第七十八話「それぞれの『変化』」
二〇〇〇年七月八日、午後一時。
東京国際フォーラム、ホールC。
昼休憩を終えた観客たちが席へ戻り、会場には再び賑やかな話し声が広がっていた。
舞台の上には、客席へ向かってまっすぐ伸びる一本のランウェイ。
その先端には、四方から照明が当てられている。
真理は参加者エリアから、その光景を見つめていた。
「……いよいよだね」
「うん!」
美奈が大きく頷く。
『ほら、二人とも! 始まるよ!』
リンが舞台を指さした。
ちょうど客席の照明が、ゆっくりと落ち始めたところだった。
真理は背筋を伸ばす。
美奈は両手を膝に置き、期待に満ちた目でステージを見つめた。
やがて、ステージ中央へアナウンサーと藤原紀香が姿を現した。
「皆さん、大変お待たせいたしました!」
明るい声が、ホールいっぱいに響く。
「いよいよ、全国高校生ファッションコンテスト、ランウェイ審査のスタートです!」
観客席から、大きな拍手が巻き起こった。
「今年の大会テーマは『変化』。全国から選ばれた二十四校が、それぞれ独自のサブテーマを掲げ、一着の作品を完成させました!」
藤原紀香が、にこやかにマイクを持つ。
「このあとは、各校が考えた作品のコンセプトを、私からご紹介していきます。皆さん、ぜひ細かいところまで注目してくださいね!」
再び拍手。
「それでは、最初の学校です!」
真理と美奈は、同時にスクリーンへ目を向けた。
◇
「エントリーナンバー1番! 福岡市立福岡女子高等学校!」
会場に、軽快な音楽が流れ始めた。
「あっ! さっきの二年生チーム!」
美奈が声を上げる。
「……うん!」
真理も身を乗り出した。
スクリーンには、学校名とともにサブテーマが映し出される。
『サブテーマは、リバーシブル』
藤原紀香の声が響いた。
『人には、いろいろな顔があります。強くありたい自分も、優しくありたい自分も、どちらも本当の自分』
舞台奥に、一人の女子生徒が現れた。
すらりとした立ち姿。
身にまとっているのは、黒を基調としたワンピースだった。
光沢のある生地。
身体の線に沿った、すっきりとしたシルエット。
モデルはまっすぐ前を見つめ、落ち着いた足取りで歩いてくる。
「……かっこいい」
真理が呟いた。
「ね! なんか大人っぽくない?」
美奈も目を輝かせる。
モデルはランウェイの先端で立ち止まった。
片足を少し前に出し、肩を引く。
黒を基調としたシャープな印象が、照明の下で際立っていた。
『けれど、人の魅力は一つだけではありません』
藤原紀香の声とともに、音楽の調子が変わる。
モデルが、腰元に重ねられた布の端へ手を伸ばした。
「……ん?」
美奈が首を傾げる。
次の瞬間。
モデルが布を大きく返した。
黒い面の裏側から、柔らかなアイボリー色が現れる。
肩から腰へと流れる布の向きが変わり、衣装全体の印象が一変した。
「……えっ!?」
真理が思わず声を上げた。
「うわっ! 真理、見た!?」
「……うん! すごいね、美奈ちゃん!」
先ほどまでのシャープな雰囲気が消え、柔らかく軽やかな印象へ変わっている。
モデルは身体を斜めに向け、アイボリーの面を観客へ見せた。
『変化とは、別の誰かになることではありません。自分の中にある、まだ知らない一面を見つけること』
モデルが優雅にターンする。
黒とアイボリーの布が重なり合い、二つの色が交互に現れた。
客席から、驚きの声と大きな拍手が上がる。
『一着に込めた、二つの自分。それが、私たちの考える「変化」です』
モデルが最後のポーズを決め、舞台奥へ戻っていった。
拍手は、しばらく続いた。
「……すっご!」
美奈が、興奮した様子で真理を見る。
「最初からあんなの出てくるんだ!」
「……うん。びっくりした」
『あたしも! あんなふうに変わるなんて思わなかった!』
リンも目を丸くしていた。
「ねえ凛ちゃん! さっきのさ、どうやって裏返してたんだろ!」
『えっ、あたしに聞く!?』
