第三小隊
「遂に鍵が一つ開かれたか」
ポツリと呟く。
辺りに残響する音を拾う者はいれど、返答は無い。誰もそんな事をするだけの余力など残っていないからだ。
腕を少し動かせばジャラリと、何重にも重ねられた魔力抑制の手錠と、それと繋がった足枷が音を鳴らす。そして、それと同時に何かの気配。
それの正体に気づいた瞬間、窓の無い、灯りの一つもない。常人であれば一週間で発狂してしまうような暗闇の中で男性は愉快そうに笑った。
「久しいな。いつ以来だ、オルゼニアス」
「六年ぶりだ」
気配の主はオニキア軍の全権をその掌に収める翁、総隊長オルゼニアス・バラルガンである。
「六年、ふーん。道理で見栄えの変わらない訳だ」
「貴様に言われたくは無い」
「確かに」と、薄ら笑いと共にこぼしてから男性は続ける。
「で、わざわざ来たんだ。世間話の為では無いんだろう?」
瞬間、周囲から湿った音と共に醜い絶叫。
漂ってくる血の匂いにオルゼニアスが顔をしかめる。
「辞めんか。品の無い」
「そう思うなら部屋変えなよ。ちょっと魔力を出しただけでこれじゃやってらんないね」
ため息混じりに男性は天井を仰ぐ。
高く積み上げられた本の頂上、恐ろしい程のバランス感覚で悠然と座りながら、足の指先で戯れに本の角を弄ぶ。
「どうやら、百余年という歳月は貴様にとって何の意味も無かったようじゃの」
「どうかな、意外と成長してるかも」
空気が張り詰める。
今にも殺し合いが始まりそうな程の緊張感は、されど一瞬で解けた。
「ふん、時間の無駄じゃの」
「逃げるの?」
「幼稚な挑発、お主、ボケたか?」
「ハッ、中々笑えるジョークだ。まあいい、本題に戻そう。不毛な言い争いはしたくないしね」
「・・・先日捕らえたカナンと名乗る人物が貴様の事を探しておった。一体どのような関係だ?」
「カナン、ねえ・・・悪いが分からないな」
「見え透いた嘘・・・どういうつもりじゃ?」
凄むオルゼニアス、常人ならば失神してもおかしくないその威圧感を全く気にすることの無い男性は肩を竦めるだけだ。
「良かろう。だが、オーキスはこちらの手中にあるということ、夢忘れるな」
「忘れないとも」
オルゼニアスが振り返り、牢獄より立ち去ろうとすると、その後ろ姿に声が掛けられる。
「一つ忠告だ。あの子が、オーキスがいつまでも君達の掌にあると思っているのなら、いつか痛い目を見るよ」
「・・・本来の力を何重にも封じられ、守護士の監視下にある、言わば羽根をもがれ、鳥籠に足枷付きで封じられた鳥がどのようにしてそこから逃れられる」
「前提から間違ってるね、そもそも彼女は鳥なんて可愛い物じゃない」
「ならば何だ?」
男性は不敵に笑い、天を指す。
「白銀の、天を往く美しい龍だ」
囚われた男性、全身に何重もの封印を重ねられ、物理的にも魔法的にも、完璧な封印を施された、例え鍛え抜かれたオニキア帝国の軍人だろうと指一本すら動かせないであろう状況下に置かれて、尚余裕さすら感じさせる彼。
その名はアレフディア・マーキュリアル。
ともすれば、この空の全てを混乱に陥れる可能性もある禁断の術式を開発した咎によりオニキア帝国最大の牢獄にその身を繋がれた、かつての英雄。
「言っていろ」
が、それに相対する者もまた英傑であった。
ほんの一瞬、放ったのは闘気。魔力とは違い、言うなれば凄み、本来何の意味も為さない筈のそれ。だが、それを向けられたアレフディアの前髪が浮き上がる。風など一切存在しないこの閉鎖環境でだ。
「じゃあね」
振り返って去っていくオルゼニアスを呼び止める声は今度こそ無い。
再び静寂の支配下に置かれた牢獄の中で来たるべき日に向けてアレフディアは、ゆっくりと目を閉じた。
☆
オニキア軍本部第四演習場。
目の前に立つエインと向き合うオーキス、その手には漆黒の刀。
ムラなく均された土を蹴り起こして距離を一気に詰める。
「ハアッ!」
鳴り響く剣戟音、魔力兵装同士のぶつかり合いによって弾けた魔力が双方の顔を照らす。
互いに弾き合って、先に動いたのはエイン。
高速で放たれた、あまりの速さに幾つにも分身したかのように見える程の乱撃。
刺突を織り交ぜた剣舞を最小限の動きで何とか弾きつつ、刺突の一つを刀の峰で押し上げるようにしながら巻き込む。
筋力はエインの方が上だが、武器としての質量差を有効に活用、隙と言えるほどでは無いが、エインの体制を崩す。
(貰った!)
