第八十二話「その先にあるもの」
「……あの子に、聞いてみたいんだ」
美奈の視線の先には、銅美の生徒たちがいた。
グランプリの受賞を終えたばかりの彼女たちは、互いに笑い合い、肩を叩き合っている。
その中心にいるのが、熊川怜奈だった。
真理は、美奈の横顔を見る。
「……熊川さんに?」
「うん」
「……何を聞くの?」
「いろいろ!」
美奈は、少しだけ笑った。
「どうやってあの服作ったのかとか、あんなに綺麗に形変えるにはどうしたらいいのかとか!」
「……うん」
「あとさ……」
美奈が、一度だけ言葉を切る。
「うちらの服、どう見えたのかなって」
真理は、少し驚いた。
「……聞くの?」
「……うん」
美奈は銅美の生徒たちへ目を戻した。
「せっかく、あんなすごい服作る子がいるんだもん。聞いてみたいじゃん!」
真理は、ゆっくりと頷いた。
「……私も、聞いてみたい」
「よしっ!」
美奈が顔を上げる。
そして、リンを振り返った。
「凛ちゃん! ちょっと行ってきていい?」
『ん? ああ、銅美のところ?』
「うん!」
『いいじゃん! 行っておいで!』
リンが笑った。
『せっかく同じ大会に出たんだもん。いっぱい話しておいで!』
「ありがと!」
美奈は真理の手を取った。
「行こ、真理!」
「……うん!」
◇
「あ、あのっ!」
美奈が声をかけると、銅美の生徒たちが振り返った。
その中から、小柄な少女が一歩前へ出る。
「……はい?」
熊川怜奈だった。
近くで見ると、ステージの上にいたときよりも、ずっと小柄に見えた。
けれど、落ち着いた目つきとまっすぐな姿勢は変わらない。
「あの! 青葉高校の、片岡美奈です!」
美奈が勢いよく頭を下げる。
真理も慌てて続いた。
「……小川真理です」
怜奈は、二人を交互に見た。
そして、柔らかく笑った。
「京都の銅美、熊川怜奈です。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした!」
「……お疲れさまでした」
美奈は、一度だけ息を吸った。
「あのっ! グランプリ、おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
怜奈が微笑む。
「皆さん、本当に頑張ってくださったので」
後ろにいた銅美の生徒たちが、少し照れくさそうに笑った。
美奈は、そんな様子を見てから、改めて怜奈へ顔を向けた。
「あの……聞いてもいいですか?」
「はい。何でしょう?」
「さっきの服です! あの、ファスナー外したあとも、全然形崩れてなかったじゃないですか!」
怜奈が、少し目を丸くした。
「……ああ、そこですか」
「はい! あれって、どうなってるんですか!?」
怜奈は、少し考えるように視線を落とした。
「最初に、取り外したあとの形を決めたんです」
「……えっ?」
「長袖のロングドレスを作ってから、短くする方法を考えたわけではなくて」
怜奈は、両手で小さく形を示した。
「長い状態と短い状態。その両方で綺麗な形になるように、最初からパターンを考えました」
「……へえ……!」
美奈が目を輝かせる。
真理も、身を乗り出した。
「……じゃあ、取り外す位置も……?」
「はい。袖を外したときに肩のラインが崩れないように、接合する位置を何度も調整しました」
「……なるほど」
「裾も同じです。外したあとの長さや広がり方を先に決めて、そこから長い状態の形を考えていきました」
真理は、思わず息を呑んだ。
最初から、二つの形を考える。
しかも、そこへドローコードによる変化まで加える。
自分たちは一着のドレスを完成させるだけでも、あれほど苦労した。
それを、三つの形で成立させている。
「……すごい」
真理が呟く。
怜奈は、少しだけ笑った。
「でも、最初から上手くいったわけではないんですよ」