「だって気になるじゃん!」
『いや、それはあたしも気になるけど!』
二人のやり取りに、真理は笑った。
けれど、頭の中では、先ほどの衣装の構造を思い返していた。
布を返すだけで、あんなにも印象が変わる。
同じ一着なのに。
最初から、想像していた以上の世界が広がっていた。
◇
「いや、すげえな」
観客席で、森田が呟いた。
「最初、何が変わるのか全然分かんなかった」
「俺も」
佐伯が頷く。
「服って、ああいう見せ方もあるんだな」
悠斗も、少し離れた席からステージを見つめていた。
「……これ、青葉も同じ舞台でやるんだよな」
「そうだよ」
沙織が答える。
「……なんか、すげえ大会だな」
「うん。でも、真理たちの服も楽しみ!」
沙織は、嬉しそうに笑った。
その後もランウェイは続いていく。
◇
二番目の学校は、春から夏、秋、冬へと移り変わる季節を一着の衣装に表現していた。
淡い色から深い色へ。
生地の重なり方によって、季節の移ろいを感じさせる。
三番目の学校は、和服の直線的な形を現代的なワンピースへと組み替えた作品だった。
帯を思わせる幅広の布が腰を横切り、モデルが身体を向けるたびに違う輪郭を見せる。
そのあとも、次々と作品が登場する。
柔らかな曲線を大胆に取り入れたドレス。
異なる素材を重ねることで、色や質感の違いを際立たせた衣装。
細かなひだを幾重にも重ね、歩くたびに形が変わるスカート。
同じ『変化』というテーマなのに、どの学校も、まったく違う答えを持っていた。
「……すごいね」
真理が呟く。
「うん!」
美奈は何度も頷いた。
「なんかさ、同じテーマなのに全然違う!」
『ほんとだね。見てて飽きないなぁ』
リンが感心したように言う。
真理は、ステージに現れる一着一着を食い入るように見つめていた。
どんな生地を使っているのか。
どうやって形を作っているのか。
歩くと、どんなふうに動くのか。
服を見るたび、知りたいことが増えていく。
これまで、学校の家庭科室で作ってきた服。
雑誌で見ていた服。
街で見かけた服。
そのどれとも違うものが、目の前に次々と現れていた。
「……もっと、見たい」
真理が小さく呟いた。
美奈が振り返る。
「ん?」
「……ううん。なんでもない」
真理は、少し笑った。
◇
「続きまして、エントリーナンバー7番! 愛知県立名古屋西高等学校!」
「あっ!」
美奈が顔を上げた。
「デニムとレザーのとこ!」
「……うん!」
真理もスクリーンを見つめる。
午前中の紹介映像で、二つの素材を何度も組み合わせていた生徒たち。
あの学校が、どんな服を完成させたのだろう。
ステージの照明が、少し落ち着いた色合いへ変わった。
『サブテーマは、エイジング』
藤原紀香の声が響く。
『デニムとレザー。時を重ねることで、それぞれ異なる表情へと変化していく二つの素材を、一着のワンピースに仕立てました』
舞台奥から、一人の女子生徒が現れた。
その瞬間、美奈が目を見開いた。
「……うわ」
デニムとレザーを組み合わせたワンピース。
色落ちしたような濃淡を持つデニムと、光を受けて鈍く輝くレザー。
二つの素材は大胆に切り替えられながらも、一着の中で自然につながっていた。
けれど、美奈が目を奪われたのは、服だけではなかった。
モデルの歩き方だった。
大きく、堂々とした歩幅。
少し上げた顎。
まっすぐ前を見据える視線。
そして、歩くたびに揺れる、豊かな長い髪。
強くパーマのかかった髪が、肩の周りで大きく弾んでいた。
「……かっこいい!」
美奈が思わず声を漏らす。
「真理、あの子めっちゃかっこよくない!?」
「…………」
「……真理?」
真理は、返事をしなかった。
目の前の少女から、目が離せなかった。
最初は、衣装を見ていたはずだった。
デニムとレザー。
縫い合わせるのが難しそうな二つの素材を、こんなに綺麗にまとめている。
そう思っていた。
けれど。
少女の髪が、ふわりと揺れた。
