけでも、とても興味深い女性です。是非とも、お願いしたいわ」
「では、近々、顔合わせの場を設けよう。だが、彼女を紹介するには、一つだけ条件がある」
ひゅっと風が吹き、オディロンの黒い髪を揺らした。
エメリーネは首を傾げる。
「何かしら? 御礼は……できる範囲でするつもりですけど」
「礼はいらん」
オディロンの赤褐色の瞳がエメリーネを捉え、逃がさない。
「エメリーネ、俺と結婚しろ。そして俺の子を産め」
二人の間を心地よい風が抜けていき、その先の花を揺らした。
エメリーネの赤い瞳が大きく見開かれ、心臓が激しく鼓動する。一瞬、言葉を失い、彼の真剣な眼差しを見つめ返した。
水の流れる音が、異様に大きく聞こえた。




