第八十一話「二十四校の答え」
午後四時四十五分。
東京国際フォーラム、ホールC。
先ほどまで色とりどりの衣装が披露されていたステージには、演台と表彰のための台が用意されていた。
背後のスクリーンには、大会テーマである『変化』の二文字が映し出されている。
真理は、膝の上で両手を重ねていた。
隣に座る美奈は、パンフレットを開いては閉じ、また開いている。
「……美奈ちゃん」
「ん?」
「……さっきから、同じところ見てるよ」
「えっ?」
美奈が手元を見た。
開いているのは、二十四校の出場順が載ったページだった。
「あはは……ほんとだ」
そう言って笑ったものの、すぐにパンフレットを閉じてしまう。
その隣で、リンが二人の様子を見ていた。
『片岡さん、落ち着かない?』
「……うん、ちょっと」
『そっか』
「……ねえ、凛ちゃん」
『ん?』
「名前呼ばれたら、どうしよ」
『えっ?』
「絶対、変な声出ると思う」
リンが吹き出した。
『あはは! それはちょっと見たいかも!』
「ちょっとー!」
美奈が頬を膨らませる。
真理も、思わず笑った。
「……美奈ちゃん、すごく大きな声出しそう」
「真理まで!?」
『あはは! ありそう!』
「もー! 二人ともひどい!」
美奈は笑いながら、もう一度ステージへ顔を向けた。
その横顔には、期待が浮かんでいた。
真理も、同じだった。
自分たちの服は、綺麗だった。
美奈が歩いたあの九十秒を、真理は何度思い返しても嬉しくなる。
だから、名前を呼ばれたい。
あの服を、誰かに認めてほしい。
その気持ちは、隠しようがなかった。
◇
「皆さま、大変お待たせいたしました」
アナウンサーの声が響いた。
ざわめいていた会場が、少しずつ静かになっていく。
「これより、全国高校生ファッションコンテスト、審査結果の発表ならびに表彰式を行います!」
大きな拍手が起こった。
ステージへ、藤原紀香が姿を現す。
「出場校の皆さん、本当にお疲れさまでした!」
明るい声が、ホールいっぱいに響いた。
「今年のテーマ『変化』。二十四校それぞれが、まったく違った答えを見せてくださいました!」
参加者席へ向けて、笑顔を見せる。
「どの作品にも、皆さんが積み重ねてきた時間と工夫が詰まっていたと思います」
再び拍手。
美奈は、真理の方を見た。
真理も、小さく頷いた。
「それでは、審査結果を発表いたします!」
会場に、静かな緊張が広がった。
◇
「まずは、優秀賞です!」
スクリーンに『優秀賞』の文字が現れた。
「優秀賞に選ばれたのは、三校です!」
美奈が背筋を伸ばす。
真理も、膝の上で手を握りしめた。
「一校目――大阪市立泉尾工業高等学校!」
歓声が上がった。
参加者席の一角で、生徒たちが勢いよく立ち上がる。
互いに顔を見合わせ、何度も頷き合っていた。
会場から、温かな拍手が送られる。
「……おお」
美奈が、ぽつりと言った。
「一校目、決まったね」
「……うん」
真理も拍手を送った。
続いて、二校目の発表が始まる。
「福岡市立福岡女子高等学校!」
「……あっ!」
美奈が顔を上げた。
「真理! 最初の学校!」
「……うん!」
黒とアイボリー。
布を返した瞬間、まったく違う印象へ変わったワンピース。
真理も、あの光景をはっきり覚えていた。
福岡女子の生徒たちが、歓声を上げる。
全員が二年生だったチーム。
午前中の紹介映像で見た、明るい笑顔がそこにあった。
「……すごいね」
真理が呟く。
「ね! あの服、ほんとびっくりしたもん!」
美奈も笑った。
そして。
「優秀賞、三校目――長野県諏訪実業高等学校!」
会場に拍手が広がる。
「……あっ!」
美奈が思わず声を漏らす。
「蝶のやつ!」
「……うん」
真理も頷いた。
薄い布を幾重にも重ねたドレス。
