第10話:偽りの聖女
王都――謁見の間。
重厚な扉が開かれると同時に、ざわめきが広がった。
「聖女様のお越しです」
高らかな声。
だが、その響きにかつてのような熱はない。
視線が集まる。
期待ではなく、確かめるような――冷めた視線。
その中を、エミリアは歩いていた。
(大丈夫……)
胸の奥で、自分に言い聞かせる。
(ここはイベント通り……ここで奇跡を見せれば――)
すべて、元に戻る。
そう信じて。
「エミリア」
王太子の声が響く。
その表情は硬い。
「聞いていると思うが……お前の力について、疑念が出ている」
「……はい」
エミリアは、わずかに俯いた。
「だからこそ、だ」
王太子は続ける。
「ここで証明してもらう」
静かに手を上げると、控えていた兵士が一歩前に出た。
その腕には、深く裂けた傷。
血は止まりきっておらず、布が赤く染まっている。
「この者を癒せ」
短い命令。
場の空気が、一瞬で張り詰める。
(……来た)
エミリアは、ゆっくりと息を吸った。
(ここで成功すればいい)
それだけ。
それだけでいい。
「……分かりました」
一歩、前に出る。
兵士の前に立ち、手をかざす。
(お願い……)
意識を集中させる。
これまで何度もやってきた動作。
“できて当たり前”だったはずの奇跡。
(発動して……!)
その瞬間。
――何も起きなかった。
「……っ」
ざわり、と空気が揺れる。
(まだ……!)
もう一度。
強く念じる。
(来て……来て……!)
だが。
何度繰り返しても――
光は現れない。
「……どうした」
王太子の低い声。
「……い、いま……少し調子が……」
声が震える。
(なんで……なんで……!)
焦りが、思考をかき乱す。
「もう一度、やります……!」
必死に手をかざす。
けれど。
結果は、同じ。
何も、起きない。
沈黙。
そして。
「……奇跡は、どうした」
誰かの声が、静かに響いた。
その一言が、引き金になる。
「本当に聖女なのか……?」
「今までのは、偶然だったのでは……」
「いや、そもそも――」
ざわめきが、一気に広がる。
否定の声。
疑いの視線。
それが、エミリアへと突き刺さる。
「違う……!」
思わず、叫んだ。
「私は……ちゃんと……!」
でも。
証明できない。
何もできないままでは。
その時。
「――失礼」
低く、落ち着いた声が響いた。
視線が一斉に向く。
そこに立っていたのは、あの青年だった。
「その傷、私が見よう」
迷いのない言葉。
王太子が眉をひそめる。
「何者だ」
「ただの通りすがりです」
簡潔な答え。
だが、その佇まいには確かな自信があった。
「……いいだろう」
王太子は短く許可を出す。
「やってみろ」
青年は、ゆっくりと兵士の前に歩み寄った。
そして――
静かに、手をかざす。
次の瞬間。
淡い光が、確かに生まれた。
「……っ!?」
誰かが息を呑む。
光は優しく傷を包み込み、裂けた皮膚をゆっくりと閉じていく。
血は止まり、やがて――
完全に癒えた。
「な……」
言葉を失う声。
「本当に……治った……」
ざわめきが、今度は驚きへと変わる。
そして。
その視線は、完全に入れ替わっていた。
エミリアから、青年へ。
信頼も、期待も――すべて。
「……終わった」
青年は静かに手を下ろす。
その場には、確かな“結果”だけが残った。
「ば、馬鹿な……」
エミリアは、その光景を呆然と見つめていた。
(なんで……)
(なんで、この人ができて……私は……)
「エミリア」
王太子の声が、冷たく響く。
「これは、どういうことだ」
「……ち、違……」
言葉が、出ない。
何も、言えない。
事実が、すべてを物語っている。
「……もういい」
短く、切り捨てられる。
その一言で。
何かが、完全に終わった。
ざわめきは、もう止まらない。
「偽物だったのか……?」
「聖女じゃない……?」
「騙されていたのでは……」
否定の声が、波のように押し寄せる。
「……っ」
エミリアの視界が、歪む。
立っていられない。
崩れるように、その場に膝をついた。
(違う……違うのに……)
けれど。
もう誰も、信じていない。
「……リリアーナ」
かすれた声で、その名を呼ぶ。
そして、理解する。
(全部……あの人の……)
その思考は、途中で止まった。
ふと。
視線の先。
謁見の間の入口付近に――
見覚えのある影があった。
「……え」
息が、止まる。
そこに立っていたのは。
静かに、すべてを見下ろすように――
リリアーナだった。
「……どうして」
震える声。
リリアーナは、何も答えない。
ただ。
わずかに、微笑んだ。
それだけで。
十分だった。
(……ああ)
エミリアは、理解する。
(この人が……全部……)
その瞬間。
すべてが繋がった。
「――遅かったわね」
静かな声が、届く。
誰にも聞こえないほどの、小さな声で。
けれど確かに、エミリアへ向けて。
「ここからが、本番よ」
その言葉に。
エミリアの心が、完全に折れた。




