術式解帰
エタらなかったぞー!
「術式には二つの段階がある」
オニキア軍第三訓練室にて、素手の組み手で投げ飛ばされまくり、疲れ果てて床の上に転がるオーキスを見下ろすエインは指を二本たててそう言った。
常は逆立てられている髪は下ろされており、眼鏡を掛け、軍服では無く緩い運動用の服を着込んだ姿は少し新鮮である。
「・・・どういう事ですか?」
切らした息を整えて、尋ねる。
「例えば」
呟いたエインが掌を遠くに置かれた空き缶に向けた瞬間、一条の稲妻が走りそれを吹き飛ばした。
言わずと知れた彼の術式、《迅雷》である。
「これが通常の、誰もが知る意味の魔法。使用する術式に対する知識を持ち、発動に足り得る魔力を持ち、身体にその術式を刻む事で発動する」
ただ、と。彼は続ける。
「これはあくまでも一般的に知られる魔法の表面でしかない。そして、たとえ士官学校や魔法学校だとしても、これより先は教えない。何故だと思う?」
「どうして、ですか?」
「堕ちるからだよ。己の領分を超えた圧倒的な、魔法という力に」
「おちる?」
「・・・これを」
オーキスの端末に送られた画像には、正気を狂わせるような悍ましい何かが写る。無数の触手とその中心にある無数の目と口、噴き出す緑黄色の液体は血液だろうか。
「・・・何ですか、これ」
「元人間、魔法に堕ちた、な」
「っ!?」
驚愕と共に再び画像に目をやる。
とてもではないが信じられなかった。絶句するオーキスに構わず、エインが続ける。
「そいつはオルフェ・ビルギット、お前らの代の四つ上で、お前と同じように隊長付きとして第七小隊の副官として配属された。そして、配属から二年、魔法に堕ちて第七小隊の現隊長の手によって始末された」
「・・・どうしてその話を突然」
「分かってんだろ、その理由」
言葉を被せたエインにオーキスはどきりとする。
「別に責めはしねえよ。魔法使いであれば、それは本能のようなものだ。ただ、それは魔法という物が抱える闇と表裏一体、己を高めれば高める程、魔法はお前の近くに寄ってくる。ただでさえ、お前は魔法に好かれやすいみたいだからな」
エインが言うのは、一週間前の孤児院での出来事だ。
オーキスはその事を覚えていないが、二日間程眠り続けて、目を覚ました彼女にアンネローゼが一体何が起こったのかを教えてくれた。
「なら、どうすれば良いんですか」
「そう焦るな・・・それは今から教えるためにこの話をしたんだ。本来、この事を教えるのは配属してから最低でも一年経った後、十分に実戦経験を積んだ後なんだがな」
言ってから、エインは言葉を紡ぐ。
それは力ある言葉、紡がれる事で魔法の更なる深みへと沈みゆくそれ。
「・・・迅雷展開」
その言葉を聞いた瞬間、オーキスは咄嗟に身構えた。それは彼女が知識としてその言葉に続いて発生する現象を知っている故か、はたまた無意識下に刻まれた危機感故か。
だが、果たして、彼女の予測した暴威は吹き荒れなかった。
そこにあったのはエインを覆うようにとぐろを巻く龍を象る雷だった。ただ、雷に本来付随する筈の眩い閃光も、熱量も感じられはしない。信じられないが、本当に形を保った雷がそこに存在していた。
「・・・学校で教えられる魔法とは、術式の一部を魔力でもって現実世界に反映させる事を指す。さっきも言ったが、それは完璧に正しい訳では無い、けど、間違えてもいない。ここまで聞けば魔法の二段階目がどういうものなのかは想像出来たんじゃないか?」
分かるだろう?と。言外に言ってきたエインにうわ言のようにオーキスは返す。