モデルが両腕を広げた瞬間、翅のように布が広がった。
あの繊細な動きが、目に浮かぶ。
「……綺麗だったもんね」
真理が小さく言った。
「うん……」
美奈も頷く。
三校の名前が、スクリーンに並んだ。
優秀賞。
すべての枠が埋まった。
青葉高校の名前はなかった。
美奈は、少しだけ口を結んだ。
けれど、すぐに顔を上げる。
まだ、ほかの賞がある。
◇
「続いて、審査員特別賞の発表です!」
アナウンサーの声が響く。
「こちらは、二校が選ばれました!」
美奈が、そっと膝の上で手を握る。
真理も、スクリーンを見つめた。
「審査員特別賞、一校目――青森県立弘前実業高等学校!」
拍手が起こる。
紺色のコートドレス。
あえて見せた布の継ぎ目。
白や赤の糸で丁寧に縫い留められた、補修の跡。
真理は、あの静かな美しさを思い出した。
「……あの縫い目、すごかったね」
「……うん」
美奈は頷いた。
けれど、その目はすぐにステージへ戻った。
残りは、一校。
「審査員特別賞、二校目――」
ほんの短い間。
真理は、無意識に息を止めた。
「愛知県立名古屋西高等学校!」
「…………!」
真理の目が、大きく開いた。
デニムとレザー。
大胆な切り替えのワンピース。
そして、豊かなパーマヘアを揺らしながら歩いていたモデル。
あの少女の姿が、真っ先に浮かんだ。
まっすぐ前を向き、堂々と歩いていた。
自分の髪を、少しも隠そうとしなかった。
「……名古屋西だね」
美奈が呟く。
「……うん」
「……あのモデル、ほんとかっこよかったもんね」
「……うん」
真理は、小さく頷いた。
あの学校の受賞は、嬉しかった。
自分が綺麗だと思ったものが、ほかの人にも評価された。
そのことが、素直に嬉しい。
けれど同時に。
胸の奥に、別の気持ちが残っていた。
真理は、膝の上で握っていた手を少しだけ強くした。
審査員特別賞。
こちらも、二校の名前が出揃った。
青葉高校の名前は、まだ呼ばれていない。
◇
「……次だね」
美奈が、小さく言った。
「……うん」
真理は頷いた。
もう、二人の間に先ほどのような冗談はなかった。
リンは、何も言わずに隣に座っている。
ステージ上では、次の賞の準備が進められていた。
「続きまして、準グランプリの発表です!」
会場が、再び静まった。
美奈が、ゆっくりと息を吸う。
真理も、スクリーンへ目を向けた。
「準グランプリ――」
一拍。
「埼玉県立新座総合技術高等学校!」
大きな拍手が起こった。
新座総合の生徒たちが、一斉に立ち上がる。
歓声。
笑顔。
抱き合う姿。
美奈は、ゆっくりと拍手を送った。
「……あの、ジャケットのやつだ」
「……うん」
真理も頷く。
古いシャツやジャケットを組み直したドレス。
もとの服が持っていた形を残しながら、新しい一着へ作り替えていた。
あの技術の高さは、よく覚えている。
美奈は、しばらくステージを見つめていた。
そして、ぽつりと言った。
「……真理」
「……うん?」
「……あと、一つだね」
真理は、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
残る賞は、グランプリだけだった。
◇
観客席でも、空気が変わっていた。
片岡家の母親は、パンフレットを握りしめている。
「……あなた」
「ん?」
「……まだ、あるわよね」
「ああ」
父親は、ステージを見つめたまま頷いた。
「……最後がある」
母親も、ゆっくりと頷く。
小川夫妻も、言葉少なにステージを見つめていた。
父親は、少しだけ背筋を伸ばした。
母親は、膝の上で両手を重ねている。
娘たちの作ったドレス。
あの美しさを、誰かに認めてほしい。
そう願っていた。
悠斗たちの席でも、先ほどまでの賑やかさは消えていた。