一本取った、と。確信しての横薙ぎの一閃はしかし。
「甘いな」
「え?きゃっ!?」
踏み込んだ脚を刈り取られて、逆に体制を崩されてしまう。そして、クルリと細剣を回しながらそれを喉元に突きつけてくるエイン。
「十本勝負終わりだな」
「またパーフェクト・・・」
がっくりと項垂れるオーキスに愉快そうに笑うエイン、その二人を遠くから眺める二つの影。
「少尉が就任してから一ヶ月、隊長とあれだけやりあえるようになるとはね」
「士官学校上がりって聞いてたが、使えそうだな」
レオンとティガ、エインの率いる第三小隊のメンバー、その内の二人である。
「何それ、暗に自虐してんの?」
「一般論だ」
「そっ」
興味無さそうに言って座っていたベンチから立ち上がるレオン。
「少尉、隊長、お疲れ様っす」
「あ、おはようございます、レオン曹長、ティガ中佐」
「おはよ、少尉」
「ん、おう」
挨拶してから、一人足りない事に気づく。
「あれ、ハイル伍長は?」
「あいつなら・・・」
ティガが言いかけた瞬間、空が暗くなった。
不思議な事件の絶えない空といえど、突然朝が夜になる事など滅多に無い。思わず空を見上げる。
見上げた先にあったのは巨大な黒い何か。
そして、それはオーキス達を押し潰すように空から降ってきて。
「離れろ!」
エインの指示と同時に全員が全力で演習場の端まで逃げる。
その直後、轟音、そして小さく無い地震と強風。
砂埃に細めた視線の先、墜落してきた何かの正体はその全長、優に二百メートルを超える巨体であった。
光沢を放つ黒鱗、発達した筋肉に切り裂く、というよりは轢き潰すと言った方が正しい運用をされる爪。顎門に並ぶ牙は上質な武器や防具にも使われる事のある。
「龍種・・・それも《黒龍》」
余りの驚愕に呆然気味に呟く。
《黒龍》は龍種の中でも特に気性の荒い、そして高い戦闘力を持つ。
すると、その背に一人の少女が居るのが見える。
「おはよう、みんなー!私が来たよ!」
「ハイル伍長!まさか・・・」
「あ、オーキスちゃん!聞いて聞いて・・・ってうわあ!?」
「まだ、生きてますけど!?」
暴れ始めた《黒龍》、どうやらまだ生きているらしく、その身を痛めつけたハイルに怒り狂っている。
「良いね!そうでなくちゃ飼う意味無いよ!」
「飼う!?何言ってんのお前!?」
遠くで悲鳴じみたエインの声、声にこそ出していないが、オーキスも同じ気持ちであった。
ハイルがこのような事をするのは初めてでは無い。
確か、以前は《風虎》と呼ばれる化け物虎を四十区辺りの島から連れてきていた。
当然、直ぐに自然へと返したが。
「船なんてナンセンス!私も隊長みたいに龍に乗って島を渡ってみせるよ!」
「小隊全員で何とか阻止するぞ!マジでやりかねん!」
言われて、全員が構える。
龍、ハイル、小隊の三つ巴。
当然だが龍にとって、ここを破壊しない理由などない為、本来なら、まず最優先でどうにかしないといけないのは龍であるが。
「《黒龍》は己を叩きのめした者に付き従う!既に大分ハイルにやられているから、これ以上ハイルに攻撃させるな!」
という事情から、ハイルか龍か、どちらを優先すべきかの判断がつかない。
「お、いいね!バトルロイヤルだ!みんな私にかかってこーい!」
「バカタレ!お前の相手は俺だけだ!」
エインがハイルに仕掛ける。
同時に《黒龍》の咆哮、演習場に猛々しい魔力が吹き荒れた。
「隊長がハイル伍長に行きました!私達で《黒龍》を!」
「了解っす!」
「了解した」
レオンが走り出す。
その脚と腕に数本走る、淡い輝きのラインは彼の術式、《強化》。
自身の肉体は勿論、直接、若しくは間接的に彼が触れているものに魔力を流し込む事で強化する。
「大人しくしろっての!」