「・・・術式の全てを、現実世界に反映させる」
「そうだ。これが出来る魔法使いと、そうではない魔法使いとでは埋めがたい差が出来る、魔法使いの辿り着くべき、一つの到達点」
エインは一度言葉を区切ってから、再度口を開き、
「その名を《術式解帰》と言う」
そう言った。
☆
オーキスが艇から飛び降りた瞬間、空に極大の氷の蕾が産まれた。
オーキスの身体を中心に出来たそれは、氷だというのにまるで本物の華のようにゆっくりと、緩やかな螺旋を描くように花弁を広げ、開花するのと同時に砕け散り、周囲の温度は一気に三十度近く下がる。
ダイヤモンドダストへと変わりゆく空気中の水分、艇の手摺や甲板に霜が降り、吐き出した息が白く染まる。
「嘘、だろ?」
ティガ・フレーガー中佐は信じられないとばかりに呟き、それを引き起こした元凶であろう少女の姿を見やった。
白銀の翼を広げ、空を自由に舞う少女。
オーキス・ブライトを。
☆
魔力の氷で造られた白銀の翼で《黒龍》と同じ高さまで飛翔、オーキスはその手に握った刀を振るう。
「氷華扇!」
扇状に広がる氷の波がその巨体を飲み込もうと、龍へと押し寄せる。
並みの魔法使いの攻撃など避けようともしない《黒龍》ではあるが、流石にその攻撃は脅威であると認めたのか、上空に飛翔する事で回避、睨みつけていた艇からその攻撃を放った者へとその視線を向けた。
そして。
「ッッ!!!!」
放たれるは、聴く者を狂騒へと駆り立てる咆哮。
それは目の前の少女を敵と認めたというサインだ。
並みの者ならば竦みあがるようなそれ。
だが、オーキスはその一切を意に介さず、
「ハアッ!」
刀を一閃、巨大な斬撃を飛ばす。斬り裂いた物を凍てつかせる不可視の刃を難なく龍は回避すると、お返しとばかりにその口から漆黒の咆哮を放った。
「やべえ、少尉!回避を!それは触れた物を侵す病の吐息だ!」
甲板からティガが叫ぶ。
だが、オーキスはその助言を完全に無視して漆黒の咆哮へと真正面から斬り込んだ。
「何して!?」
「っ!?」
ティガが驚愕するが、ブレスを放った《黒龍》はそれ以上の驚愕を示した。そして、それ故に《黒龍》はブレスを突っ切って飛び込んできたオーキスへの対応が遅れる。
「ザアイッ!!」
躱しようのない近距離から放たれる、大上段から振り下ろされた一撃がその胸へと吸い込まれ、普通の斬撃では到底出ないような爆発的な衝撃音と同時に龍の身体が弾かれる。
そして、その直後。
「ガアアアァァッッ!!!」
《黒龍》が苦悶の叫びを上げた。
その胸元には巨大な氷塊、否、氷華が開花している。
傷口から入り込んだ《氷獄》の魔力が内側から爆ぜるように、巨大な氷華を開かせたのだ。
例え、龍だとしても致命傷となる程の一撃。
墜落していくかと思われた《黒龍》は、しかしその翼で空気を叩き、再び空へと舞い上がった。
更に、胸に咲いた華も砕け散り、抉れた胸元の傷が閉じていく。
《黒龍》はその獰猛さや、様々な種類の咆哮や強靭な肉体などの戦闘力もさる事ながら、例え致命傷を食らっても即死で無い限り即座に治してしまう治癒力こそが最も厄介な脅威とされる。
ティガとレオンは《黒龍》の身体を遥か彼方まで吹き飛ばす事で対応したが、あくまでもそれは討伐する必要が無かったのと、相性が良かった為だ。
本来、《黒龍》に真正面から対応して、討伐、もしくは屈服させるのは困難を極める。
それこそ、国を挙げて行うレベルのものだ。
「ガアッ!!!」
放たれた雷と水の複合咆哮。
