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第七十四話「三年間の約束」

 二〇二六年(令和八年)七月二十一日、火曜日。


 都立桜丘高校、面談室。


『……一つ、お話ししてもよろしいでしょうか』


 凛の言葉に、由紀子はわずかに眉を上げた。


「……何でしょうか」


 美月は俯いたままだった。


 膝の上で握りしめた両手。何度も口を開こうとして、そのたびに飲み込んできた言葉。


 凛は、その姿を見つめた。


『……私は以前、美月に配信をやめるよう言いました』


「…………」


『今回の事件があって、これ以上危険な目に遭わせたくなかった。だから、配信を続けるべきではないと考えたんです』


 由紀子が小さく頷いた。


「……当然の判断だと思いますが」


『はい。ですが、私はそのとき、美月が何を考えているのか、最後まで聞きませんでした』


「…………」


『危険だからやめるべきだ。守るためには、そうするしかない。そう決めつけてしまったんです』


 凛は一度、美月へ目を向けた。


 美月が顔を上げる。


 その目が合った。


『……美月には、後から謝りました』


 そして、由紀子へ向き直った。


『お母さん』


「……はい」


『今のあなたは、あのときの私と同じ間違いをしています』


 その瞬間。


 由紀子の表情が変わった。


「…………何ですって?」


 低い声だった。


 凛は目を逸らさなかった。


『美月を心配するあまり、あの子自身の言葉を聞けていないのではないでしょうか』


「……間違い?」


 由紀子は、その言葉を確かめるように繰り返した。


「山本先生。今、私が間違っているとおっしゃいましたか?」


『……はい』


「…………」


 由紀子の手が、机の上で固く握られた。


「……新任の先生に、何が分かるというんですか!」


 美月の肩が跳ねた。


 由紀子は身を乗り出した。


「あなたは、娘を持つ親の気持ちが分かるんですか? 家の近くまで知らない男が来ていたと知ったとき、私たちがどれほど恐ろしかったか!」


『…………』


「娘に何かあったらどうしようと、毎日考えていたんですよ!」


 由紀子の声が、面談室に響いた。


「美月はまだ高校生です。世の中のことも、働くことの大変さも、十分に分かっていません!」


「……お母さん……」


「あなたは黙っていなさい!」


 美月が口を閉じた。


 由紀子は、再び凛を見据えた。


「私たちはね、娘に苦労してほしくないんです!」


 その声には、怒りだけではないものが混じっていた。


「世の中、好きなことだけして生きていけるほど甘くありません。だから、少しでも安心できる道を用意してやりたいんです!」


 由紀子は隣の夫へ一瞬目を向けた。


「主人の会社なら、働く場所もあります。将来のことも考えられる。娘が困ったとき、私たちも手を差し伸べられるんです!」


 父親は黙って妻の言葉を聞いていた。


「それを、間違いだなんて……!」


 由紀子は唇を噛んだ。


「先生は、娘のこれからの人生に責任を取れるんですか?」


 面談室が静まり返った。


 美月は、母親の顔を見つめていた。


 怒鳴られることには慣れていた。


 けれど、こんなふうに母親が声を震わせているところは、あまり見たことがなかった。


 凛は、由紀子の言葉が途切れるまで待った。


 そして、ゆっくりと頭を下げた。


『……申し訳ありません。言葉が足りませんでした』


「…………」


『私は、お母さんが美月を心配されることを、間違いだと言ったのではありません』


 凛は顔を上げた。


『高瀬興産で働くことも、立派な選択肢だと思います。ご両親が美月のために考えてこられたことも、否定するつもりはありません』


「……でしたら、何が間違っているというんですか」


『……その選択を、美月自身が望んでいるのかどうかです』


「…………」


『お母さんは、美月が反対しなかったとおっしゃいました』


「ええ。そうです」


『ですが……反対しなかったことと、本人が望んでいることは、同じでしょうか』


 由紀子の眉が動いた。


『先ほどから、美月は何度も話そうとしていました』


「…………」


『そのたびに、言葉を途中で止められていました』


「……私は、娘に分かってほしいからこそ……!」


『はい』


 凛は頷いた。


『そのお気持ちは、分かります』


 そして、静かに続けた。


『ですが、分かってほしいと思うあまり、相手の言葉を聞けなくなることもあるんです』


「…………」


『私も、そうでした』


 凛は小さく息を吐いた。


『守らなければならない。正しい道へ導かなければならない。そう思って、美月の代わりに答えを出してしまいました』


 由紀子は何も言わなかった。


『……私は、まだ勉強中です』


「…………」