単純故に強力、強化された脚力は彼を一瞬で龍の頭部分まで運び、その拳の一撃は龍の頭を後方に弾く程の威力。
だが。
「やべっ」
しなって、戻ってきた首の一撃で以ってレオンの身体が弾かれる。
銃口から放たれた弾丸もかくやといったスピードで演習場の壁に叩きつけられ、その直後、《黒龍》が発達した尻尾で以って追撃、レオンの身体が埋まった事で穴の空いた壁を完全に破壊した。
「レオン曹長!大丈夫です・・・か・・・」
言いかけて、歯切れが悪くなったのは、そこにあった信じられない光景に目を疑った為だ。
何しろ、振り抜かれたと思っていた尻尾が途中で中途半端に、まるで何かに受け止められているように止まっているのだから。
「残念、力比べは僕の方が上みたいだね」
片腕でいとも容易くそれを止めてみせたのはレオンだった。
そして。
「《ウルヴァス・アバター》起動」
後方に待機していたティガが呟くのと同時、その前方に出現するのは黒と赤の二色のみで組み上げられた人型の何か。
ティガの術式は《十人十色》、その名の示す通り、十のそれぞれ違う能力を持つ《アバター》と呼ばれる人型の何かを出現させ、扱う。
ただし、一度に使えるのは一体のみ。
「行け」
《黒龍》に迫る《アバター》。
飛び上がり、胸部分へと握り込んだ拳を叩きつけるが、レオンのように龍の巨体を弾く程の威力は無い。
まるで意味のない攻撃のようにも思える。
だが、その直後信じられない事が起こる。
「いつ見ても凄い能力ですね」
「使い道が限られすぎだ。その点、レオンの単純さが羨ましいね」
フワリと、まるで風船のようにその巨体が浮かび上がったのだ。
普段から飛んでいるが、それ以外の何らかの力で浮ばされた経験は流石に無かったらしい、《黒龍》は困惑しているのか、なんの行動も取れていない。
《ウルヴァス・アバター》は触れた物質を生物、非生物問わずに5秒間だけ浮かせる。
浮いている間、魔力を持った物以外は浮いているそれに干渉できないが、逆に魔力を持ってさえいればどれ程の重量物でも簡単に動かせる。
「済まねえな《黒龍》。うちの馬鹿娘に付き合わせちまってよ。ただ、ここで暴れられても困るから」
「ちょっと、別の空域まで飛んでいって貰うよ!」
いつの間にやら、レオンが浮かび上がった《黒龍》から離れた位置でクラウチングスタートの体制を取っていた。
そして、走り出し、全力のドロップキックが龍の胸に決まる。すると、その身体が物凄い速度で空の彼方へと消えていってしまった。
暫し、間が空いて。
「・・・私、必要ありませんでしたね」
「ま、ああいう手合いはほら、僕達の方が慣れてるっすから、ハイルとの付き合いの年季で」
「そういう事だ、少尉。あんたはまだ就任して一ヶ月、即戦力になられても俺達の立つ瀬が無い」
「・・・はい」
理解は出来る。だが、納得は出来ない。お飾りの副官となる事だけは絶対に避けたい。
焦りは良くないと頭を振るが、それも頭で理解しただけだ。
「あー!?私のノワちゃんが!」
「よーし!良くやった!」
悲鳴と歓喜の声の方に顔を向ける。
そこにあったのは一体何をしたらそうなるのかと聞きたいほどに凄惨な現場だった。
めくり上がった地面は、その下にある島本来の地盤まで到達しており、辺りの壁は半壊、中には融解したのか赤熱した金属の破片に半ば溶岩と化した岩石の数々。
エインもハイルも傷こそ負ってないものの、疲労の色が濃い。
「まだまだだな、私」
自分よりも幼いハイルを見て、未だにエインから一本も取れていない自分に嫌気が差す。
以前、エインは言っていた。
「副官は隊長にとってのもう一つの頭脳だ」と。
今の自分はどうだろうかと自身に問いかける。
その答えは結局出なくて、オーキスの胸の中に未回答の解答欄が残った。




