第3話:聖女の正体
王都から離れて、三日。
馬車はようやく、人気の少ない街道へと差しかかっていた。
「……静かですね」
マリアがぽつりと呟く。
「そうね」
私は窓の外を眺めながら、軽く頷いた。王都の喧騒が嘘のように、辺りはひどく穏やかだ。
けれど――
(そろそろ、かしら)
タイミングとしては、ちょうどいい。
「マリア」
「はい」
「少し、寄り道をするわ」
「え?」
驚いたように目を見開くマリアに、私は小さく微笑んだ。
「心配しなくても大丈夫よ。危険なことはしないわ」
そう言って、馬車を止めさせる。
護衛が不思議そうな顔をしていたけれど、特に止めることはなかった。
やっぱり、甘い。
(本当に“都合がいい配置”ね)
私は馬車を降りて、ゆっくりと森の中へ足を踏み入れた。
少し進んだところで、足を止める。
「……もういいわよ」
静かに、そう告げる。
すると。
「――やっぱり、気づいてたんだ」
背後から声がした。
振り返ると、そこにいたのは――
「エミリア様」
マリアが小さく息を呑む。
そこに立っていたのは、王都にいるはずの“聖女”。
エミリア・ルーシェだった。
「どうして、ここに……」
「どうしてって、そりゃあ――」
エミリアは、困ったように笑う。
「あなたを見逃すわけないでしょ?」
その言葉に、マリアの顔が強張る。
けれど私は、特に驚くこともなく頷いた。
「そうよね。あなたなら、来ると思っていたわ」
「……ほんと、気持ち悪いくらい冷静だね」
エミリアは一歩、こちらに近づく。
その目には、もう涙はない。
舞踏会で見せていた“か弱い聖女”の姿は、どこにもなかった。
「ねえ、リリアーナ」
名前を呼ばれる。
「どうして、あんなに大人しく断罪されたの?」
探るような視線。
「普通、もう少し抵抗するでしょ?証拠だって、いくらでも崩せたはずなのに」
(やっぱり、分かっているのね)
私は小さく息を吐いた。
「逆に聞くけれど」
「なに?」
「どうして、あなたは“そこまで知っている”のかしら?」
一瞬だけ、空気が張り詰める。
マリアが息を呑むのが分かった。
けれどエミリアは――
「……ああ、やっぱり」
どこか納得したように笑った。
「気づいてたんだ」
そして、あっさりと言った。
「私、“この世界のこと全部知ってる”んだよね」
マリアが小さく悲鳴のような声を漏らす。
「ぜ、全部……?」
「うん。正確には、“この物語の結末まで”かな」
エミリアは肩をすくめる。
「ここってさ、乙女ゲームの世界なんだよ」
(……やっぱり)
私は心の中で頷いた。
「私は“ヒロイン”。あなたは“悪役令嬢”。で、さっきの断罪イベントで、あなたは退場するはずだった」
まるで、当たり前のことを説明するように。
「でも、ちょっと予定がズレた」
エミリアの目が細くなる。
「あなた、妙におかしかったから」
(それはそうでしょうね)
私は、最初から“その通りには動いていない”のだから。
「普通のリリアーナなら、もっと分かりやすく悪役してくれるはずなのにさ」
「そうね」
私はあっさりと頷く。
「でも、私は“普通”じゃないもの」
その言葉に、エミリアの表情がわずかに変わった。
「……へえ?」
興味を持ったように、こちらを見る。
「どういう意味?」
私は少しだけ考えるふりをしてから、口を開いた。
「簡単なことよ」
一歩、前に出る。
「あなたが“結末を知っている”のと同じで――」
エミリアの瞳が、わずかに揺れた。
「私も、“すべてを知っている”というだけ」
沈黙。
風の音だけが、静かに通り過ぎる。
「……は?」
エミリアが、間の抜けた声を漏らした。
「いや、ちょっと待って。それ、どういう――」
「そのままの意味よ」
私は微笑む。
「あなたの“シナリオ”も、断罪も、追放も」
ゆっくりと、言葉を重ねる。
「全部、把握しているわ」
エミリアの顔から、余裕が消えた。
「……そんなの、ありえない」
「そうかしら?」
首をかしげる。
「少なくとも、ここまでは“あなたの知っている通り”に進んでいるのでしょう?」
「それは……」
言葉に詰まる。
「でも、それは私が誘導したからで――」
「ええ、そうね」
私はあっさりと肯定する。
「そして私は、“誘導されること”を前提に動いていた」
再び、沈黙。
今度は、はっきりと空気が変わった。
「……なに、それ」
エミリアが、小さく呟く。
「まるで――」
その先を、私は引き取った。
「“どちらが物語を支配しているか”の話になるわね」
エミリアの瞳が、大きく見開かれる。
「あなたは、この世界を“ゲーム”だと思っている」
一歩、さらに距離を詰める。
「でも私は――」
その目を、まっすぐに見つめた。
「これを“現実”として扱っている」
だから。
「あなたのシナリオ通りには、ならないわ」
風が吹き抜ける。
エミリアは、しばらく何も言えずに立ち尽くしていた。
やがて――
「……ふざけないで」
低い声で、そう吐き捨てた。
「ヒロインは、私なんだから」
その言葉に、私は小さく笑う。
「そうね」
そして、静かに告げた。
「――だからこそ、奪いがいがあるのよ」