「……え?」
「試作品では、袖を外したあとに肩が浮いてしまったり、裾の形が綺麗に出なかったりして」
怜奈は、後ろの仲間たちを振り返った。
「何度も作り直しました」
「ほんと、あそこは大変だったよね」
銅美の生徒の一人が笑った。
「丈を直したら、今度は腰のバランスが変わっちゃって」
「そうそう!」
別の生徒も頷く。
「結局、型紙から作り直したところもあったし」
怜奈が、少し照れくさそうに笑った。
「……そうなんです」
美奈は、ぽかんとした顔で三人を見ていた。
そして。
「……なんか、ちょっと安心しました」
怜奈が首を傾げる。
「安心?」
「だって、あんなすごい服、どうやったら作れるんだろって思ってたから!」
美奈は、笑った。
「でも、やっぱりいっぱい失敗してるんですね!」
怜奈も、思わず笑った。
「はい。たくさんしましたよ」
真理は、その笑顔を見つめた。
全国王者。
二年連続のグランプリ。
自分たちとは、まるで違う場所にいる人のように思えた。
けれど、同じだった。
思うように作れなくて、何度も考える。
作り直して、また試す。
そうやって、一着の服を完成させている。
◇
「……あの」
怜奈が、ふと二人の顔を見た。
「青葉高校って、十一番の学校ですよね?」
「……えっ!?」
美奈が目を見開いた。
「覚えてるんですか!?」
「はい」
怜奈は頷いた。
「青緑の、光によって色の印象が変わるドレスですよね」
「……っ!」
美奈が、真理を振り返る。
「真理! 覚えてくれてる!」
「……う、うん!」
真理も驚いていた。
あの銅美の代表が。
自分たちの衣装を覚えている。
そのことが、予想以上に嬉しかった。
「素敵な生地でしたね」
怜奈が言った。
「角度によって、紫が浮かび上がるところがとても綺麗でした」
「……ありがとうございます!」
美奈の声が弾む。
怜奈は、真理へ視線を向けた。
「アシンメトリーのデザインも、あの生地に合っていたと思います」
「……あ、ありがとうございます……!」
真理は、慌てて頭を下げた。
嬉しさと緊張で、顔が少し熱くなる。
「生地の変化を、形でも見せようとしていたんですよね?」
「……はい!」
真理は頷いた。
「正面だけじゃなくて、横から見たときにも違う印象になるように……」
「なるほど」
怜奈は、静かに頷いた。
「だから、左右で裾の長さが違ったんですね」
「……はい」
美奈は、思わず身を乗り出した。
「あのっ!」
「はい?」
「……直した方がいいところって、ありましたか?」
怜奈は、少し驚いた顔をした。
真理も、美奈を見る。
けれど、美奈は真剣だった。
「もっとよくできるところがあったら、聞きたいです!」
怜奈は、しばらく考えていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……そうですね」
二人は、自然と背筋を伸ばした。
「腰のドレープが、少しだけ重たく見える瞬間がありました」
「……腰……」
真理が、小さく繰り返す。
「正面から見たときは綺麗だったんです。でも、モデルさんがターンしたあと、布が元の位置へ戻るまでに少し時間がかかっていて」
美奈が、目を丸くした。
「……そこまで見てたんですか?」
怜奈が微笑む。
「素敵な生地だったので、つい気になって」
真理は、無意識に自分の手を握った。
腰のドレープ。
そこは、何度も調整した部分だった。
生地の重さ。
流れる方向。
見た目の美しさ。
そのすべてを揃えるのが難しかった。
「……あの」
真理が、勇気を出して尋ねた。
「……どうすれば、よくなりますか?」
「実物を細かく見ていないので、はっきりとは言えませんけど……」
怜奈は、少し考えた。
「ドレープの内側に入れる布の量を調整したり、重さが集中する場所を変えたりすると、もう少し軽く動くかもしれません」
