第七十七話「華やかな開幕」
優勝旗を返還した熊川怜奈が、銅美の列へと戻っていく。
その小柄な背中を、真理はしばらく目で追っていた。
ようやく会場の拍手が落ち着いた頃、ステージ中央に進行役のアナウンサーが姿を現した。
「さて、出場校の皆さん。いよいよ全国高校生ファッションコンテストが始まります!」
再び、客席から大きな拍手が起こる。
「今年の大会テーマは――『変化』!」
背後のスクリーンに、大きな二文字が映し出された。
「全国から集まった二十四校が、このテーマにどのような答えを出したのか。午後のランウェイを、どうぞお楽しみに!」
美奈が、隣の真理を肘でつついた。
「ねえ真理。いよいよって感じしない?」
「……うん」
「やっば。なんか、めっちゃ楽しくなってきた!」
真理は笑った。
ついさっきまで、あれほど緊張していたのに。
美奈はもう、次に何が起こるのか楽しみで仕方ないらしい。
そんな様子を見ていると、不思議と自分の緊張まで少し和らいでくる。
そのときだった。
「そして本日、この大会を一緒に盛り上げてくださる、素敵な方をお迎えしています!」
アナウンサーが、ステージ袖へ手を向けた。
「本日のスペシャルMC――藤原紀香さんです!」
会場が、一気に沸いた。
「えええっ!?」
美奈が思わず声を上げる。
ステージ袖から、華やかな衣装に身を包んだ藤原紀香が現れた。
長い脚。
すらりと伸びた背筋。
満面の笑みで客席に手を振りながら、中央へと歩いていく。
「皆さん、こんにちは! 藤原紀香です!」
その声に、さらに歓声が大きくなった。
「……うわ、すっご!」
美奈が目を輝かせる。
『ちょっと待って! めっちゃ綺麗なんだけど!』
リンも思わず身を乗り出した。
「でしょ!? 凛ちゃん、見た!? 顔ちっちゃ!」
『見てる見てる! っていうか、スタイルよすぎない!?』
「ほんっと、それ!」
真理は二人を交互に見た。
さっきまで教師と生徒として大会の準備をしていたはずなのに、今は友達同士のように盛り上がっている。
「……ふふっ」
『あっ、小川さん! 今笑ったでしょ!』
「い、いえ……!」
「真理も見てよ! 本物だよ、本物!」
「……うん。綺麗だね」
『でしょー!?』
なぜかリンが得意げだった。
◇
観客席でも、同じような光景が広がっていた。
「……おお」
悠斗が、ぽつりと声を漏らす。
沙織が隣から顔を覗き込んだ。
「なに?」
「いや……本当に来るんだなって」
「さっきからずっと、そんなことばっかり言ってない?」
「だって、テレビで見る人だぞ」
「まあ、それはそうだけど」
沙織もステージへ視線を戻した。
「……でも、ほんとに綺麗だね」
少し離れた席では、森田が妙に真剣な顔でステージを見つめていた。
「…………」
「森田?」
佐伯が声をかける。
「……すげえな」
「何が?」
「いや、全部」
「……全部?」
「全部だよ!」
佐伯が吹き出した。
「なんだよ、それ!」
「うっせ!」
その隣で、愛梨がパンフレットを握りしめている。
しかし、彼女の目はステージの藤原紀香ではなく、舞台袖へ向けられていた。
「……まだかな」
「お前、まだそれ言ってんのかよ」
「だって……!」
愛梨は口元を押さえる。
「もうすぐ、あゆが……!」
「分かったって!」
森田が呆れた声を上げた。
佐伯は、笑いながら首を振った。
◇
藤原紀香による挨拶に続き、大会関係者や来賓、審査員の紹介が始まった。
服飾の専門家。
デザイナー。
ファッション雑誌の編集に携わる人物。
名前が読み上げられるたびに拍手が起こる。
真理は、審査員席へ視線を向けた。
あそこに座っている人たちが、自分たちの服を見る。
そう思うと、また胸の奥が落ち着かなくなってきた。
「……美奈ちゃん」
「ん?」
「審査員の人たちって、やっぱりすごい人ばっかりなんだね」
「そりゃ全国大会だもん!」
「……そうだよね」
「でもさ」
美奈は、にっと笑った。
「別に、怖がることないじゃん!」
「……え?」
「うちらの服、見てもらうために来たんだし!」
真理は瞬きをした。
美奈は、あっけらかんと続ける。
「だったら、いっぱい見てもらわなきゃ損じゃん!」
