11 創
さて、ファイとゲオルグ、その後の二人について語ろう。
ゲオルグはファイを伴い、西の国の王を訪ねた。
すると、なんとしたことか。
西の国の王は、ファイのことを知っていた。
そこで明らかになったのは、氷の心を持つという北の国の王が、ファイを所有していた、という話なのであった。
ゲオルグの受けた衝撃は計り知れない。
なぜ今まで黙っていたとファイに言ってはみたものの、ファイは相変わらずの生返事。
ファイの記憶の糸は絡まったまま淵に沈んでいる。
記憶のおかしさは秘術の影響によるものだと教えたのは、西の国の王の横に立つヨーマだ。
西の国の王が更に言うには、そうでなくとも、ヨーマの物事の軽重の判断はヒトとは異なるのだとのこと。
何を話す話さないひとつとっても基準が違い過ぎる。分かりあえないことも多いのだと苦笑い。
ゲオルグはファイを理解しかねた。
ゲオルグは、分かりあえないのならば、そういうものだと割り切るべきだと判断した。
頭でそう考えたというよりも、感覚的な部分が先に働き、呑み込んで引き受けていた。
これまでの旅が鍛えたのは、ゲオルグの武のみにあらず。
ヒトとヒトだとて、土地、文化、職、群れ、個によって、どうにも理解しあえないことは多くあった。
正面切ってぶつかり合って得るものもありはしたのだが。
しかし、壊れて終わる物事の方が大きかった。
ただ引き受けざるを得ないことがあるのだと、ゲオルグは身にしみて知っていた。
ならばヒトとヨーマであっても同じこと。
さて、北の国では、希少種であるヨーマを複数擁していた。
そして、未知なるヨーマの性質を、どの国よりも解析していた。
その知識の集積によって北の国は、ヨーマを飼っている、と、はばからず表現するのであった。
北の国の王であるが、西の国と時をほぼ同じくして代替わりをしていた。
穏便に攘夷が行われた西の国とは少々様相が異なっていた。
北の国の前王は、何者かに寝首をかかれたのである。
内政が乱れに乱れる不穏な中、北の国の現王は王位についた。
北の国の若き王は、猜疑心と冷徹とをもって、国を支配した。
前王も穏やかなヒトではなかったが、現王の与える緊張感は国全体を息苦しくさせるものであった。
王は常に不信の中にあり、粛清を厭わず、強圧と恐怖こそ統制を成し遂げる手段と思い決めていた。
王はヒトには心を緩めることができなかった。
しかし、ヨーマは違う。
野に咲く花のように、愛玩動物のように。
王はヨーマには、肩の力を抜いて接することができた。
多くいるヨーマの中で、もっとも自然体で気楽で無欲、時に畏れ多いほど美しくあるファイに、王は癒され、魅せられた。
ファイは、かの王に別格の扱いを受けることとなった。
北の王は、ファイの美しさも秘術もそのすべてを使用し、利用し、堪能し、吸い尽くし、使い果たした。
鬱屈をファイにぶつけた。
手加減のない北の国の王の要求に、ファイはするりと応じてしまうのだった。
見返りを求めず、憐憫もなく、欲しいというと差し出すファイ。
北の国の王は、心地よかったはずのその手軽さに、やがていら立ちすらおぼえ始める。
ファイがほいほいと差しだすたびに、なぜだか、足りないというイライラばかりが北の国の王には残るのだ。
北の国の王は、要求が果たされると、余計に欲が募るようになった。
求めて求めて、じわじわと深くファイにのめり込んだ。
北の国の王の底なしの欲は、ファイの心身の生命力を削っていった。
転機。
擦り切れていくファイを見かねたヨーマの一人が、ファイを逃がした。
この時ファイは、隠れ里テラに落とされた。
北の国の王は激怒した。
ファイを見失って半狂乱になった。
ファイを逃したヨーマは直ちに宝玉となった。
北の国の王は、今もファイに執心し、血眼になってファイを探している。
西の国の王は、ゲオルグに危険を告げた。
北の国の王の話が出た時、ファイが両腕で己を抱くようにした無意識の仕草を、ゲオルグは見落とさなかった。
北の国の王の仕打ちに対し、ゲオルグは底知れぬ怒りをおぼえた。
北の国から手の届かない南の国をゲオルグは目指した。
道中、ファイは見るもの聞くもの、すべてを新鮮に楽しんだ。
