第21回:【閑話】盤上の詐欺師と、無垢な支配者
それは、要塞都市テオドールが産声を上げる少し前。カジノ支配人シルバが、まだ「王都を揺るがした指名手配犯」として路地裏を這いずり回っていた頃の話だ。
「……計算が狂ったな。まさか、あの公爵がイカサマを見破るとは」
シルバは、血の混じった唾を吐き捨てた。彼は数学的直感と指先の魔術だけで、数多の貴族から資産をむしり取ってきた天才詐欺師だ。だが、運命という名の乱数は、時として残酷な牙を剥く。
追っ手の衛兵に追い詰められ、行き止まりの暗闇で彼が死を覚悟したその時――空間が、物理法則を無視して歪んだ。
「――対象のバイタル確認。確率論的な『絶望』の閾値を超えています。……回収します」
無機質な声と共に現れたのは、影から滲み出た少女、セアラ。そして彼女に連れられ、シルバが辿り着いたのは、冷え切った石造りの玉座の間だった。
「……なんだ、ここは。天国にしては趣味が悪い」 「ここは貴様の『処刑場』か、あるいは『再起の盤面』か。……決めるのは我らが主です」
銀髪の少佐、レティシアが冷徹な視線を向ける傍らで、一人の小さな少年が、おずおずとシルバに歩み寄った。それが、テオとの初対面だった。
「……あの、大丈夫? すっごく痛そうな顔をしてる」 テオは、稀代の詐欺師を前にしても警戒するどころか、その小さな手を差し出し、癒やしの魔力を分け与えた。
シルバは呆然とした。これまで彼が接してきた人間は、彼を「利用する」か「奪い取る」か、どちらかしか考えていなかったからだ。
「坊主……いや、閣下。俺が誰か分かっているのか? 嘘で塗り固めた、泥棒野郎だぞ」 「うん。でも、ロレッタさんが言ってたよ。君の嘘は『数字への深い愛』から来てるって。……ボク、君が作る『楽しい場所』を見てみたいな」
テオの瞳には、打算も悪意もなかった。ただ、居場所のない者を受け入れる、圧倒的な寛容さ(バッファ)だけがあった。
「……ハッ、傑作だ。この俺を『正当な仕事』に誘うとはな」 シルバは自嘲気味に笑い、差し出された小さな手を取った。その瞬間、彼の脳内で弾き出されていた「逃走成功率」や「裏切りの利益」といった全ての数式が、一つの解に収束した。
(この少年に賭ける方が、王都の金庫を空にするより、遥かにスリリングで期待値が高い……!)
「いいでしょう、閣下。私のイカサマを、この都市の『繁栄』のために捧げましょう。……ただし、私の給料は高いですよ?」
「うん! 美味しいご飯、たくさん用意するね!」
レティシアが背後で「兵站管理に私情は挟まないこと」と釘を刺す中、シルバは生涯で初めて、カードを伏せずに笑った。
――それから数ヶ月。 かつての詐欺師は、今やカジノ『黄金の方程式』の支配人として、訪れる客から合法的に、そして熱狂と共に富を徴収している。
「……さて。勇者様のご光臨か」 シルバはテオドールの豪華な執務室で、愛用のコインを指先で弾いた。 「聖職者様がギャンブルに興味があるかは知らないが……。俺たちの閣下を泣かせようってなら、その『運命』とやらをイカサマで叩き潰してやるとしよう」
欲望の魔術師は、不敵な笑みを浮かべ、来るべき「不条理」を迎え撃つ準備を整えるのだった。