『教師になって、まだ数か月です。分からないことも、知らないことも、たくさんあります』


 凛は少しだけ笑った。


『今回のことも、もっと早く気づけたことがあったはずです。私の判断が足りなかった部分も、確かにあります』


 美月が凛を見た。


『だから、これからも学ばなければならないと思っています』


 凛は、由紀子の目をまっすぐに見つめた。


『……お母さん』


「…………」


『私と一緒に、学んでいただけませんか』


 由紀子が、わずかに目を見開いた。


「……学ぶ?」


『はい』


 凛は頷いた。


『美月が何を考えているのか。何を望んでいるのか。そして、そのために私たち大人が何をしてやれるのか』


『私一人では、まだ分からないことばかりです』


 少しだけ間を置く。


『ですから、お母さんにも、一緒に考えていただきたいんです』


「…………」


『美月を守りたいという気持ちは、私も同じです』


 凛は続けた。


『ですが、私たちが美月の代わりに人生を決めてしまったら、美月はいつ、自分で選べるようになるのでしょうか』


 由紀子は、凛を見つめていた。


 何かを言い返そうと、唇が動く。


 けれど、言葉は出てこなかった。


 凛は、最後に静かに尋ねた。


『……まずは、美月の話を聞いてみませんか』


 長い沈黙があった。


 時計の秒針が、かすかな音を立てて進んでいく。


 由紀子は、ゆっくりと娘へ顔を向けた。


 美月は、膝の上で両手を握りしめたままだった。


「……美月」


「……はい」


 由紀子は、少しだけ息を吸った。


「……あなたは、どうしたいの」


 美月が顔を上げた。


「…………」


 すぐには答えられなかった。


 母親の顔を見る。


 いつものように、何か言われるのではないか。


 そう思うと、喉が詰まった。


「……私……」


 由紀子が口を開きかける。


 けれど、そのまま閉じた。


 凛も、父親も、何も言わない。


 誰も、美月の言葉を遮らなかった。


 美月は、膝の上の手を少し緩めた。


「……私、配信が好き」


 小さな声だった。


 由紀子は黙って聞いている。


「最初は、ただ楽しかっただけなの」


 美月は、ゆっくりと続けた。


「知らない人が私の話を聞いてくれて、コメントしてくれて……それが嬉しくて」


「…………」


「見てくれる人が少しずつ増えて……応援してくれる人も増えて……」


 美月の声が、少しずつはっきりしていく。


「最初は、ただの趣味だった」


 父親が静かに頷いた。


「……うん」


「でも……続けていくうちに、もっとちゃんとやってみたいって思うようになった」


 美月は一度、唇を結んだ。


 そして、両親を見た。


「……私、卒業してからも配信を続けたい」


 由紀子は少し眉を寄せた。


「……それなら、仕事をしながらでもできるでしょう」


「…………」


 美月は首を振った。


「……違うの」


「……何が?」


「私……」


 小さく息を吸う。


「……配信を、仕事にしたい」


 由紀子の動きが止まった。


「…………え?」


「……いつか、配信だけで生活できるようになりたい」


 美月は、はっきりと言った。


「……それが、私の夢なの」


 面談室が静まり返った。


 父親が、少し驚いた表情で美月を見た。


「……美月。それは、本気で言っているのか?」


「……うん」


 美月は頷いた。


「本気だよ」


 由紀子は、しばらく何も言わなかった。


 やがて、ゆっくりと口を開く。


「……配信で、生活していく?」


「……うん」


「……あなた、本当に何を考えているの?」


 その声には、先ほどとは違う驚きが混じっていた。


「そんな不安定な仕事で、どうやって生活していくつもりなの?」


「…………」


「今は見てくれる人がいるかもしれない。でも、五年後は? 十年後は?」


 由紀子の声が強くなる。


「ずっと同じように人気が続く保証なんて、どこにもないでしょう!」


「……うん」


「今回だって、あんなに怖い思いをしたのよ?」


「……分かってる」


「だったら、どうしてまだそんなことを……!」


「……お母さん」


 美月が顔を上げた。


 由紀子は言葉を止めた。


「……私、ちゃんと考えてなかった」


「…………」


「配信を始めた頃は、ただ楽しくて……見てくれる人が増えるのが嬉しくて……」


 美月は、鞄の中から一冊のノートを取り出した。


「……でも、いつの間にか、数字ばっかり気にするようになってた」


 ノートを開く。


「もっと見てもらいたい。もっと喜んでもらいたいって思って……」


 美月は、少しだけ俯いた。


「服も、だんだん派手になって……」


「…………」


「自分で可愛いと思って選んでたけど、途中からは、見てくれる人の反応を気にして選ぶこともあった」