「……あと、グランプリか」
森田が呟く。
「……ああ」
佐伯が答える。
沙織は、ステージをじっと見つめていた。
「……青葉、呼ばれないかな」
悠斗は、すぐには答えなかった。
けれど、同じことを思っていた。
◇
「それでは、いよいよ最後の賞です!」
藤原紀香が、マイクを持った。
会場全体に、張り詰めた空気が広がる。
「本年度、全国高校生ファッションコンテスト――グランプリ!」
美奈は、両手を握りしめた。
真理は、まっすぐステージを見つめている。
頭の中には、自分たちのドレスが浮かんでいた。
深い青緑。
光を受けて浮かぶ紫。
美奈が、楽しそうに歩いていた姿。
あれほど綺麗だった。
自分たちの服は、確かに綺麗だった。
そして、もう一着。
チャコールブラックのロングドレス。
ドローコードによって生まれた、別のシルエット。
袖と裾を取り外し、軽やかなショートドレスへ変化した姿。
銅美。
あの服が、どれほど完成されていたか。
真理にも、美奈にも分かっていた。
それでも。
最後の一つが発表されるまでは、諦めたくなかった。
「グランプリは――」
会場が、静まり返る。
そして。
「京都市立銅駝美術工芸高等学校!」
次の瞬間。
割れんばかりの拍手と歓声が、ホールを包んだ。
◇
「きゃあああっ!」
「やったーっ!」
銅美の生徒たちが、一斉に立ち上がった。
互いに顔を見合わせ、抱き合う。
泣き笑いの表情。
何度も頷く生徒。
肩を叩き合う姿。
その中心に、熊川怜奈がいた。
「……怜奈!」
隣の生徒が、怜奈の肩を抱く。
「……やったね!」
怜奈は、一瞬だけ目を見開いていた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……うん」
その声は、小さかった。
けれど、笑顔は隠しきれなかった。
周囲の仲間たちが、次々と手を伸ばしてくる。
怜奈も、その手を握り返した。
銅美、二連覇。
会場の歓声は、しばらく収まらなかった。
◇
「……銅美だね」
美奈が、ぽつりと呟いた。
「……うん」
真理が頷く。
二人は、拍手を送った。
その手は、すぐには止まらなかった。
あの服は、すごかった。
それは、間違いない。
真理も、美奈も、心からそう思っていた。
だから、拍手を送る。
けれど。
青葉高校の名前は、最後まで呼ばれなかった。
その事実も、胸の奥に残っていた。
◇
ステージでは、銅美の表彰が始まっていた。
熊川怜奈が、仲間たちに見送られながら壇上へ上がる。
小柄な身体。
けれど、その背筋はまっすぐ伸びていた。
壇上には、優勝旗が用意されていた。
午前中、怜奈自身が返還した旗。
それが今、もう一度、彼女の前にある。
「昨年度に続き、二年連続のグランプリ受賞です!」
アナウンサーの声が響く。
会場から、再び大きな拍手が起こった。
怜奈は、ゆっくりと優勝旗を受け取った。
そして、深く頭を下げる。
その姿を見ながら、真理は午前中の光景を思い出していた。
あのとき。
小柄な少女が優勝旗を返還し、会場から大きな歓声を浴びていた。
なぜ、あんなにも注目されているのだろう。
どうして、あの学校にはあれほどの期待が集まるのだろう。
今なら、少し分かる気がした。
あのランウェイ。
三つの姿を持つ、一着のドレス。
あの完成度。
そこに至るまで、どれほどの時間と努力があったのだろう。
真理は、静かに拍手を続けた。
◇
続いて、グランプリ受賞校の代表として、怜奈がマイクの前へ立った。
「……ありがとうございます」
会場が静かになる。
怜奈は、一度だけ後ろを振り返った。
銅美の仲間たちが、彼女を見つめている。
「今回、この賞をいただけたことを、とても嬉しく思います」