「……ふふっ」
「なにー?」
「……ううん。そうだね」
真理も笑った。
『そうそう! 片岡さんの言うとおりだよ!』
リンが二人の肩を軽く叩く。
『せっかくここまで来たんだから、思いきり見せちゃお!』
「おー!」
美奈が拳を上げた。
真理も、小さく拳を握った。
◇
「さて、ここで皆さんに、特別なステージをお届けします!」
藤原紀香がマイクを持ち直した。
その一言で、客席の空気が変わる。
「本日のスペシャルゲストです!」
愛梨の背筋が、ぴんと伸びた。
「…………!」
「今、若い世代を中心に絶大な人気を集めるアーティスト!」
ステージの照明が落ちる。
客席のあちこちから、期待に満ちた声が上がり始めた。
「浜崎あゆみさんです!」
「きゃああああああっ!!」
会場が揺れるような歓声に包まれた。
愛梨は、両手で口を押さえていた。
「……っ!」
「おい、愛梨!」
森田の声も耳に入っていない。
舞台奥に明かりが灯る。
その中心に、一人の女性が立っていた。
浜崎あゆみ。
テレビで何度も見た姿。
雑誌で何度も見た顔。
CDで何度も聴いた歌声の持ち主が、今、目の前にいる。
「……あゆ……」
愛梨の声が震えた。
そして、静かな前奏が流れ始める。
曲は『SEASONS』。
浜崎あゆみが、マイクを口元へ運んだ。
歌い出しの声が、会場へ広がる。
「…………っ」
愛梨の目に、みるみる涙が溜まっていった。
森田が横を向く。
「……おい」
「…………」
「……お前、泣いてんの?」
「……っ、ぐす」
「早くね!?」
佐伯が思わず笑った。
「まだ始まったばっかりだぞ」
「だ、だって……!」
愛梨は必死に声を絞り出した。
「あゆが……っ、あゆが歌ってる……!」
「そりゃそうだろ! ライブなんだから!」
「ほんとに……っ、そこにいるんだもん……!」
「だから本人だって!」
森田のツッコミにも、愛梨はまったく動じなかった。
涙を拭いながら、ステージから目を離さない。
曲が進むにつれて、会場のあちこちで手を振る観客が増えていく。
そしてサビが始まった。
「うっ……!」
愛梨の涙が、とうとう堰を切ったようにこぼれた。
「うぅ……っ、あゆぅ……!」
「ちょ、おまっ……!」
森田がぎょっとする。
「泣きすぎだろ!!」
「だってぇ……!」
「そんなに泣いてたら見えねえだろ!」
「見えてるもん……!」
「絶対見えてねえだろ!」
佐伯は、もう我慢できなかった。
「はははっ!」
「大輔まで笑わないでよぉ……!」
「いや、ごめん……っ、よかったな、愛梨!」
「うん……っ!」
愛梨は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、大きく頷いた。
「来て……ほんとによかったぁ……!」
森田は頭を抱えた。
「……まだ大会本番始まってねえんだけど」
◇
一方、参加者エリアでは。
「……やっば」
美奈が、ぽかんとステージを見つめていた。
「歌、うま……」
『ね……』
リンも、思わず言葉を失っていた。
あたしのいた時代でも、何度も耳にしてきた曲だ。
けれど、二〇〇〇年の浜崎あゆみが、今まさに目の前で歌っている。
そんな光景を、自分が見ている。
まるで、テレビの中に入り込んだみたいだった。
『……すごいね』
リンが小さく呟く。
「ねえ凛ちゃん」
『ん?』
「今日、ほんとにファッションコンテストだよね?」
『あはは! あたしも今、同じこと考えてた!』
「なんか、ライブ来たみたい!」
『ほんとだよね!』
真理は隣で、静かに歌を聴いていた。
柔らかな歌声。
会場いっぱいに広がる音楽。
こんなに大きな舞台に立つ人は、どんな気持ちなのだろう。
ふと、そんなことを考えた。
もちろん、自分たちの大会とは違う。
それでも、数時間後には美奈ちゃんも、あのステージの上を歩く。
そう思うと、胸の奥が少し熱くなった。
真理は、美奈の横顔を見た。
美奈はすっかり歌に夢中になっていた。
「……美奈ちゃん」
「んー?」
「……今日、楽しもうね」
美奈が振り返った。
そして、にっと笑う。
「当たり前じゃん!」