何しろ、ゲオルグが気を入れ込んでくるので、体が軽い。
ファイの笑顔をゲオルグはうれしく見つめた。
北の国の王によって、身も心も踏み荒らされたファイを思い、ゲオルグはファイを傷つけぬよう細心の注意を払った。
ゲオルグは鋼の腕の中にファイを囲いこんだ。
ファイはゲオルグの腕の中で、存分に休息した。
ゲオルグの忍耐は報われた。
ファイは真の摩耗、疲弊状態から持ち直した。
ファイは己のまことの心を感じ取れるようになったのである。
思いが深くなる。
ひと足進むごとに、ゲオルグはファイへの思いを募らせた。
ファイから戻るまなざしの色が変わり始めたと感じるのは、ゲオルグの思い上がりなのか。
事態が一転するのは西から南への国境。
ファイが北の国の王の追手に捕らえられてしまったのだ。
深い傷を負ったゲオルグは、それでも生き延びた。
瀕死の昏睡から目を覚ましたゲオルグは、鬼となった。
ゲオルグは、大切な存在を奪われる理不尽に、今再び立ち向かうこととなった。
十の年にマナを失った時の記憶が蘇った。
己の運命は、かけがえのない唯一無二の宝、否、人生そのものを我が手に取り戻す、という筋書きをもつのだとゲオルグは悟った。
あるいはマナとの出来事それ自体、ギュウダの塔の力によって照らしあげられた、ゲオルグの行く道の予兆であったのか。
ゲオルグは、今回の事態において、怒りに我を忘れるという愚に陥らずにすんだ。
なぜならば、大事なヒトを奪われるという底なしの闇に落とされながら、それを乗り越えたという経験がすでにあったからだ。
その経験がなければ、ゲオルグはなりふり構わず北の国に乗り込んで、早々に命を落としていたに違いない。
ファイはゲオルグにとって、たった一人の伴侶たる存在。
ファイを取り戻すことで、これまでの筋書きに了を書き入れる。
運命を受け入れ、終止符を打ち、未知へと向かう。
ファイを救出するべく、冴え渡り燃え上がるゲオルグの鬼は立ち上がった。
向かうはギュウダの塔。
神との交信者マナを、ゲオルグは訪ねた。
マナは、ゲオルグがやってくることを知っていた。
やっとゲオルグに恩返しができる、とマナはほほ笑んだ。
マナの隣には、赤毛の男ネオンが控えていた。
何一つ返礼を受けることなく、マナは非常に力強い託宣を授けた。
ゲオルグは、託宣に導かれ、道を切り拓いた。
ゲオルグは北の国において、中央への不満を抱える辺境の人々を束ね、革命を起こしたのである。
北の国の辺境の人々は、たび重なる天災に疲弊していた。中央からの助けはない。内紛に終始する中、辺境の訴えは退けられ、むしろ租税が上がった。現王への批判は、一族郎党残さず根絶やしにされかねない危機をはらむ。
辺境の人々は、次の天災で死ぬしかないという諦念の中にあった。
ゲオルグの存在は、待ちかねた奇跡、希望となり、人々の心を生き返らせた。
何よりもギュウダの塔の託宣を受けている事実が、民衆の心をまとめ上げたのであった。
裏で西の国の王が加勢した。
西の国の王は、ゲオルグを気にいっていた。
西の国のヨーマが、ファイを助けてほしいと願う一幕もあった。そのことも、西の国の王は気にいっていた。
とはいえ、ゲオルグに肩入れをしたのには、もうひとつ別の理由があった。
本当のところ西の国は、絶えず小競り合いを仕掛けて来る北の国に辟易していた。
目障りな北の国を叩き潰してしまいたいと願っていた。
自らの手を汚さずに、北の国の現王が倒れてくれるのなら、これほどうまい話はない。
西の国の王とゲオルグの利害は一致したのだ。
西の国の王は、王として判断した。
ゲオルグに相当の武力を提供した。
国家間の何事かなど知ったことか、とゲオルグには気にいらない気持ちもあったが、西の国の王の助力なしには戦力が足りない。
ゲオルグは、西の国の王の支援を受け入れた。
さらなる助力があった。
テラの里の民が立ち上がったのである。
ファイは、テラの里の大切な娘なのであった。
テラの里には知力と伝達力があった。
彼らはゲオルグとともに戦略を打ち立て、北の国の辺境各地に正しく伝え、各地で部隊編成をした。
時が来て、各隊一斉に武装蜂起した。
ゲオルグは戦場にあって常に先頭に立ち、大剣を振るった。