「……なるほど……」
「あと、光の見せ方も」
怜奈は、美奈を見る。
「生地の色が変わる瞬間が、とても綺麗だったんです。でも、見る位置によっては、その変化が少し分かりにくかったかもしれません」
「……あっ」
美奈が、思わず声を漏らす。
「やっぱり、そうなんですね」
「はい。せっかくの生地なので、モデルさんがどの角度で止まるか、照明をどう受けるかを、もう少し工夫できたと思います」
怜奈は、柔らかく笑った。
「もちろん、私が見た範囲での感想ですけど」
「……いえ!」
美奈が大きく首を振る。
「めっちゃ勉強になります!」
真理も頷いた。
「……ありがとうございます」
怜奈は、二人の顔を見た。
「でも、本当に綺麗なドレスでしたよ」
その言葉に、美奈と真理は顔を見合わせた。
そして、同時に笑った。
◇
「……熊川さんって、三年生ですよね?」
美奈が尋ねた。
「はい」
「去年も優勝したって聞きました!」
「そうですね。去年は二年生でしたけど」
「……去年も、あの服みたいなの作ったんですか?」
怜奈は、少し笑った。
「去年は、三年生の先輩たちが中心になって作っていました」
「……そうなんですか?」
「はい。私は、縫製や細かい調整を担当していて」
怜奈は、少し懐かしそうに目を細めた。
「先輩たちから、たくさん教えてもらいました」
「……へえ……」
「今年は、その先輩たちが卒業してしまったので」
怜奈は、後ろの仲間たちを振り返った。
「みんなで考えながら、何とか完成させました」
「……何とか、って!」
美奈が思わず笑う。
「めっちゃすごかったですよ!」
怜奈も、くすりと笑った。
「ありがとうございます」
美奈は、しばらく考えていた。
そして、真剣な顔で口を開いた。
「……あたしたち、今回は賞取れなかったんですけど」
怜奈は、静かに二人を見る。
「……でも、もっとすごい服、作れるようになりたいです!」
その声には、力があった。
怜奈が微笑む。
「楽しみにしています」
真理も、顔を上げた。
「……私も」
美奈が振り返る。
「真理?」
「……私も、もっとデザインを勉強したいです」
怜奈は、ゆっくりと頷いた。
「お互い、頑張りましょうね」
「はい!」
「……はい!」
二人は、深く頭を下げた。
◇
午後五時五十分。
ステージには、再び藤原紀香とアナウンサーが姿を現した。
「皆さん、本日は長い時間、本当にありがとうございました!」
会場から拍手が起こる。
「全国二十四校の皆さんが、それぞれの感性と技術を込めて作り上げた作品。私も、とても楽しく拝見させていただきました!」
藤原紀香が笑顔で客席を見渡す。
「今日、この舞台で経験したことを、これからの皆さんの活動に生かしていただけたら嬉しいです!」
アナウンサーが、閉会を宣言する。
「以上をもちまして、全国高校生ファッションコンテストを閉会いたします!」
大きな拍手が、ホールを包み込んだ。
真理も、美奈も、リンも。
手が痛くなるほど、拍手を送った。
朝、初めてこの会場へ入ったとき。
周りには、知らない学校ばかりが並んでいた。
けれど今は、学校名を聞くだけで、あのランウェイの光景が浮かんでくる。
福岡女子の、黒とアイボリー。
諏訪実業の、蝶の翅。
弘前実業の、白い縫い目。
新座総合の、組み直された服。
名古屋西の、堂々としたモデル。
そして、銅美の三つの姿。
二十四校。
二十四通りの「変化」。
その一つに、自分たちの服もあった。
真理は、静かに目を閉じた。
あの青緑のドレス。
光の中で歩く、美奈ちゃん。
会場いっぱいに広がった拍手。
忘れたくないと思った。
◇
閉会式が終わり、参加者たちが順番に会場を出ていく。
ロビーでは、観客席にいた家族や友人たちが待っていた。
「美奈ーっ!」
最初に声を上げたのは、片岡家の母親だった。
「お母さん!」