二人は笑い合い、再びステージへ目を向けた。
◇
最後の音が消えた瞬間、大きな拍手が巻き起こった。
浜崎あゆみが客席へ手を振り、深く頭を下げる。
「ありがとうございました!」
再び歓声。
そして観客席では。
「……っ、ぐす……」
「……まだ泣いてんのかよ」
森田が呆然としていた。
愛梨は、ハンカチを顔に押し当てている。
「……だって……終わっちゃった……」
「終わったから泣くの!?」
「もう一回聴きたい……」
「無茶言うな!」
佐伯は笑いすぎて、目元を拭っていた。
「……ははっ。腹痛え……」
「二人ともひどい!」
愛梨が抗議する。
しかし、その顔は幸せそうだった。
◇
スペシャルステージが終わると、会場の照明が再び落とされた。
ステージ中央のスクリーンに、大会の文字が映し出される。
「続いては、出場校の皆さんをご紹介します!」
藤原紀香の声が響いた。
「全国から選ばれた二十四校。それぞれの学校が、今日までどのような思いで作品を作り上げてきたのか。ご覧ください!」
スクリーンに、最初の映像が映った。
校舎。
教室。
作業台に広げられた布。
生徒たちが、笑顔で何かを話し合っている。
各校が事前に提出した紹介ムービーだった。
完成した衣装そのものではなく、そこへ至るまでの制作風景が次々と映し出されていく。
◇
「続いて、福岡市立福岡女子高等学校!」
画面が切り替わった。
明るい教室。
数人の女子生徒が、机いっぱいに広げた型紙を囲んでいる。
一人が何かを指さす。
別の生徒が首を傾げる。
すると、全員が一斉に笑い出した。
『今回の出場メンバーは、なんと全員が二年生!』
紹介ナレーションが響く。
『デザイン、縫製、そしてモデルまで。上級生のいないチームで、一着の作品に挑戦します』
画面には、黒とアイボリーの布が並べられていた。
布を裏返して確かめる手。
型紙に書き込みを加える手。
ミシンの前で、真剣な顔をする女子生徒。
そして最後には、全員がカメラに向かって手を振った。
「……えっ!?」
美奈が目を丸くする。
「全員二年生!?」
「……すごいね、美奈ちゃん」
「しかも、あんなに人数いるんだ!」
真理も頷いた。
自分たちは二人で作ってきた。
けれど、あの学校は、何人もの生徒が同じ一着のために話し合い、作業を分担している。
同じ高校生でも、服作りの形は一つではないのだ。
『みんな、すっごく楽しそうだったね』
リンが笑った。
「うん! なんか、いいチームって感じ!」
美奈は嬉しそうにスクリーンを見つめた。
「どんな服なんだろ!」
◇
いくつかの学校の映像が続いたあと、別の校名が紹介された。
「愛知県立名古屋西高等学校!」
スクリーンに映ったのは、裁断台だった。
色味の異なるデニム。
光沢を持つレザー。
生徒たちが、二つの素材を並べて見比べている。
デニムの上に革の端切れを重ね、何度も配置を変える。
画面が切り替わると、ミシンに向かう手元が映った。
『異なる性質を持つ二つの素材。その風合いや組み合わせを生かしながら、作品制作を進めています』
「……デニムとレザー?」
美奈が呟く。
「……すごい組み合わせだね」
真理も興味深そうに身を乗り出した。
「レザーって、縫うの難しそう……」
「うん。しかもデニムと合わせるって、どうするんだろ」
映像の中では、生徒が生地の厚みを確かめながら、慎重に縫い目を整えていた。
真理は、その手元をじっと見つめた。
「……ああいう素材の使い方もあるんだね」
「ね! 完成したの見たい!」
最後まで、完成衣装は映らなかった。
それでも二人の興味は、十分に引きつけられていた。
◇
そして。
「続いて、東京都立青葉高等学校!」
「……あっ!」
真理が顔を上げた。
「うちらだ!」
美奈がスクリーンを指さす。
画面には、見慣れた校門が映っていた。
続いて、校舎。
廊下。
家庭科室。
「あれ……?」
美奈が、首を傾げた。
画面には、ミシンに向かう自分の姿が映っていた。
生地を押さえ、真剣な顔で針の動きを確かめている。
次に、スケッチブックを広げる真理。
鉛筆を走らせ、少し考え込んでから消しゴムを手に取る。
「……これ」
