遠征
「遠征、ですか」
オニキア軍本部内の食堂。二等兵、つまりは軍で一番階級の低い者の給料でも月に百食は腹一杯食べれる、激安大盛り定食を出してくれる事で有名な。
多くの士官、下士官達の集うそこよりもワンランク上の、建物上階にある食堂、というよりはレストランと言った方が正しいそこで、オーキスは目の前の男性が突然言い出した事を復唱する。
「復唱して確認を取るのは良いことだな」
「からかわないで下さい」
食事相手である、エインは口に含んだ物をしっかりと嚥下してから続ける。
「まあ、それはそれとしてだ。そろそろ就任して一ヶ月、ちょっと大きな仕事をやってみる気はないか?」
別に断る理由も無い。
オーキスは手に持ったグラスを傾けて答える。
「・・・分かりました。任務内容を聞いても?」
「ま、食事が終わってからな」
「・・・」
言って、エインは新たに皿の上にフォークを伸ばした
☆
吹き抜ける風に揺れるスカートを抑える。
第四飛空艇発着場、任務用の小型高速飛空艇が何台も並べられた様は壮観と言えた。
「少尉」
「ティガ中佐、どうかしたんですか?」
「緊張してねえかって、思ってな」
「まあ、少しは」
苦笑いしつつ刀の柄を撫でる。
「皆さんは遠征に行った事はどれくらいなんですか?」
「第三小隊に入る前とか、個人差はあるが、俺は七回、レオンは四回、ハイルは俺の知る限りじゃ二回くらいだな」
ハイルは経歴が異色すぎる、と愚痴気味に呟くティガ。
と、同時にオーキス達が今回使用する飛空艇がゆっくりと二人の前に降りてくる。
「発進準備完了したっす。少尉、どうぞ」
「ありがとうございます」
柔らかな着陸はレオンの操縦技能の高さ故か、その飛行艇の性能の高さ故か、はたまた両方か。
降ろされた梯子を登ると、そこには既にハイルの姿もあった。
「おはようございます。ハイル伍長」
「ん、おはよー。オーキスちゃん」
寝転がったまま返事をした彼女は、大きな欠伸を一つして、猫のように甲板に置かれたマットの上で転がる。
上官の前の態度とは思えないが、どこか憎めないのは彼女の人柄だろう。
「レオン、全員乗り込んだぜ」
「了解。発進するよ」
見渡す限りの青空へと船が漕ぎ出す。
張った帆に風を受け、魔力でそれを後押し、緩やかな加速感を感じつつも揺れのほとんどない完璧な離陸。
オーキスの初の遠征、その出だしは順調であった。
暫く進み、四十区を過ぎた頃、操舵をオートモードに切り替えたレオンにオーキスが話しかける。
「・・・飛空艇の扱い、上手いんですね」
「慣れっすよ。少尉も練習してみます?」
「遠慮しておきます。演習ならまだしも、遠征。万が一にも失敗は許されませんから」
「硬いっすね。今からそれだと疲れますよ」
笑いながら言ったレオン、「それより」と続ける。
「最下空域、少尉は行くのは?」
「初めてです。一応、論文やレポートは読んできましたが」
今回の遠征、その目的はとある敵性生命体の撃退、及び討伐である。
そして、その敵性生命体との戦闘区域となる場所こそが《最下空域》、七つの空それぞれに一箇所ずつ存在する、空の中で最も地上に近い場所。
「そっすか。じゃあ、先達者から一つだけ注意を。虹が見えたら直ぐにその場所から逃げた方が良いっすよ。虹が見えなくなるまで」
「虹、ですか?」
「そうっす。これはレポートとか研究資料には無いんすよ」
「それは何故?」
「それは・・・」
レオンが言おうとした瞬間、衝撃が飛空艇を襲った。
魔法による艇体制御があるにも関わらず、艇が激しく揺れる。
「何があったの!」
「レオン、全速で逃げろ!やべえのが来た!」
それだけでレオンは直ぐに行動へと移る。
同時に身体が後ろへと突き飛ばされたかのような強い加速感、一拍遅れて走ってきたティガが状況を伝えた。
「で、何が来たの?」
「ハイルが喜ぶ奴だ」
どこか呆れたような口調のティガを見て、レオンは納得がいったとばかりに溜息を吐き出す。
そして、船の後方で喜びの声が上がる。
「あー!ノワちゃんだ!」
青ざめながらオーキスも船の後方に走り、それを目にして思わず溜息を吐き出したくなった。
そこに居たのは数日前、レオンとティガにより別の空域まで飛ばされた、全身を漆黒の鱗で覆う飛竜。
「もしかして、これって前に戦ったのと同一の個体ですか?」
「そうだよ!ほら、見て!あの傷、私が殴った後!」
言われてみれば、確かに鱗が一部変形して欠けてしまっているのが見える。
まあ、それが分かったところでどうしようもないが。
「・・・ハイル伍長、第二種警戒態勢へ移行します。船を戦闘形態へ」
「分かったよ!」
走っていったハイルを見送ってから、取り出した通信機をティガのそれへと繋げる。
「中佐、このまま逃走を続けても艇の出力じゃ《黒龍》から逃げきることは不可能ですよね?」
「そうだな。今の予定だと・・・四十三区で迎え撃つつもりだが」
「それも望み薄、ですよね」
「その通り、奴には咆哮もあるし、確実に捕まる。足止めしようにも空はあちらの領分だ。間違いなくやられるな」
オニキア軍に限らず、この世界の飛空艇の殆どの設計において、空での戦闘は基本的に考慮されない。
そんな事をせずとも、魔法での対処が可能である為で、魔法で対処できない事態、例えば今のオーキス達が置かれた状況を打破できるような艇を量産するのは、そもそも不可能である。
「・・・仕方ありません。私が足止めをします。レオン曹長は船の操縦を、ティガ中佐、ハイル伍長は援護を」
「なっ!?馬鹿言うなっての!あんたが犠牲になる事は無えよ!立場的にも、年齢的にも行くとしたら俺だ!それに、組織の頭が真っ先に命を投げるなんて聞いた事が」
「命を投げるなんて言ってません。私なら一切の犠牲を出さずにこの事態を打破出来るから言っているんです」
「何だと?」
訝しげなティガの声、それに対する返答はせずに。
「では、援護を頼みます」
「おいっ・・・」
通信機の電源を落として艇から飛び降りる。
身体を持ち上げようとする強風、目の前に広がる真白の雲海、はためく軍服の音なのか風の音なのか分からなくなるほどの音が耳に流れ込む。
前方には未だ船を見据える《黒龍》の姿。まずはその興味をこちらに移さねばならない。
「氷獄・・・開錠ッ!」