一騎当千とはこのことか。
士気はおのずと高まった。
その勢いのままに。
ゲオルグは、北の国の王を討ち倒したのである。
ゲオルグの大剣を受けた北の国の王。
よろめきながらも、玉座の後ろの隠し扉から逃げた。
扉からの道は、城の牢につながっている。
ファイを閉じ込め、隠している牢だ。
今際の際に、北の国の王は牢の中のファイへと震える手を伸ばした。
「ファイ…最期の願いだ…我が思いを…その胸に…預かり…永遠に…ともに…」
北の国の王は、秘術を展開し己の記憶を預かるようファイに願ったのだ。
王が死ねば、帰るところのない記憶はずっとファイの中にいられる。
王の視界は霞んでいたが、ファイの紫苑色の瞳はいつもと変わらず長閑に映った。
王の心につかの間、平安が降りた。
ファイは、常に北の国の王の願いを叶えてきた。
それはもはや、日常とも言える肌合いの『当然』であった。
してくれと王が言えば、うんとファイが答える。
ファイは、牢の鉄格子から差し入れられた北の国の王の手をぼんやりと見た。
そして当たり前のように、その手を取ろうとした。
そこに現れたるは、小山のような影。
倒れる北の国の王の後ろに、ゲオルグが立った。
牢に座るファイが、ゲオルグを見上げた。
ゲオルグは鉄格子に両手をかけた。その万力によって鉄格子は飴のように曲がって左右に開いた。
紫苑の瞳が揺れて、ゲオルグを見ていた。
ゲオルグがじっと見つめ返した。
北の国の王はかすれた声を絞り出して、ファイを呼んだ。
ファイは、北の国の王の声に応じなかった。
初めてのことだった。
この期に及んで、北の国の王は激しく動揺した。
ファイ、ファイと必死に呼んだ。
「ゲオルグ…」
ファイの口からこぼれたのは。
その声の雄弁なこと。
ゲオルグは、あっという間に己を呼ぶファイを抱え上げた。
ファイはゲオルグの首にしっかと抱きついた。
ファイが選択をした。
北の国の王は、死を目の前にして衝撃を受けた。
手に入らなかったものを見せつけられた。
顔を上げることももはや叶わず。見えずとも、状況は明確に感じ取れた。
瀕死のままにおかれた意味まで理解した。
ゲオルグは、故意に北の国の王をひと息には殺さなかったのだ。
結果、北の国の王は、ファイがゲオルグを選ぶ瞬間を見せつけられるはめになった。
ゲオルグは、北の国の王を魂ごと地獄に叩き落としたのである。
なんと性格の悪い。
北の国の王は、とてつもない敗北感を抱えたまま事切れた。
ファイがゲオルグの耳元で呟いた。
「ゲオルグ、私、本当に困っていたの」
「うん?」
「何かが特別大事なんてこと、今までなかったから、どうしたらいいか分からなくて」
「うむ」
「ゲオルグにもう会えないのなら、生きていたくないと思ったの」
「そうか」
「でも、死んだら宝玉になってしまう。宝玉はゲオルグのものだから、他の人の前で死ぬのもダメでしょう」
ゲオルグはしがみつくファイを、ゆっくりと引きはがした。
ゲオルグはファイを左腕に乗せ、顔を覗きながら、ファイの頬を指でなでた。
「泣いているのか」
「私、とても困ってしまったの」
「…かわいいことを言う」
「ゲオルグの前だからもう死んでもいい」
「だめだろう」
「好き」
ゲオルグはハッと息をのんでファイを見た。
泣き濡れて潤む瞳を向けて、ファイはゲオルグに言った。
「ゲオルグが…好きなの」
戦場を生き抜いたゲオルグが、別の意味で身悶え憤死しそうになった瞬間であった。
ゲオルグは、ファイを救出した。
ゲオルグとファイは互いの気持ちを確かめ合った。
二人は深い絆と誓約によって結ばれた。
ゲオルグは、ファイを得た代償に、国々を渡り歩く自由を失うこととなる。
ゲオルグは、北の国の新たな王となったのだ。
ギュウダの塔の託宣、それは。
『新たな王による創国』
ファイとゲオルグの物語。
それは、新生北の国の誕生の神話。
国父ゲオルグと最愛の伴侶ファイ、嘘かまことか二人の逸話は数知れず。
すべての始まりは、愛。
完
お読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけましたら、とてもうれしいです。




