28.
オディロンから「エメリーネ王女の訪問を心から歓迎する」と返事が来たため、その日は昼過ぎからベルジュ公爵邸に足を向けた。
ベルジュ公爵邸の門をくぐると、懐かしい風の匂いに心が軽くなった。
「エメリーネ王女。わざわざご足労いただき、感謝申し上げます」
彼の声は丁寧だが、どこか親しみがにじむもので、エメリーネは明るく微笑んだ。
「こちらこそ、たくさんのお見舞いをありがとうございました。見てのとおり、怪我が治りましたので、そちらを報告したくて」
その言葉に、オディロンの口元がわずかにゆるんだ。
鋭い者なら、このやりとりが芝居だと見抜くだろう。だが、ベルジュ公爵邸の使用人たちは純粋に喜び、エメリーネをあたたかく迎え入れた。そんな使用人たちには黄色や緑色といったオーラがあふれている。
「むさ苦しいところではございますが、どうぞこちらに」
オディロンが手を差し出し、エメリーネは彼の言葉に軽く笑ってその手を取った。
「まぁ、ベルジュ公爵がエスコートしてくださるの?」
これではまるで、幼いころの戯れのようなやりとりではないか。
彼と並んで歩きながら、エメリーネはつい、笑みをこぼしてしまった。
「王女様?」
「ベルジュ公爵。その他人行儀な呼び方、おやめになって? わたくしたち、昔は仲よくしていたではありませんか? それに、親戚でもありますし……」
オディロンから「王女様」と呼ばれるたびに、彼との間に高い壁が存在するようでもどかしかった。
「他人に物事を頼むときは、自分の態度も改めるべきでは?」
「え?」
エメリーネは驚き、オディロンを見上げた。彼もエメリーネを見つめ、歩を止める。二人の視線が絡み合い、時間が一瞬止まったように感じられた。
「……オディロンだ。他に誰もいないときは、俺のことをそう呼べ。エメリーネ」
昔のように名を呼ばれ、エメリーネの鼓動がドクンと跳ねた。小さく頷くと、胸の奥に懐かしいあたたかさが広がるのを感じた。
オディロンが案内したのは、庭に面した明るいサロンである。大きな窓からは、手入れの行き届いた庭園が一望でき、色とりどりの花が風に揺れ、太陽の光を浴びて輝いていた。
「素敵な庭ね」
「母が生きていたときほどではないがな」
オディロンの声から、ほのかな寂しさが感じ取れた。彼の母は花を愛し、自ら庭の手入れをしていたという。
エメリーネはふと、幼い頃にその庭で遊んだ記憶を思い出した。
席に着くと、オディロンがさりげなく椅子を引いた。
「ここに来るのも、いつ以来かしら?」
「さあな。少なくとも、俺が爵位を継いでからは来ていないだろう?」
オディロンが言うように、以前は母親と一緒にここを訪れた記憶しかない。
「そうですね。お互い、変わってしまいましたから……」
侍女が紅茶と菓子を運び、静かに部屋を去る。エメリーネは窓越しの花を見やり、口を開いた。
「もしかして、お見舞いの花はこちらの?」
「あぁ、そうだな。これだけあるからな。庭師に適当にお願いしたが」
「最後の一言は余計かと?」
エメリーネは笑いながら紅茶を手に取った。芳しい香りとほどよい渋みが、心を落ち着ける。
「そういえば、贈り物の目録を確認して気づいたのですが」
エメリーネが紅茶のカップをカチャリ遠くと、オディロンも射抜くような視線を向けてきた。
「アルマスに近い人間は、宝飾類を送ってきたのです。だけどそれ以外の人は、茶葉だったり花だったりと、自領の特産品が主なんです」
「ほう?」
「ラモン伯爵が言うには、ここ数年、この国は以前よりも経済状況が厳しくなっていると。領地経営のために必要な資金繰りをするのも、手を焼いているとか」
オディロンは身体を傾け、長い足を組んだ。その仕草に、エメリーネは一瞬、幼い頃の彼を思い出したが、すぐに現実に戻った。
「恥ずかしながら、わたくしは自国の状況をわかっておりませんでした。国民が人としての最低限度の生活を送れるようにするのが、王族としての責務だと思っております」
「なるほどな。あれだけ泣き虫だったエメリーネ姫は、立派になったものだ」
「なっ……泣き虫って……」
過去を掘り起こされ、エメリーネの頬が熱くなった。
「あの庭園で、俺とはぐれ、泣いていたのはどこの誰だ?」
「そ、そんな昔のこと、覚えておりません」
そう口にしたが、それは嘘。
オディロンの言葉で、あのときのことがまざまざと思い出された。
当時、ベルジュ公爵邸の庭園は、子どもの背丈ほどの花で溢れていた。
その花の中に紛れ込んでしまい、エメリーネは自分のいる場所がわからなくなってしまったのだ。見まわすかぎり、花、花、花。上を見上げれば青い空が広がっているが、周囲は花だらけ。花の甘い香りも、方向感覚を狂わせた。
泣きながら両親を呼び、オディロンの名を叫んだエメリーネを見つけてくれたのが彼だった。
ふん、と鼻から息を吐いたオディロンは、エメリーネの気持ちを見透かすかのように、紅茶を一口飲んだ。
「だが、エメリーネ王女は、観察眼を身につけたようだ。だが、君の立場は危ういものだ」
「はい。それは自分でも存じ上げております。今、王政の関係者は、アルマスの手が伸びています」
アルマスの名に、オディロンのこめかみがひくりと反応した。
エメリーネは静かに言葉を続ける。
「わたくしはまだ成人しておりませんが、社交デビューを果たしたことで、政務を行う権利を得ました。ですが、まだまだ未熟者です」
「それで、家庭教師の件はどうした?」
「はい。テレジア神自ら、わたくしに教育をしてくださると」
「なるほど、そうきたか」
オディロンは楽しそうに笑い、椅子の背もたれに深く背を預ける。
「エメリーネ。意外とこの世は、君が思っているよりも、まだマシなのかもしれないな」
「そうかもしれませんわね。そこでオディロン」
エメリーネの声が、いっそう低くなった。
「あなたにわたくしの補佐官を推薦していただきたいの」
オディロンの眉がわずかに上がった。サロンに静寂が落ち、庭の花が風に揺れる音が響く。




