第16回:軍事拠点の宿場(ロジ・ハブ)と、欲望の勧誘
「……宿場町、ですか? この辺境のダンジョンの真上に?」
カシムは耳を疑った。通商路の確保だけでも驚きだったが、レティシアが次に提示したのは、さらに常識外れの提案だった。
「左様。商隊が休息を取り、装備を整え、そして……『娯楽』に興じるための拠点です」 レティシアは魔法モニターを操作し、地上の入り口付近に設計された宿場町の立体図を映し出した。
「カシム殿、商人の兵站において最も無駄なコストは何か。それは『停滞』です。しかし、その停滞を『消費』へと転換できれば、それは新たな利益へと化ける」
レティシアの碧眼が、獲物を定めるようにカシムを射抜く。 「我がテオドールが提供するのは、ただの寝床ではありません。第1工兵大隊が整備した鉄壁の警備、セアラが影から保証する治安、そしてロレッタ殿が数学的に設計した『絶対に飽きさせないカジノ』です」
「カ、カジノ……!?」 カシムの目が、金貨の輝きを想起したかのように大きく開かれた。
「そうだよ、カシム君」 ロレッタが、まるで子供に算数を教えるかのような手つきで、魔法のルーレットのホログラムを浮かび上がらせた。 「このルーレットはね、確率論的にハウス側(我々)が微小な優位を保ちつつも、客が『次は勝てる』というドーパミンを最大化するように、盤面の摩擦係数から空気抵抗まで計算し尽くされている。……負けてもなお『楽しい』。そんな魔法の集金装置だ」
カシムは唾を飲み込んだ。この地下要塞の主たちは、軍事だけでなく経済の理さえも自分たちの支配下に置こうとしている。
「レティシア、あの商人の人……顔がすごくニヤニヤしてるよ。大丈夫?」 テオが不安げに耳打ちする。
「問題ありません、閣下。あれは『中毒』の初期症状です。……カシム殿、この宿場の建設費を貴殿の商会が『投資』として一部負担するなら、カジノの利益の15%を配当として約束しましょう。……どうされますか?」
「や、やらせてください! むしろ全額出しても構わない!」 カシムは身を乗り出した。もはや彼の中に、当初抱いていた「ここを奪おう」という不遜な考えは一欠片も残っていない。彼は今、テオドールという巨大な経済の歯車の一部になりたくて仕方がなかった。
「……交渉成立ですね。では、セアラ。彼らを地上へ。……あ、カシム殿。宿場の名前は『閣下』の名前から取り、『テオドール・グランド・テラス』と命名する予定です。看板の準備もお願いしますよ」
「……了解。カシム、足元に気をつけて。欲に目がくらんで影に落ちないように」 セアラが静かに影から現れ、腰を抜かしかけたカシムを先導していった。
商隊が去った後の静かな玉座の間で、ロレッタがふと笑い声を漏らした。 「少佐、君は軍人より詐欺師の方が向いているんじゃないか?」
「失礼な。私はただ、兵站の『維持コスト』を外部から調達したに過ぎません」 レティシアは魔導ライフルを点検しながら、冷徹に応じた。 「……さて。地上の拠点作りが始まれば、この平和も長くは続かないでしょう。閣下、これからは『建設』と並行して、本格的な『実戦訓練』を開始します。……よろしいですね?」
「……うん。みんなを守るためだもんね。ボク、頑張るよ!」
テオの決意と共に、要塞都市テオドールは地下の迷宮から地上の宿場町へと、その触手を伸ばし始めた。欲望と規律が入り混じる、新しい秩序の夜明けだった。