美奈が振り返る。
母親は、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「もう! すっごく綺麗だったわよ!」
「へへっ! ありがと!」
「本当にびっくりした! あんなに堂々と歩くんだもの!」
「ちょっとー! あたしだって、やるときはやるんだから!」
父親が、笑いながら近づく。
「お疲れ、美奈」
「お父さん!」
「よく頑張ったな」
そう言って、娘の肩を軽く叩いた。
美奈は、少し照れくさそうに笑った。
「……うん!」
少し離れたところでは、小川夫妻が真理へ歩み寄っていた。
「……真理」
「……お母さん、お父さん」
母親が、優しく笑った。
「とっても素敵だったわ」
「……ありがとう」
「本当に、あんな綺麗なドレスを考えていたのね」
真理は、少し頬を赤くした。
「……美奈ちゃんと、一緒に作ったから」
父親が、ゆっくりと頷いた。
「……いいものを見せてもらったよ」
「……うん」
真理は、小さく笑った。
すると。
「おーい! 片岡ー!」
森田の声が響いた。
「……あっ!」
美奈が振り返る。
悠斗、沙織、佐伯、愛梨も一緒だった。
「なによ、森田!」
「お前、あんなちゃんと歩けるんだな!」
「ちょっと! ちゃんとって何よ!」
「いや、褒めてんだって!」
「絶対そう聞こえない!」
佐伯が吹き出す。
「ははっ! 森田、言い方!」
「うっせ!」
沙織が、笑いながら真理へ近づいた。
「真理、すっごく綺麗だったよ!」
「……ありがとう」
「色が変わるところ、ほんとびっくりした!」
愛梨も、大きく頷く。
「そうそう! あれ、めっちゃよかった!」
悠斗も笑った。
「二人とも、お疲れ!」
「……ありがとう」
「へへっ! ありがと、みんな!」
美奈が笑う。
ロビーには、賑やかな声が広がっていた。
真理も、美奈も、何度も笑った。
賞は取れなかった。
それでも、みんなが見に来てくれた。
自分たちの服を綺麗だと言ってくれた。
そのことは、嬉しかった。
だから、笑えた。
今は、まだ。
◇
やがて、家族や友人たちとはロビーで別れた。
真理と美奈は、学校から運んできた衣装や荷物を確認し、リンと一緒に会場の外へ出た。
七月の夕暮れ。
東京国際フォーラムのガラス越しに、傾き始めた日の光が差し込んでいる。
外へ出ると、まだ少し暑さが残っていた。
行き交う人々。
車の音。
遠くから聞こえる、街のざわめき。
会場の中にいたときとは、まるで違う空気だった。
『……はあー!』
リンが、大きく伸びをした。
『長い一日だったねー!』
「……うん」
美奈が頷く。
真理も、小さく笑った。
「……はい」
三人は、並んで歩き始めた。
衣装ケースを持つ美奈。
スケッチブックの入った鞄を抱える真理。
リンは、二人の少し横を歩いている。
しばらくの間、誰も何も言わなかった。
会場の中では、あんなに賑やかだったのに。
今は、不思議なくらい静かだった。
やがて。
「……ねえ、凛ちゃん」
美奈が、ぽつりと言った。
『ん?』
「……あたしたち、頑張ったよね」
リンは、足を止めた。
美奈も、真理も立ち止まる。
『……うん』
リンは、ゆっくりと頷いた。
『すっごく頑張ったよ』
美奈は、少しだけ笑った。
「……へへっ。だよね」
けれど、その笑顔は長く続かなかった。
「……あたしさ」
美奈が、俯く。
「……ほんとは、賞欲しかった」
『……うん』
「優秀賞でも、特別賞でも……なんでもいいから、名前呼ばれたかった」
声が、少しずつ震え始める。
「だって……あんなに頑張ったんだよ?」
美奈は、衣装ケースの持ち手をぎゅっと握った。
「何回も縫い直して……真理といっぱい考えて……」
唇を噛む。
「……すっごい綺麗にできたって、思ってたのに……」
リンは、何も言わなかった。
美奈の声が、途切れる。