美奈が、ゆっくりとリンを見た。
「……凛ちゃん」
『……ん?』
「これ、凛ちゃんが撮ってたやつじゃん!」
『あはは! バレた?』
「バレたも何も! 思いっきり映ってるし!」
リンが笑った。
『学校の紹介映像に使うって話はしてたじゃん。でも、どんなふうにまとまるかは、あたしも楽しみだったんだよね』
「えーっ! こんなに使われてるなんて聞いてない!」
『いいじゃん! すっごくいい感じだよ!』
「……凛先生」
真理が、そっと声をかけた。
『ん?』
「……ありがとうございます」
リンは少し驚いた。
『えっ?』
「……こんなに、撮ってくれてたんですね」
スクリーンには、真理と美奈が並んで布を見つめる姿が映っていた。
片方が何かを言い、もう片方が頷く。
次の場面では、二人が同じ場所を指さして笑っている。
真理は、自分がこんなふうに笑っていたことに驚いた。
服のことを考えているとき。
美奈ちゃんと話しているとき。
いつの間にか、こんな顔をするようになっていたのだ。
『……あたしは撮っただけだよ』
リンが笑う。
『頑張ってたのは、小川さんと片岡さんでしょ?』
「……はい」
真理は、小さく頷いた。
◇
「あっ! 美奈たちだ!」
観客席で、沙織が声を上げた。
「ほんとだ!」
悠斗もスクリーンを見る。
家庭科室で、二人が作業している。
美奈はミシン。
真理はスケッチブック。
そして、二人で何度も生地を広げている。
「……へえ」
森田が、感心したように呟いた。
「結構、本格的にやってたんだな」
「当たり前だろ。全国大会だぞ」
佐伯が答える。
「いや、そうだけどさ」
森田は、画面の美奈を指さした。
「あいつ、こんな真剣な顔すんのな」
「ははっ。本人に言ったら怒られるぞ」
「……だよな」
沙織は、真理が何度もスケッチを描き直す場面を見つめていた。
「……すごいね」
「ん?」
「二人とも、ずっと頑張ってたんだね」
悠斗が頷いた。
「ああ」
画面の中で、美奈が何かを言う。
真理が顔を上げる。
二人は、楽しそうに笑っていた。
悠斗も、つられて笑った。
「……なんか、いいな」
「うん!」
◇
小川夫妻も、スクリーンを見つめていた。
母親は、映し出された娘の姿から目を離せずにいた。
机に向かって、真剣に線を引く真理。
失敗したらしい部分を消し、もう一度描き直す。
隣の美奈と顔を寄せ合い、何かを相談する。
そして、笑う。
「……あなた」
「ん?」
「真理、あんなに楽しそうにしてるのね」
父親は、静かに頷いた。
「ああ」
朝、真理は言った。
学校に行くのが楽しい。
毎日が楽しい。
その言葉を聞いただけでも嬉しかった。
けれど、今は。
画面の中で笑う娘の姿が、何よりも雄弁にそれを伝えてくれていた。
「……よかったわね」
母親が、小さく呟いた。
父親は、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……あんな顔、するんだな」
「ええ」
二人は、もう一度スクリーンを見上げた。
◇
「……あら」
片岡家の母親が、目を丸くした。
画面には、美奈が真剣な顔でミシンを踏んでいる姿が映っていた。
いつもの賑やかな表情とは違う。
少し眉を寄せ、布の端を慎重に押さえている。
「ねえ、あなた。見て!」
「見てるよ」
「美奈、あんな顔してる!」
父親が笑った。
「真剣だな」
「そうなのよ! 家じゃ、ずっとしゃべってるのに!」
「はははっ」
画面が切り替わる。
真理と美奈が、机の上に広げた生地を見つめている。
美奈が大きく身振りを交えて何かを説明し、真理が笑う。
「ああ、いつもの美奈だ」
父親が言った。
母親も笑う。
「ほんとね」
けれど、その目は少しだけ優しかった。
「……頑張ってたのね、あの子」
「ああ」
「帰ってきたら、いっぱい褒めてあげなきゃ」
「まだ本番があるだろ?」
「それもそうね!」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
別の観客席で、藤崎千尋も青葉高校の映像を見ていた。
見慣れた家庭科室。
使い慣れたミシン。
布の端を持ち上げて悩む二人。
