10.
気がつけばエメリーネはオディロンのたくましい腕の中にしっかりと抱きかかえられていた。エメリーネの鼓動が、一瞬、速くなる。
「失礼。無骨者ゆえ、あなたに失態をお見せしてしまった」
先ほどまでの彼と打って変わって、穏やかな口調。まるで人が変わったかのよう。
会場に響く弦楽の調べが華やかに流れる中、オディロンはエメリーネを軽々と抱き上げ、まるで壊れ物を扱うように慎重でありながらも、確かな力強さで支えた。
「何を……?」
突然の出来事に、エメリーネも戸惑いを隠せない。
オディロンにオーラが見えないことも、エメリーネの心をざわつかせた。
「俺のせいで、足をひねったでしょう? 痛みませんか?」
オディロンの赤褐色の瞳には、どこか真剣さといたずらっぽさが入り混じっている。
だが、エメリーネは知っていた。倒れる瞬間、彼が素早く身体を支えてくれたおかげで、足をひねるどころか、どこも傷ついていない。だから痛む場所などどこにもない。
ふと、先ほどの彼の言葉が脳裏をよぎる。
――俺も愚か者を演じてみようかと思ったのだよ。
すなわちこれは、オディロンの演技なのだ。慣れぬダンスでエメリーネを転ばせた挙げ句、怪我をさせてしまったという筋書きなのだろう。
エメリーネの心には、彼の機転に対する感謝と、共犯者のような小さな興奮が芽生えていた。
「そうね。今宵はもう、踊れそうにないわ……」
エメリーネは声を小さくし、芝居に付き合うように答えた
オディロンはエメリーネを抱き上げたまま、ダンスの輪から抜け出す。
そのまま会場を去ろうとした瞬間、エメリーネは「待って」と声をかける。
「お父様に挨拶と、それからラモン夫人に言づけを」
シーラは婚約者とパーティーへ出席している。そのため、今日のエメリーネにはシーラの母、ラモン伯爵夫人が介添えとして付き添ってくれた。王妃とも親しい関係を築いていたラモン夫人だからこそ、エメリーネも絶大な信頼を寄せている。
また、パーティーの主役はエメリーネだが、主催は国王その人だ。であれば、退出前に父王への挨拶は欠かせない礼儀となる。
オディロンは腕の中から解放する気配さえみせない。エメリーネは、オディロンの腕に囲まれたまま、玉座に座る国王へと向かった。
玉座の前で、オディロンは片膝をつき、エメリーネを抱いたまま丁寧に頭を下げた。
「お父様、このような格好で申し訳ありません」
エメリーネの声は穏やかだが、どこか申し訳なさそうに響いた。
父王は玉座に座し、豪奢なローブに身を包みながら、わずかに眉をひそめる。誰が見ても、この状況は異様に映るだろう。
「足をくじいてしまって……一度退出の許可をいただきたく……」
「おお、エメリーネ。大事はないか?」
国王の声には、娘を気遣う柔らかさと、状況への疑念が混じる。
「はい。ただ、これ以上のダンスは無理かと……」
エメリーネの声は控えめでありながらも、芝居に徹するために慎重だった。
国王はオディロンに鋭い視線を向けたが、それは明らかに彼からの謝罪を求めるものである。
「陛下、申し訳ございません」
オディロンの声は低く、誠意を込めたものだ。エメリーネはすかさず割って入る。
「お父様、ベルジュ公爵のせいではございません。公爵はわたくしのために、国境から駆けつけてくださったのです」
その言葉に父王は渋面を作った。
エメリーネの弁護は、国王の疑念を和らげるためのものだったが、オディロンを守りたいという強い思いが秘められたものだ。
「エメリーネがそう言うのであれば……。急いで手当てを」
国王の声には、不承不承の響きがあった。
いつの間にか近くに控えていたラモン夫人が「ご案内します」とオディロンに声をかける。
「お父様、すぐに戻ってまいりますから」
エメリーネがオディロンの腕の中で父王に微笑みかけると、国王もまた柔らかく応える。
ようやく二人は広間を後にすることができた。