「……っ」
そして。
一粒の涙が、頬を伝った。
「……くやしい……」
美奈は、もう一度唇を噛んだ。
「……めっちゃ、悔しい……っ」
涙が、次々とこぼれ始める。
真理は、その姿を見つめていた。
美奈ちゃんが泣いている。
あんなに楽しそうにランウェイを歩いていた美奈ちゃんが。
自分たちの服を、誰よりも誇らしそうに見せていた美奈ちゃんが。
真理は、何か言おうとした。
けれど。
「……私も……」
声が、震えた。
リンが、真理を見る。
「……私も、欲しかった……」
真理の目からも、涙がこぼれた。
「……賞、取りたかった……っ」
何度も考えたデザイン。
何枚も描き直したスケッチ。
美奈ちゃんと選んだ生地。
完成したときの嬉しさ。
ランウェイを歩く美奈ちゃんの姿。
全部、忘れられない。
だからこそ。
「……っ、悔しい……」
真理は、俯いた。
「……すごく、悔しい……っ」
二人の涙が、夕暮れの光に小さくきらめいた。
◇
リンは、二人の前へ歩み寄った。
すぐには、何も言わなかった。
ただ、そっと両腕を広げる。
そして、真理と美奈の肩を抱き寄せた。
『……うん』
小さな声だった。
『悔しかったね』
「……っ、うぅ……!」
美奈が、リンの肩に顔を埋めた。
「……凛ちゃん……っ!」
『……うん』
「……あたし……っ、ほんとに……!」
言葉にならない声が、こぼれる。
真理も、リンの肩に額を寄せた。
「……凛先生……っ」
『……うん』
「……私……もっと……っ」
声が詰まる。
『……うん。聞いてるよ』
リンは、二人の背中を優しくさすった。
全国大会に出られただけでも、すごいことだ。
賞が取れなくても、頑張ったことは変わらない。
そんな言葉なら、いくらでも言える。
けれど。
今の二人が欲しいのは、そんな言葉ではない。
あれほど一生懸命に作った。
あんなに綺麗な服ができた。
それでも、賞には届かなかった。
その悔しさを、今は全部出していい。
『……いっぱい泣いていいからね』
リンが、小さく言った。
美奈が、さらに強く肩へ顔を押しつける。
真理も、涙を拭わずに泣いた。
通りを歩く人々が、少し離れたところを通り過ぎていく。
夕暮れの東京。
三人だけの、小さな時間だった。
◇
どれくらい、そうしていただろう。
美奈が、ようやく顔を上げた。
目元は真っ赤だった。
「……はあ……」
大きく息を吐く。
真理も、ハンカチで目元を押さえていた。
リンが、二人を見て微笑む。
『……少し、落ち着いた?』
「……うん」
「……はい」
美奈は、鼻をすすった。
そして、少しだけ笑う。
「……やっば。めっちゃ泣いちゃった」
『あはは。そうだね』
「……真理も、目真っ赤」
「……美奈ちゃんもだよ」
「へへっ……」
二人は、顔を見合わせて笑った。
まだ、涙の跡が残っている。
けれど、さっきよりも少しだけ、呼吸が楽になっていた。
美奈は、手元の衣装ケースへ目を落とす。
中には、二人で作った一着が入っている。
あの青緑のドレス。
全国大会で、たくさんの人に見てもらった服。
賞は取れなかった。
それでも。
嫌いになんて、なれなかった。
「……ねえ、凛ちゃん」
『ん?』
美奈は、ゆっくりと顔を上げた。
「……あたし、決めた」
『……何を?』
「……専門学校に行きたい」
リンが、少し目を丸くした。
「服飾の専門学校」
美奈は、まっすぐリンを見つめた。
「もっと縫うの上手くなりたいし、ちゃんと服を作れるようになりたい」
言葉を重ねるたびに、声に力が戻っていく。
「生地のことも、型紙のことも、もっと勉強したい」
そして、笑った。
「今日の銅美みたいな、すっごい服も作れるようになりたい!」
リンは、ゆっくりと頷いた。
『……うん』
美奈が、少し照れくさそうに笑う。
「……だから、服を作ること、ちゃんと勉強したいんだ」