千尋には、その場面がいつの作業なのかも分かった。
あのときは、裾の形が思うように決まらなかったのだ。
重さの違う布を試し、裁断する方向も変えてみた。
何度も失敗した。
それでも二人は、最後まで自分たちで考え続けた。
「……ふふっ」
千尋は、小さく笑った。
「頑張ったわね、二人とも」
スクリーンの中で、真理と美奈が完成前の衣装を囲んでいる。
その表情を見つめながら、千尋は静かに拍手を送った。
◇
青葉高校の映像が終わると、会場から拍手が起こった。
美奈は、まだスクリーンを見つめていた。
「……なんかさ」
「……うん?」
「めっちゃ変な感じ」
「……どうして?」
「だって、うちらが家庭科室でやってたこと、こんなに大きな画面で流れてんだよ?」
真理は、少し考えた。
「……確かに」
「しかも、知らない人がいっぱい見てる!」
『あはは! そりゃ全国大会だもん!』
「分かってるけどー!」
美奈は、嬉しそうに笑った。
「……でも、なんかいいね」
「……うん」
真理も頷いた。
「……いいね」
◇
やがて、昨年度優勝校の紹介が始まった。
「京都市立銅駝美術工芸高等学校!」
スクリーンに映し出されたのは、広い実習室だった。
「……えっ」
美奈が、思わず声を漏らした。
ずらりと並ぶミシン。
広い作業台。
何体ものトルソー。
壁には、製図やデザイン画が並べられている。
生徒たちが、それぞれの作業に集中していた。
生地を裁断する者。
型紙を確認する者。
縫い目を点検する者。
そして、その中央で。
小柄な少女が、作業台の上に広げた型紙を指さしていた。
「……あっ」
真理が声を上げた。
「熊川さん……」
優勝旗を返還した少女だった。
怜奈は周囲の生徒たちに何かを説明している。
生徒の一人が頷き、別の生徒が型紙に書き込みを加えた。
怜奈自身も、すぐに作業へ戻っていく。
『昨年度の優勝を経験した銅駝美術工芸高等学校。今年も、生徒たちが力を合わせて作品制作に取り組んできました』
美奈は、画面に映るミシンの数を見ていた。
「……ねえ、真理」
「……うん」
「ミシン、何台あんの……?」
「……数えられない」
『すごい設備だね……』
リンも感心したように呟く。
青葉高校の家庭科室とは、まるで違う。
けれど、真理が最も気になったのは、そこではなかった。
生徒たちの手元。
作業台の上で交わされる視線。
何かを確かめるたびに、細かく意見を交わしている。
あの学校でも、きっと何度も失敗したのだろう。
何度も話し合って、作り直したのだろう。
真理は、そう思った。
「……どんな服なんだろう」
思わず、声が漏れた。
美奈が大きく頷く。
「ね! 早く見たい!」
映像が終わる頃には、二人ともすっかり画面に引き込まれていた。
◇
二十四校の紹介が終わった。
会場に、再び照明が戻る。
美奈は、大きく息を吐いた。
「……はあー!」
『どうしたの、片岡さん?』
「いや、なんかさ!」
美奈は笑った。
「どこの学校もすごかったじゃん!」
「……うん」
真理も頷いた。
福岡女子の二年生たち。
デニムとレザーを組み合わせていた名古屋西。
そして、銅美。
どの学校も、違うやり方で一着の服を作っていた。
「……みんな、どんな服なんだろうね」
「そう、それ!」
美奈が勢いよく頷く。
「めっちゃ気になる!」
『あたしも! 早く見たいなぁ』
リンもスクリーンへ目を向けた。
そのとき、藤原紀香が再びマイクを取った。
「それでは、皆さんお待ちかね! 午後のランウェイ披露順をご紹介します!」
会場が、再びざわめいた。
スクリーンに数字が並び始める。
一番。
福岡市立福岡女子高等学校。
「……あっ!」
美奈が指さした。
「さっきの二年生チーム!」
「……本当だ」
真理が頷く。
さらに、学校名が続いていく。
七番。
愛知県立名古屋西高等学校。
「……あ、名古屋西」
「デニムとレザーのとこだよね!」
真理が頷いた。
そして。
十一番。
東京都立青葉高等学校。
「…………!」
美奈が固まった。
真理も、スクリーンをじっと見つめる。
「……十一番」
美奈が呟いた。
それから、勢いよくリンを振り返る。