回避しようとするが、先程、漆黒の咆哮を無理矢理突破したツケが来た。
「ゲホッ」
悍ましい量の吐血。
見れば手の先が黒ずみ、壊死しており、それはどんどん広がって来ていて、
「しまっ・・・」
更に避け損ねた咆哮が直撃、高圧で飛ばされた水で肌が斬り裂かれ、水を伝った電撃が体内から身体を苛む。
ボロ切れのように吹き飛ばされた後は余りのダメージに苦痛の声を上げることすら出来ず、墜落していく。
完全な敗北、恐らくオーキスはこのまま地上に落ちて、否、地上に落ちる前に死亡する。
だが。
(時間は稼げた・・・これだけあれば、艇は十分に間に合う)
ティガにああは言ったが、元よりオーキスの目的は時間稼ぎだ。全滅の危険性もあった所をオーキス一人の犠牲で済んだのならば、大金星だろう。
そのまま意識を手放そうと、オーキスが目を閉じた瞬間。
「オーキスちゃん!まだだよ!」
聞こえたのは、少女の、この一ヶ月で何度と聞いた聞き覚えのある。
「ハイル伍長・・・何で・・・」
目を開けば遥か上空、先程までオーキスが戦っていた高度の辺りに第三小隊の面々を乗せた飛空艇が見える。
どうして行ってくれなかったのか、と疑問に思うと同時にハイルがオーキスに向かって何かを投げつけて来た。
(ロープ?)
それは先端に重りのつけられた、船を島に留める為のロープ、投げつけられた軌道的に墜落するオーキスが丁度掴める位置に来るであろう事が分かる。
「掴んで!」
ハイルの声、壊死した所に水の直撃を受けた事で指が無くなってしまった左手では掴めない為、右手の刀を口で咥えてロープを掴む。
その瞬間。
「!?」
最早、死にゆくだけだった筈の身体に力が戻ってくる。
だが、これは身体の奥底からでは無い、まるで外部から力を注ぎ込まれているかのような。
原因を考えた瞬間、自分の左手に浮かんだ淡く輝く光のラインを見て理解する。
(これは、レオン曹長の《強化》!)
《強化》の術式はレオン自身が直接、若しくは間接的に触れているものに魔力を流し込む事でそれを強化する。
つまり、ロープを伝ってレオンの魔力がオーキスの身体を強化しているのだ。
「ッ!」
氷の翼と魔力により、飛翔する。身体が回復した訳では無いが、痛みきった身体を再び動かすだけの力は戻った。
風を切って、空へと昇る、昇る、昇る、《黒龍》を通り過ぎ、更にその上へ。
一方、オーキスを目視した瞬間、《黒龍》は再び同じ高度まで戻ってきた敵へと、戦意を燃やす。
そして、オーキスがロープを離して刀を右手に、《黒龍》がオーキスの方に身体を向けた瞬間、勝負は再開した。
頭上のオーキスに《黒龍》が吼え、太陽を背にオーキスが刀を構えた瞬間一人と一匹は互いに一気に距離を詰める。
だが、猛然と空へと昇る《黒龍》に対し、ロープを手放した事で《強化》の恩恵を失い始めたオーキスは殆ど重力に任せた自由落下、誰が見ても、有利なのは《黒龍》であった。
「ガアアアァァ!!!」
《黒龍》の口腔に濃密な魔力が溜まってゆき、創り出された、極限まで圧縮された咆哮はまるで小さな太陽が如し。それに秘められた余りの破壊力に、周囲の空間が歪み始める。
「・・・」
一方、落下の際の風圧すら激痛だろうに、オーキスは刀を鞘に納め、来るべき一瞬に向けて只管に集中を高めていた。
その身体に纏われた魔力は、まるで水面のように静かで、身体の力の一切を抜いている。
そして、対極に立つ一人と一匹、その二つが交錯した瞬間、周囲の空域にすら響き渡る程の衝撃波と轟音が起こった。