『……いいと思う!』
リンが、笑った。
『片岡さん、服を作ってるとき、ほんっと楽しそうだったもんね!』
「へへっ……うん!」
美奈は、嬉しそうに頷いた。
すると。
「……凛先生」
真理が、静かに声をかけた。
『ん?』
「……私も、専門学校に行きたいです」
美奈が振り返る。
「……真理?」
真理は、一度だけ息を吸った。
「……デザインを、もっと勉強したいんです」
リンは、真理を見る。
「……今回、いろんな学校の服を見て……」
真理は、少し言葉を探した。
「……私、知らないことがいっぱいあるんだなって思いました」
名古屋西のモデル。
諏訪実業の蝶の翅。
弘前実業の縫い目。
新座総合の再構築。
そして、銅美の三つの姿。
「……もっと、いろんなデザインを知りたい」
真理は、衣装ケースへ視線を落とした。
「……自分の頭の中にあるものを、もっと上手に形にできるようになりたいんです」
リンは、ゆっくりと頷いた。
『……うん』
真理が顔を上げる。
『小川さんらしいね』
「……え?」
『ずっと、いろんな形を考えてたもんね。何回も描き直して、納得いくまで考えて』
リンは、笑った。
『もっと勉強したいって思えたなら、いいと思うよ!』
真理は、少し照れくさそうに笑った。
「……ありがとうございます」
◇
「……ねえ、真理!」
美奈が、勢いよく顔を向けた。
「……なに、美奈ちゃん?」
「じゃあさ!」
美奈は、にっと笑った。
「いつか、また一緒に服作ろうよ!」
真理は、少し驚いた。
「……え?」
「あたしが作るの!」
美奈が、自分の胸を指さす。
「で、真理がデザインする!」
真理は、ぱちぱちと瞬きをした。
そして、ゆっくりと笑った。
「……うん」
「……どう?」
「……すごく、いいと思う」
「でしょー!?」
美奈が、嬉しそうに笑った。
「絶対、すっごい服作れるよ!」
「……ふふっ」
真理も笑う。
「……うん!」
リンは、そんな二人を見つめていた。
今日、一日。
二人は、全国の高校生たちと同じ舞台に立った。
すごい技術を見て、驚いた。
自分たちの服を誇らしく思った。
そして、賞を取れずに泣いた。
でも今。
二人は、また服を作ろうとしている。
リンは、自然と笑顔になった。
『……楽しみだね、二人の未来!』
美奈が、大きく頷く。
「うん!」
真理も、静かに笑った。
「……はい!」
リンは、二人を見て少し考えた。
『じゃあ、週明けに進路指導の先生にも相談しよっか』
「……え?」
美奈が目を丸くする。
『専門学校っていっても、いろんなところがあるでしょ? 学校のこともちゃんと調べなきゃね!』
「……あ、そっか!」
『それに、ご両親にもお話ししないと!』
「うわー! やることいっぱいじゃん!」
美奈が頭を抱える。
リンが笑った。
『あはは! そりゃそうだよ! 進路だもん!』
「……ふふっ」
真理も笑った。
けれど、その表情には、さっきまでとは違う明るさがあった。
進路。
卒業後の自分。
これまでは、どこか遠いもののように感じていた。
けれど今は、少しだけ形が見えてきた気がした。
◇
夕暮れの空が、ゆっくりと色を変えていく。
真理は、衣装ケースへ目を落とした。
中には、二人で作った一着のドレスが入っている。
深い青緑。
光の当たり方で、紫にも見える生地。
たくさんの人の前で、美奈ちゃんが着て歩いてくれた服。
賞は取れなかった。
それは、やっぱり悔しい。
けれど、もう一度作りたい。
今度は、もっと上手に。
もっと、自分たちらしい一着を。
「……美奈ちゃん」
「ん?」
「……帰ったら、また一緒に考えようね」
美奈が笑った。
「もちろん!」
リンも、二人につられて笑う。
七月の夕暮れ。
三人は、並んで歩き出した。
その手には、賞状も優勝旗もない。
けれど、真理と美奈には、次に作りたいものがあった。




