18.
エメリーネの前に現れたのは、顔が隠れてしまうほど大きな花束を手にしたオディロンだった。花の甘い香りが室内に漂う。
エメリーネは一瞬、その鮮やかな色彩に目を奪われたが、すぐに気を取り直して微笑みを浮かべる。
「エメリーネ王女、先日の非礼をお詫びに参りました」
オディロンはその大きな花束をエメリーネに差し出した。だが、淡々と言葉を紡いだ彼の表情から、感情を読み取ることはできない。まして、オーラの色も見えない。
「あ、ありがとう……。シーラ、この花を活けてもらえるかしら?」
「承知いたしました」
シーラが花束を手にして、控えめに一礼する。それを見届けたエメリーネは、二人がけのゆったりとしたソファにオディロンを促した。
「ベルジュ公爵。どうぞこちらにお掛けくださいませ」
エメリーネも向かい側の席に腰を下ろし、微笑みながら尋ねる。
「それで、今日はどんなご用件かしら?」
「だから言っただろう? 先日の謝罪に来たんだ。その怪我のわりには、ずいぶん元気に歩いているようだな」
先ほどまでの丁寧な言葉遣いとはかわって、その言葉にはからかいが混じっている。オディロンはニヤリと笑い、まるでエメリーネの心を見透かしているかのよう。
そしてエメリーネの反応を見て楽しんでいるのだ。
「ええ、そうね。だって本当は怪我なんてしていませんもの。わたくし、いつまで杖をついて歩けばいいのかしら? 正直、不便でならないわ」
エメリーネは唇を尖らせる。その声には少女らしい不満がにじんでいた。
「俺の芝居に乗ると言ったのは王女様のほうだろう? 乗ったからには最後まで付き合ってもらわないとな」
彼の声は軽やかだが、その裏に潜む意図はつかみどころがない。エメリーネは小さく「ふん」と鼻を鳴らし、彼のからかいに乗らないよう心を奮い立たせた。
「でも、そろそろメルケルに診てもらおうと思っています。もし、メルケルが大丈夫だと言えば、普通に歩いてもいいでしょう?」
メルケルは、侍医として長年仕えているため、エメリーネにとって気心の知れた存在である。親しみを込めて彼の名を呼び、オディロンに少し挑戦的な視線を投げた。
「エメリーネ様。お花は机の上と、こちらのテーブルに分けて飾ってもよろしいでしょうか?」
花束を手にしたシーラが遠慮がちに尋ねてきたため、エメリーネは柔らかく頷いた。
どうやら花束があまりにも大きく、一つの花瓶にはとうてい入りきらないらしい。
「ええ、お願いするわ。それが終わったら、お茶の用意もしてもらえる?」
「申し訳ありません。先に準備するべきでした」
「いいのよ。わたくしが先に花を活けるように言ったのだから」
そんなやりとりを眺めていたオディロンが、ふっと腰を浮かせる。
エメリーネは驚き、眉をあげて彼を見た。
「あら? ベルジュ公爵。もしかしてお帰りになるの? お茶もお出ししないから、お気を悪くされたのかしら?」
「まさか。俺がそんな心の狭い人間に見えるのか?」
そう応じながら、オディロンは自らティーセットに手を伸ばす。
「相変わらずここは人手が足りていないようだな。彼女一人では手が回らないだろう?」
「まさか……」
「なんだ? 俺の淹れたお茶は飲めないとでも?」
花を手にしたまま、シーラが慌てて声をあげる。
「ベルジュ公爵、私がやりますから」
「気にするな。まずはきちんと花を活けてくれ」
オディロンからそう言われると、さすがのシーラも反論できず黙り込む。彼女の身体に緊張が走ったのを、エメリーネは確かに感じ取った。
「ベルジュ公爵。わたくしたちを困らせて楽しいのかしら?」
先ほどから彼は、エメリーネの反応を見て楽しんでいるに違いない。彼のゆるい笑みが、それを物語っている。
「困らせているだと? 俺はただ、人手の足りないところを手伝おうとしただけだが?」
オディロンの手は、言葉とは裏腹に慣れた動きでお茶の準備を進めている。
エメリーネは、その所作につい引き込まれるように視線を向けていた。ティーポットが傾き、紅茶がカップに注がれる。
「あなた。お茶を淹れることができるの?」
あまりにも丁寧で無駄のない動きに、エメリーネも思わず声をもらしてしまう。
「なんだ? 王女様は、俺が茶の一杯も淹れられない男だと思っていたのか?」
身体も大きく、少し粗野にも見えるオディロンだが、その動きは意外なほど洗練されている。彼もまた公爵家の出であり、エメリーネの次に王位継承権を持つ男なのだ。
「あなたが淹れてくれたお茶なんて、高価すぎて飲めないわね」
「そうだ、貴重なお茶だぞ? だからありがたく味わえ」
ああ言えばこう言う。そのやりとりが妙に懐かしく思える。
幼いころ、オディロンはよくエメリーネのことを妹のように可愛がってくれていた。
だが、それも今から七年前。オディロンの両親が亡くなり、彼が十四歳で爵位を継いでからは、二人の間に自然と距離ができてしまった。それだけオディロンが忙しくなったのだ。
「本当にありがたくて、涙が出てきそうだわ。いただくわね」
エメリーネはカップを手に取り、紅茶の香りをそっと吸い込んだ。一口飲むと、悔しいことに、驚くほど美味だった。
「どうだ?」
自信に満ちたオディロンの顔を見るのが、なんとも癪にさわる。
「……まあまあね」
悔しさをごまかすように、エメリーネはそっけなくそう答えるしかなかった。
やっと花を活け終えたシーラが二人の前に焼き菓子も用意しつつ、謝罪を口にする。
「ベルジュ公爵。お手をわずらわせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや。俺が好んでやったことだからな。それで、いつから王女様はこちらで仕事をこなすようになったんだ? てっきり、サロンでくつろぎ茶でも飲んでいるのかと思ったが……」
物珍しいのか、オディロンは大きく首を振って、部屋を見回した。
「今日からです。昨日は安静にしておりましたから」
「なるほどな。やっと王女様に、教育をする者が現れたのか?」
まるでエメリーネの置かれた状況を把握していたかのようなオディロンの言葉だ。心臓がトクッと小さく跳ねた。
「それは、どういう……?」
「そのままの意味だ。世間知らずの王女様」
ふん、と鼻から息を吐いたオディロンは、カップに口をつけた。
「でしたら、世間をよく知っているベルジュ公爵にお願いしたいことがあります」
その言葉を聞いているのかいないのか「なんだ、美味いじゃないか」とオディロンは紅茶の感想を口にした。
エメリーネは小さく息を吐く。
「ベルジュ公爵。わたくしに王女としての振る舞いを教えてくれる教師を探しています」
オディロンはもう一口、紅茶を飲んだ。
「それから、信頼できる補佐官も。誰か心当たりはおりませんか?」
そこでオディロンは、カップをテーブルの上に戻した。
しんと静まり返る室内に、甘い花の香りがいっそう濃くなる。
「王女様……」
オディロンは目を細くして、エメリーネを真っすぐ見つめた。




