第4回:奴隷市場の「13番」と、少佐の冷徹な値踏み
鉄格子の擦れる不快な音と、饐えた獣の臭い。そこは、国境沿いの街道に位置する巨大奴隷市場だった。廃ダンジョンで最低限の「軍資金(DP)」を確保したレティシア・フォン・ベルシュタイン少佐は、テオを伴い、その喧騒の中を泰然と歩いていた。
「レ、レティシア……ここ、怖いよ。悲しい匂いがたくさんする……」
テオは、レティシアの軍服を改造したドレスの裾を握りしめ、周囲の様子に怯えていた。ダンジョンコアである彼は、周囲の感情に敏感だ。市場に渦巻く絶望と、品定めをする人間たちの醜い欲望が、彼にとっては毒沼のように感じられた。
レティシアは歩みを止めず、碧眼を冷徹な「指揮官の目」に切り替えて周囲を走査した。
「閣下、周囲を観察なさい。ここにあるのは命ではありません。値札のついた『機能』です」
彼女の言葉は相変わらず氷のように冷たかったが、その手は優しくテオの頭に置かれていた。
「我々が今から調達するのは、貴公の盾となり、私の指先となる一振りの『刃』です。防衛線を影から補完し、不純物を音もなく排除する精密機械。それが兵站を維持するための、絶対的な必要経費です」
レティシアの脳内にある計算機は、提示される価格と奴隷たちの筋肉量、魔力伝導率、そして「眼」の死に具合を瞬時に天秤にかけ、次々と「不要」の烙印を押していく。彼女が求めているのは、正面から戦う重戦士でも、愛玩用の少年少女でもない。
市場の最奥、湿った地下牢の一角で、レティシアの足が止まった。
そこには、家畜以下の扱いを受けながら、泥の中で丸まっている一人の少女がいた。褐色肌に、埃を被って灰色に見える白髪のショートボブ。首に食い込んだ魔力封じの首輪には、赤錆びたプレートで「13番」とだけ刻まれている。
「おや、お客さん、目が高いね! それはシャドウ・エルフの生き残りですよ」
太った奴隷商人が、下卑た笑みを浮かべて揉み手で近づいてくる。
「暗殺教団で育てられた生粋の『殺し屋』ですがね。任務に失敗して、心が壊れちまってからは食事もまともに摂らねえ。命令も聞かねえ。廃棄直前の訳あり品だから、金貨3枚でいいですよ」
レティシアは商人の言葉を完全に無視し、鉄格子の前に跪いた。少女は、レティシアが近づいても身じろぎ一つしない。その瞳には、光も、生きる意志さえも宿っていなかった。
「……重心が左に寄っている。左膝の古傷、放置すれば再起不能になるぞ。貴公、リハビリテーションを怠ったな?」
静かな、だが確信に満ちたレティシアの声に、少女の肩が微かに跳ねた。自分を「女」として、あるいは「道具」としてではなく、一人の「負傷兵」として分析する視線。
「……殺せ。命令、失敗した……。不要な、道具……」
少女の口から、掠れた声が漏れる。教団の任務に失敗し、存在意義を失った彼女にとって、この世はただ廃棄を待つだけの虚無だった。だが、レティシアの碧眼が、その虚無の奥底にある「未だ折れぬ芯」を見抜く。
「廃棄? 冗談を。貴公のその関節の柔軟性、集中力、そして一切の感情を排した無欲さ。これをここで腐らせるのは、軍事リソースの著しい損失だ」
レティシアは立ち上がり、商人を振り返った。
「金貨5枚出す。ただし、その鍵を今すぐ渡せ。それと、この者の負傷を悪化させた貴公の不適切な管理体制については、後ほど軍事法廷に代わって私が査定してもよろしいが?」
「ひっ、い、いや、今すぐお渡ししますぜ!」
商人はレティシアの放つ圧倒的な殺気に圧され、震える手で鍵を差し出した。鉄格子が開かれる。レティシアは泥まみれの少女の前に立ち、その華奢な首を両手で優しく、だが逃げ場を与えない強さで包み込んだ。
「貴公は道具ではない。私の『影』だ。今日から貴公に名前を与える。……セアラ。それが貴公の識別呼称であり、存在の証明だ。よろしいか?」
「セ……アラ……?」
少女の瞳に、極小の灯火が宿る。番号ではなく、名前を。廃棄物ではなく、リソースとしての居場所を。絶望の底で彼女を掬い上げたのは、慈悲深い聖女ではなく、彼女の価値を冷徹に、だが正当に定義した「少佐」だった。
「セアラ……拝命いたしました。……レティシア様の影として、仇なす不純物を、すべて屠ります」
セアラはレティシアの軍靴の先に額を擦り付けた。それは服従を超えた、狂信に近い忠誠の儀式だった。
「いいえ。主はあちらのテオ閣下です。私は参謀。貴公は閣下を守り、私の命令に従う戦力となりなさい。……よろしいですね、閣下?」
レティシアに促され、テオはおずおずとセアラに歩み寄った。そして、彼女の泥だらけの手を握った。
「……セアラ。ボク、君がいてくれて嬉しいよ。一緒に、この城を守ろうね」
「……御意、閣下。私の命、すべて閣下のために」
セアラは静かに立ち上がり、即座にレティシアの背後、その影の中へと同化した。目視さえ困難なその隠密技術に、レティシアは満足げに頷く。
(これで『刃』は手に入った。次は……この膨れ上がる軍事情報を整理し、兵站を盤石にするための『頭脳』が必要となりますね)
レティシアの脳裏には、既に次なる標的が浮かんでいた。だが、まずはこの傷ついた「刃」を研ぎ澄まさねばならない。
「閣下、外征の第一目的は達しました。帰還しましょう。我が軍の防衛線に、最強の暗殺ユニットが加わったことを侵入者どもに教えてやるのです」
「うん、レティシア! セアラ、ボクたちの家に帰ろう!」
銀髪の少佐、最弱の閣下、そして新たに加わった影の少女。三人の孤独な軍勢は、夕闇に染まる市場を後にし、要塞化が進む廃ダンジョンへとその歩みを進めた。