落ち着いた声だった。
「この作品は、私一人で作ったものではありません。デザインを考えるところから、何度も話し合って、作り直して……みんなで完成させた一着です」
怜奈は、少しだけ笑った。
「だから、この賞も、みんなで受け取れたらと思います」
銅美の生徒たちが、嬉しそうに拍手を送る。
「これからも、もっといい服を作れるように頑張ります。ありがとうございました」
怜奈は、深く頭を下げた。
会場から、大きな拍手が巻き起こった。
美奈は、その姿をじっと見つめていた。
「……なんかさ」
「……うん?」
「……かっこいいね、あの子」
真理は、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
小柄な少女。
けれど、その姿は大きく見えた。
◇
表彰式が終わり、受賞校の生徒たちがステージから戻っていく。
会場には、まだ拍手の余韻が残っていた。
真理は、膝の上で重ねていた手をほどいた。
隣を見る。
美奈は、ステージを見つめていた。
「……美奈ちゃん」
「……ん?」
「……大丈夫?」
美奈は、少しだけ笑った。
「……うん」
そして、しばらく黙っていた。
真理も、何も言わなかった。
やがて。
「……悔しいな」
美奈が、ぽつりと呟いた。
真理は、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
「あたしさ、結構いけると思ってたんだけどな」
「……私も」
「……そっかぁ」
美奈は、天井を見上げた。
唇を軽く結ぶ。
それから、もう一度ステージへ目を向けた。
真理も、ゆっくりと息を吐いた。
「……私も、悔しい」
小さな声だった。
けれど、はっきりとした言葉だった。
美奈が振り返る。
「……うん」
二人は、しばらく黙っていた。
リンは、そんな二人を隣で見つめていた。
『……そっか』
静かな声だった。
『……悔しいよね』
「……うん」
「……めっちゃ悔しい」
リンは、ゆっくりと頷いた。
『……うん』
それ以上、何も言わなかった。
無理に笑わせようともしない。
励ます言葉も、今は口にしなかった。
ただ、二人のそばにいた。
少ししてから、リンが小さく呟いた。
『……あたしも、呼ばれると思ってたんだけどな』
真理が顔を上げる。
「……凛先生」
『……うん』
リンは、少しだけ笑った。
『あんなに綺麗だったからさ』
美奈が、唇を噛んだ。
真理も、何も言えなかった。
けれど、二人の目から涙はこぼれなかった。
まだ、大会は終わっていない。
◇
しばらくして、授賞式が終了した。
参加者たちは、閉会行事までの間に交流の時間を与えられた。
受賞校の生徒たちへ声をかける者。
ほかの学校の衣装について話し合う者。
記念写真を撮る者。
会場内には、再び賑やかな声が広がり始めていた。
美奈は、少し離れた場所へ目を向けた。
そこには、銅美の生徒たちがいた。
仲間たちと笑い合う、小柄な少女。
熊川怜奈。
美奈は、その姿をじっと見つめる。
あの服。
ドローコード。
ファスナー。
変形するたびに現れた、新しい形。
どうやって作ったのだろう。
どれほど考えたのだろう。
そして。
自分たちの服は、あの子の目にどう映ったのだろう。
「……ねえ、真理」
「……なに、美奈ちゃん?」
「……あたし、聞いてみたいことがあるんだけど」
真理が顔を上げた。
「……え?」
美奈は、少し離れた場所へ目を向けた。
銅美の生徒たちが、互いに肩を叩き合って喜んでいる。
その中心に、熊川怜奈がいた。
「……あの子に、聞いてみたいんだ」
「……熊川さんに?」
「うん」
真理は、美奈の横顔を見た。
悔しさは、まだ消えていない。
それでも、美奈の目には、別の光が宿り始めていた。