「…………」
真理は、息を呑んだ。
強くうねった、長い髪。
自分の髪に、どこか似ていた。
もちろん、長さも形もまったく同じではない。
それでも、その豊かなうねりが、真理の目を引きつけた。
少女は、少しも髪を気にしていなかった。
風に乱れた髪を押さえることもなく、堂々と前を向いて歩いてくる。
まるで、その髪こそが自分の魅力だと知っているように。
『流行は移り変わり、服も時代とともに姿を変えていきます』
藤原紀香の声が響く。
モデルは、ランウェイの先端で足を止めた。
片手を腰に当てる。
顎を少し持ち上げ、観客席を見渡す。
口元には、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
『けれど、時代が変わっても、失いたくないものがある』
モデルが身体をひねる。
デニムとレザーのワンピースが、照明を受けて異なる光沢を見せた。
その動きに合わせて、豊かな髪が肩の上で大きく揺れる。
『それは、自分らしさ』
「…………」
真理の指が、そっと自分の髪に触れた。
以前の自分なら、どう思っただろう。
もっと普通の髪だったらよかったのに。
どうして、こんなにうねってしまうんだろう。
鏡の前で、何度もそう思った。
髪を整えようとしても、思いどおりにならなかった。
周りの女の子たちの、まっすぐな髪が羨ましかった。
けれど。
目の前の少女は、笑っている。
何かを隠すような様子は、少しもない。
むしろ、堂々と自分を見せている。
『変わりゆくものと、変わらないもの。その両方を、一人の女性の姿で表現しました』
少女は、最後のポーズを決めた。
そして、ゆっくりと振り返る。
豊かな髪が大きく揺れ、会場の照明を受けた。
その姿に、観客席から大きな拍手が起こった。
「……綺麗」
真理の口から、思わず言葉がこぼれた。
美奈が振り返る。
「ね! めっちゃ綺麗だった!」
「…………うん」
真理は、小さく頷いた。
自分が言った『綺麗』という言葉が、まだ胸の中に残っていた。
あの少女の髪を、綺麗だと思った。
ただ、それだけのことだった。
なのに、どうしてだろう。
自分の髪に触れた指先を、すぐには離せなかった。
◇
「……あの子、すごかったな」
観客席で、悠斗が呟いた。
「モデルって、ああいう感じなんだな」
沙織も頷く。
「堂々としてたね」
森田は、腕を組んでいた。
「いや、あの髪すげえな」
「似合ってたな」
佐伯が答える。
「うん。あんなに強いパーマなのに、全然変じゃない」
愛梨が、感心したように言った。
「むしろ、あれがいいんじゃない?」
沙織の言葉に、愛梨が大きく頷いた。
「そうそう! すっごいおしゃれだった!」
彼らにとっては、格好いいモデルの一人だった。
けれど、真理にとっては少し違った。
彼女の姿は、まだ胸の奥に残っていた。
◇
八番、九番とランウェイが進んでいく。
真理は、再び目の前の衣装へ集中しようとした。
けれど、ふとした瞬間に思い出す。
あの少女の髪。
自信に満ちた笑顔。
堂々とした足取り。
自分が嫌だと思っていたものを、あんなにも美しく見せる人がいる。
その事実が、不思議と頭から離れなかった。
「……真理」
美奈が声をかけた。
「……あ、ごめん。なに?」
「そろそろ準備しよっか!」
「……うん!」
真理は頷いた。
青葉高校は十一番。
もうすぐ、自分たちの出番だ。
◇
控室では、すでに衣装の最終確認が始まっていた。
美奈は完成したドレスを身にまとい、鏡の前に立っている。
深い青緑の生地。
光を受けると、ところどころに紫の光沢が浮かび上がる。
右肩を覆い、左肩を出したアシンメトリーな形。
左右で長さの違う裾。
背中から斜めに流れるドレープ。
真理は、美奈の周りをゆっくりと回った。
「……うん。大丈夫」
「ほんと?」
「……うん。裾も、ちゃんと綺麗に落ちてる」
美奈は、鏡の中の自分を見つめた。
「……へへっ」
口元が、自然と緩む。
