11.
会場を出る瞬間、アルマスの悔しそうな視線がエメリーネの背中に突き刺さった。彼の周囲には、まるで黒い霧のような重苦しいオーラが漂い、蛇のようにとぐろを巻いているのが見えた気がした。
オディロンの機転に感謝をしたかったが、ラモン夫人が側にいるため、軽率な発言ははばかられる。
「こちらの部屋をお使いください。すぐに侍医を呼んでまいります」
エメリーネが通された部屋は、休憩室として開放されている客室の中でも、最も上等な部屋。王族が招待客と密談するときに使う部屋だと記憶している。壁には金箔の装飾が施され、天窓からは月光が柔らかく差し込んでいる。
もしかしたら、父王も後でこの部屋を使うつもりだったのかもしれない。部屋の隅には、数人のメイドが控えめに立っており、彼女たちのオーラは緑や黄色の穏やかな色合いで揺れていた。
二人きりではないが、ひそやかな内緒話ならメイドたちに聞こえることはないだろう。
「ありがとうございます」
ソファに下ろされる前に、彼の耳元でそっとささやいた。
「怪我をさせたというのに、礼を言うとは変わった姫様だな?」
エメリーネをソファにゆっくりと下ろし、にやりと笑ったオディロンだが、その言葉が本心でないことなどわかっている。
彼の瞳には、秘密を共有するいたずらっ子のような輝きがあったし、それに口調が元に戻っている。
「だって、わたくしをあの場から連れ去ってくださったでしょう? それにあれだけ騒いでは、これ以上、わたくしがダンスをできないと、誰もが理解したでしょうね」
その声には、感謝と共謀の楽しさが混じっていた。エメリーネもいたずらっ子の仲間なのだ。
くすっと笑みをもらし、ドレスの裾を軽く整えた。
「それでも誘ってくる奴がいたら、そいつは愚か者だな」
オディロンの言葉は決して上品とは言えないのに、なぜかエメリーネの心をくすぐった。
「エメリーネ様、侍医を呼んでまいりました」
ラモン夫人が慌てた様子で、侍医を連れてきた。侍医のメルケルは六十歳近い男性医師であり、既婚者でかつ孫も三人いる。いつも落ち着いた物腰は、エメリーネに安心感を与えていた。
父王が彼にエメリーネの診察を許していたのも、その信頼ゆえだろう。
「エメリーネ様、こちらは痛みますか?」
メルケルは真剣な表情で足首を慎重に調べた。本当は足などひねっていないのに、エメリーネは芝居を続けるため、少し動かされるたびに「あぁ、痛いわ」と小さな声をもらした。嘘がバレないよう、内心で緊張しながらも、表面上は弱々しい表情を浮かべる。
「足首は腫れていないようですね。ですが、こうやって動かすと痛むようですので、しばらくは安静にしておいてください。もしかしたら、これから腫れてくるかもしれませんから、油断は禁物です」
「でも今日はわたくしの誕生日パーティーよ?」
エメリーネは少し拗ねたように言ったが、内心ではこの展開にほくそ笑んでいた。
「えぇ。ですから、ダンスなんてもってのほかです。陛下のそばで座ってパーティーを見ているのがよろしいでしょう」
侍医の言葉に、オディロンが重ねるように口を開いた。
「エメリーネ王女。このたびは、申し訳ない。心から謝罪します。正式な謝罪は後日……」
その真剣な謝罪の様子に、ラモン夫人が眉をひそめるが、エメリーネはすかさず微笑みを浮かべ、明るく声を放つ。
「ベルジュ公爵。このたびはあなたのせいではございません。不幸な事故だったのです」
ラモン夫人もその言葉に大きく頷き、エメリーネの微笑みに安心したように見えた。
足首に包帯を巻いたエメリーネは、もう一度オディロンに抱きかかえられ、会場へと戻る。そして父王の隣に座り、パーティーの行方を見守っていた。
ダンスのできないエメリーネに誘う者はいなかったが、それでも声をかける者は後を絶たない。
微笑みながらそれに応えていたエメリーネだが、アルマスからは始終真っ黒いオーラが放たれていた。