「ねぇ凛ちゃん! 十一番ってどうなの!?」
『……えっ!?』
「早いの!? 遅いの!? ちょうどいいの!?」
『ええっ!? どうって言われても!』
「なんかあるじゃん! ほら、出番とか!」
『あたしだって初めてなんだってば!』
「先生ー!」
『そんなこと言われてもー!』
美奈が頭を抱える。
真理は、思わず笑ってしまった。
「……ふふっ」
「ちょっと真理! 笑い事じゃないって!」
「……ご、ごめん、美奈ちゃん」
真理は笑いをこらえながら、もう一度スクリーンを見た。
数字が進んでいく。
十七番。
十八番。
十九番。
そして。
二十一番。
京都市立銅駝美術工芸高等学校。
「……あ」
真理が、小さく声を漏らした。
「……銅美、二十一番なんだ」
「えっ、そうなの!?」
美奈も画面へ顔を向ける。
「……私たちより、ずっとあとだね」
『そっか。じゃあ、片岡さんが先に歩くんだね』
「…………」
美奈が、ゆっくりと真理を見た。
「……やっば」
「……どうしたの?」
「なんか急に、緊張してきた」
『また!?』
リンが思わず声を上げる。
「だってさ! 十一番って、ほんとに決まったら……!」
美奈は胸元を押さえた。
「うわー! もうすぐじゃん!」
『いや、まだお昼もあるから!』
「そうだけどー!」
真理は笑いながらも、自分の胸にも手を当てた。
心臓が、さっきより少し速く動いている。
十一番。
その数字が、頭から離れなかった。
◇
正午を過ぎ、昼休憩の時間となった。
参加者エリアでは、各校が午後の本番に向けて準備を進めていた。
青葉高校の控室でも、真理と美奈が衣装ケースを開いていた。
リンは、持ってきた荷物を脇へ寄せる。
『片岡さん、小川さん。お昼、ちゃんと食べた?』
「食べた食べた!」
「……はい」
『ならよし! 午後は長いから、無理しないでね』
「はーい!」
美奈は返事をすると、衣装ケースの中を覗き込んだ。
「……へへっ」
その顔が、自然と緩む。
真理も隣にしゃがんだ。
丁寧に収められたドレス。
深い青緑を基調とした生地が、控室の明かりを受けて、かすかに紫を帯びている。
左右で形の違う裾。
斜めに流れるドレープ。
何度も考え直した、一着。
「……綺麗」
真理が呟いた。
「でしょ?」
美奈が得意げに笑う。
「あたし、この生地、ほんっと気に入ってんだよね!」
「……うん。私も」
真理は、そっと布の端に触れた。
あの日。
何種類もの生地を並べ、何度も迷った。
光を当ててみたり、角度を変えたり。
思いどおりの色に見えなくて、やり直したこともあった。
でも、最後には二人で決めた。
この生地でいこう、と。
『……ほんと、綺麗だね』
リンも、隣から覗き込んだ。
『初めて見せてもらったときより、ずっとすごくなってる』
「へへっ。そりゃそうでしょ!」
美奈が胸を張る。
「なんたって、うちらの最高傑作だもん!」
真理が笑った。
「……うん」
美奈は、もう一度ドレスへ目を向けた。
そして、少しだけ声を落とす。
「……あたし、これ着て歩くんだよね」
「……うん」
「……なんかさ」
美奈は、生地にそっと触れた。
「すっごい楽しみ」
真理は、その横顔を見つめた。
美奈ちゃんは、いつだってそうだ。
不安がないわけではない。
緊張だってしている。
それでも、その先にある楽しみを、誰よりもまっすぐ見つめている。
だから、自分も。
「……私もだよ、美奈ちゃん」
真理は、静かに笑った。
リンも二人を見て、嬉しそうに頷く。
『よーし! じゃあ、最後にもう一回確認しよっか!』
「おっけー!」
「はい、凛先生」
美奈が、ドレスをそっと持ち上げる。
青緑の生地が揺れ、光の当たり方によって紫の光沢が浮かび上がった。
そのとき。
廊下の向こうから、スタッフの声が響いた。
「出場校の皆さん、午後のランウェイに向けて、準備をお願いいたします!」
美奈と真理が、顔を見合わせた。
一瞬の沈黙。
そして、美奈がにっと笑った。
「……行こっか、真理!」
真理も、大きく頷いた。
「……うん、美奈ちゃん!」
全国の高校生たちが、自分たちの一着を披露する。
その時間が、いよいよ始まろうとしていた。