「……どう?」
真理が顔を上げる。
「……すごく似合ってるよ、美奈ちゃん」
「でしょー!?」
美奈は嬉しそうに笑った。
その横から、リンが顔を覗かせる。
『うわぁ……!』
「凛ちゃん?」
『いや、もう……すごいね、これ!』
「今さら!?」
『だって! 着てるところ見ると、また違うんだもん!』
リンは、美奈の周りをぐるりと見た。
『うんうん! いい感じ!』
「へへっ!」
美奈が得意げに胸を張る。
真理は、その姿を見つめながら、最後にドレープの形を整えた。
布の流れ。
左右のバランス。
縫い目の位置。
何度も確認してきたところを、もう一度だけ確かめる。
「……よし」
小さく呟いた。
「……美奈ちゃん」
「ん?」
「……大丈夫。すごく綺麗」
美奈は、真理の顔を見た。
そして、にっと笑う。
「ありがと!」
その笑顔を見て、真理も笑った。
◇
会場では、十番目の学校がランウェイを歩いていた。
観客席の沙織が、パンフレットを確認する。
「……次だ」
「えっ?」
悠斗が顔を上げる。
「次、青葉高校だよ!」
「あっ、ほんとだ!」
森田も、手元のパンフレットを覗き込んだ。
「十一番……お、次じゃん!」
佐伯がステージへ目を向ける。
「いよいよだな」
「うん!」
愛梨も、少し身を乗り出した。
「美奈、緊張してるかな」
「してんじゃねえの?」
森田が答える。
「でも、あいつなら楽しんで歩きそうだよな」
悠斗が笑った。
「確かに」
沙織も頷く。
「うん。美奈らしくね!」
◇
小川夫妻も、次の学校名を確認していた。
「……あなた」
「ん?」
「次、真理たちよ」
父親がパンフレットへ目を落とす。
「……本当だ」
それから、ステージを見上げた。
「……いよいよか」
母親は、静かに頷いた。
午前中、スクリーンに映っていた娘の姿が思い出される。
何度も描き直していたスケッチ。
美奈と一緒に生地を見つめていた顔。
あの時間が、一着の服になって現れる。
母親は、膝の上でそっと手を重ねた。
◇
「ねえ、あなた!」
片岡家の母親が、父親の腕を軽く叩いた。
「次よ! 美奈の番!」
「分かってるよ」
「ちゃんと見ててよ!」
「見てるって」
「写真、撮れるかしら」
「まずはちゃんと見てやろうよ」
「……そうね!」
母親は、大きく頷いた。
そして、ステージへ身を乗り出す。
「……美奈、頑張って」
小さな声が、こぼれた。
◇
舞台袖。
美奈は、ゆっくりと息を吐いた。
客席から聞こえてくる拍手。
ステージ上では、十番目の学校のモデルが最後のポーズを決めている。
その姿を見ながら、美奈は自分のドレスへ目を落とした。
青緑の生地。
紫の光沢。
真理と一緒に考えて、一緒に悩んで、一緒に完成させた一着。
「……真理」
「……なに、美奈ちゃん?」
「……やっば」
真理が心配そうに顔を上げる。
「……緊張してる?」
「……うん」
美奈は、少し笑った。
「でもさ」
真理を見る。
「めっちゃ楽しみ」
真理は、一瞬だけ目を見開いた。
そして、ふっと笑った。
「……うん」
リンが、二人のそばへ歩み寄る。
『片岡さん』
「ん?」
『楽しんでおいで!』
美奈は、顔を上げた。
『小川さんと二人で作った服、みんなに見せてきて!』
「……うん!」
美奈は大きく頷いた。
真理も、そっと声をかける。
「……美奈ちゃん」
「ん?」
「……頑張ってね」
「……うん!」
美奈は、二人へ向かって笑った。
「真理も、ちゃんと見ててよ!」
「……もちろん!」
ステージ上では、十番目のモデルが退場していく。
拍手が起こった。
その音が、少しずつ落ち着いていく。
舞台袖のスタッフが、美奈へ合図を送った。
美奈は背筋を伸ばす。
真理は、胸の前で両手を握りしめた。
リンは、二人の隣に立つ。
そして。
アナウンサーの声が、会場いっぱいに響いた。
「続きまして、エントリーナンバー11番!」
一瞬、真理の心臓が大きく跳ねた。
「東京都立青葉高等学校!」




