兎と孤児院
カナンとの面会から四日、エインは漸く一人での行動が許された。
本来は一週間だったが、エインの持つ驚異的な回復力と生命力による力技でごり押した結果である。
だが、当然ながら心配性の副官はそれにいい顔はしてない訳で。
「少尉殿、今日もお迎えご苦労様ですね」
「ええ、全く大変な業務です」
嫌味混じりの敬語に、全力で応じてきたのは喜ぶべき事なのだろうか。
取り敢えず、出会ってから僅か七日でエインに対する敬意が薄れたのは伝わる。
「今日の予定は八時から五十三区の方で広報活動、その後は普段通りの哨戒任務です」
「広報、ね。だったら、少し寄りたいとこがあるんだが、いいか?」
「?、構いませんが」
オニキア帝国は所有する中でも最大の浮島、《ガーデン》を中心に無秩序に広がった浮島の数々をその領土としている。
街は一区、二区、と番号で分けられており、総数は五十三、三十を超えた辺りからは小さな、この空で島として認識されている五十二には数えられない小さすぎる浮島一つが丸々区になる所もある。
そして、当然というべきか、軍の本部が置かれた《ガーデン》から離れれば離れるほど治安は悪くなり、同時に人以外の種族も見られるようになってくる。
「エイン!久しぶりだな!」
「おう、ラビン。暇が出来たから来てやったぜ」
喋る兎、とでも言うべきだろうか。
小柄なオーキスよりも更に小さな、服を着て二つの足で立つ兎がそこには居た。
《バイオン》、自然と共に生きる者達。
カナンは彼らを図鑑でこそ目にしたことはあれど、実物を見たのは初めてである。
「少尉?」
「あ、すいません。少し驚いてしまって」
「もしかしてあんた、オニキアの首都から動いた事ない人かい?だったら、そりゃそうだろうよ。人間絶対主義のあそこで生きていこうなんて奴は頭が湧いてるやつばっかだ」
オーキスの顔が少し陰る。
人間絶対主義、オニキア帝国の掲げる唯一の理想。
人権、という言葉をある意味では究極的に正しく理解した最悪の。
「ま、バイオンに限らずリエスタも、ハルヴァーンも、つか極論的には龍の血筋を持つ者だろうとあの国は人間でなければ認めない。そこまで意志を持ってるなら、逆に尊敬するけどな」
と、言った本人が付け加える。
「そういう事だ。少尉が悪い訳じゃない、あんま気にすんな」
「・・・はい」
「で、今日は何しに来たんだ?まさか、本当に面を見せに来ただけか?」
「あー、広報活動だよ。軍隊志願者求むってな。どうだ、ラビンも?」
「冗談言ってんじゃねえよ。門前払いどころかその場で処刑されちまうぜ」
言って、ラビンは豪快に笑う。
可愛らしいのに口調が粗雑であるのが、どうにもいただけない。見た目は愛玩動物、中身はおっさんとでも言うべきだろうか。
「ま、用事は本当に無いんだ。任務ついでに顔出ししたかっただけだよ」
「そうか、元気でやってるようなら良かったよ・・・可愛らしい番も出来たみてえだし」
「ただの副官だよ、邪推すんな」
「本当か〜?」
「口の減らない兎だな。その出っ歯を折ってやろうか?」
「牙だ!殺すぞテメエ!」
赤目が血走る。恐ろしい物を見てしまった。
というか、兎に牙とは。
人知れずオーキスからの好感度が下がっていく事に気付いていないラビンは、しばらくエインと言い争って、漸くその舌を収める。
「おっと、いけねえ!俺もそろそろ移動しなきゃだ。じゃあな、エインと、副官の嬢ちゃん、達者でな!」
ラビンが乗り込んだのは小型の飛空挺、但しその船体を白のペンキで真っ白に塗り潰し、張られた帆には厳ついドクロマークがあるが。
「もしかして、ラビンさんって」
「ああ、あいつは空賊だよ」
「やっぱり」
空賊、読んで字の如し。空の賊である。
島の間を飛ぶ商船や客船などを襲い、そこから奪った荷物や金などを奪う事で生計を立てる軍にとっての敵。
「ま、あいつはちょっと違うけどな」
「違う、とは?」
「あいつの商売相手は空賊なんだ。言わば、空賊狩りとでも言うべきかね」
「へえ、もしかして強いんですか?」
「ああ、アレであいつは中々の実力者だ。裏ルートから仕入れた魔力兵装まで持ってやがるからな」
魔力兵装は国の管理する、資産にして兵器。当然ながらそれが個人の所有になるなどあってはならない事だが、物事には何事にも抜け道という物が存在しているという事だ。
「さて、他にも寄るところがある。道中、適当に広報しながら行くぞ」
「広報はオマケじゃ無いですよ」
ため息を吐きつつも、エインの後ろをついて行く。実際、広報活動なんてものに意味は無いのだ。
オニキア軍は最早、そこまで大きくなっている。オニキア帝国の上層部の大半は軍の上位士官であり、有力な貴族も多く軍に所属しているのだから、軍の意向を国は無視できない。
否、無視するも何も国が軍と言っても過言では無いのだから、ただ自分の意志を押し通しているだけかも知れないが。
次にエインが訪れたのは、五十三区にしては不自然な程に綺麗で、大きな、建物だった。
辺りのボロ小屋にしか見えない建物や、大きくても柄の悪そうなそれとは明らかに違う、それこそ、一区、軍本部と隣接する都市にあっても違和感のなさそうな。
「ここは?」
「ヴェリア孤児院、俺の住んでた場所だ」
「え」
言って、エインは歩き出す。
それを追って、白亜のアーチ型の門をくぐってそこに踏み入る。見えるのは可愛らしい手入れの甘い様々な花の乱れ咲く花壇と、その奥に見える白い小さな山、だろうか。
まるで季節外れにも積もった雪山のような、それは二人が入った瞬間、身動ぎする。
それと同時に放たれるのは、威圧感とそれに伴う圧倒的な魔力。
そして、漸くそれの正体がわかった。
振り向きながら起こした上半身やそれまで見えていた背中を覆うのは、雪のようにも見える白磁の鱗、広げられた翼は強靭にして芸術品のように美しい。
顎門に生え揃う鋭牙と、丸太の数倍はあろうかという腕の先には切り裂けぬものなど無いと言わんばかりの剛爪。
龍種、この空だけでは無い七つの空全てに於いて脅威とされる。
咄嗟にオーキスが身構えるが、それをエインが制する。
「隊長?」
「まあ、待てって。久し振りだなギル」
言った瞬間、ギルと呼ばれた龍が吼えてエインにタックルをかました。
「アベッ!?」
奇妙な声を発して、エインの姿が遙か彼方、具体的にはくぐってきた門の前辺りまで吹き飛ばされる。
暫しの沈黙、漸く事態を把握して、
「隊長!?」
悲鳴じみた叫び声を上げた。
咄嗟に駆け寄って上半身を揺らす。
「ちょっと、大丈夫なんですか!?病み上がりですけどギャグ漫画みたいな吹き飛び方しましたよ!?」
「お母さんが見えるー」
「ついに幻覚が!?」
「大丈夫ですよ、幻覚じゃありません」
「え?」
後ろから掛けられた声に振り向く。
そこに居たのは思わず女性のオーキスですら見惚れてしまいそうになるほどの、女性であった。