 由紀子は、娘の手元を見つめていた。


「制服で配信したことも、軽く考えてた。学校が分かるかもしれないなんて、ちゃんと考えてなかった」


 美月は、ゆっくりと顔を上げた。


「……それは、私が悪かったと思ってる」


 由紀子は何も言わなかった。


「……でも、あの人がしたことを、仕方なかったとは思わない」


 美月の声が、少しだけ震えた。


「勝手に家を調べられて、学校の近くに来られて……本当に怖かった」


「…………」


「もう、あんな思いはしたくない」


 美月はノートを両手で押さえた。


「……だから、変えようと思ってる」


 由紀子が眉を寄せる。


「……何を?」


「……配信のやり方」


 美月はノートを開いたまま、母親の方へ向けた。


「制服では配信しない。学校とか、家の場所が分かるようなものも映さない」


「…………」


「部屋の背景もちゃんと確認する。外にいる場所を、その場で教えたりもしない」


 美月は一つずつ、書いた内容を説明した。


「知らない人から個人的に連絡が来ても、返事をしない。何か変なことがあったら、一人で抱え込まない」


 由紀子はノートへ目を落とした。


 そこには、美月の字でいくつもの決まり事が書かれていた。


「……それから」


 美月は少しだけ言いにくそうに続けた。


「数字のためだけに、無理な服を選ぶのもやめる」


「…………」


「……私、今までのやり方を全部そのまま続けたいわけじゃない」


 美月は母親を見た。


「ちゃんと考えて、変えたいの」


 由紀子は、しばらくノートを見つめていた。


 そして、静かに尋ねた。


「……それで、今度は絶対に安全だと言えるの?」


 美月は首を横に振った。


「……絶対とは言えない」


「……でしょうね」


「……でも」


 美月は、母親の言葉が続く前に口を開いた。


「だから何もしないって、決めたくない」


「…………」


「怖い思いをしたから、全部諦めなきゃいけないって……そうは思いたくないの」


 美月は、ノートを見つめた。


「まだ分からないことも、いっぱいある」


「…………」


「配信でどれくらい稼げるのかとか、生活するのにいくら必要なのかとか……ちゃんと考えたことなかった」


 少しだけ、苦笑する。


「……お母さんが心配するのも、分かる」


 由紀子は、娘を見つめていた。


「でも、分からないなら勉強したい」


 美月は続けた。


「自分で調べて、考えて……ちゃんと責任を持てるようになりたい」


「…………」


「……今までと同じやり方でいいなんて、思ってない」


 美月は顔を上げた。


「でも……配信を続けたいって気持ちは、変わらない」


 由紀子は、すぐには答えなかった。


 美月は、今度は父親へ顔を向けた。


「……お父さん」


「……うん?」


「……私、お父さんの会社が嫌なわけじゃないよ」


 父親は黙って聞いていた。


「でも……私、一度も高瀬興産に入りたいって言ったことない」


「…………」


「言わなかったのは、私も悪かったと思う」


 美月は少し俯いた。


「どうせ反対されるって思ってたから……何も言わなかった」


 そして、顔を上げる。


「……でも、本当は自分で選びたかった」


 父親は、少し考え込むように視線を落とした。


「……そうか」


 短く答える。


「お父さんは、美月が会社に来ることに納得しているものだと思っていた」


「……うん」


「そうだな……確かに、直接そうすると聞いたことはなかったかもしれない」


 父親は、隣の妻へ顔を向けた。


「……由紀子」


「…………」


「私も、美月が会社に来ることには賛成だった。だが、それは本人もそのつもりだと思っていたからだ」


 由紀子は黙っていた。


「仕事にするなら、厳しいことも考えなければならない。それは変わらない」


 父親は美月を見た。


「だが……美月がここまで考えていたことは、今日初めて知ったよ」


「……お父さん」


 父親は小さく頷いた。


「……そういう話なら、私たちも考え直す必要があるかもしれないな」


 由紀子は、隣の夫を見た。


「……あなたまで、そんなことを言うの?」


「美月の話を、ようやく聞けたんだ」


 父親は静かに答えた。


「すぐに賛成できるかどうかは別として、一度考えてみてもいいんじゃないか」


「…………」


 由紀子は何も言わなかった。


 視線を落とす。


 娘のノート。


 そこに並ぶ、不器用な文字。


 今まで自分が知らなかった、美月の考え。


 配信をしていたことさえ知らなかった。


 親に隠れて、危険なことをしていた。


 そう思っていた。


 けれど。


 この子は、ただ遊んでいたわけではなかったのだろうか。


 由紀子は、ゆっくりと息を吐いた。


 もちろん、不安が消えたわけではない。


 配信で生活していくなど、今でも簡単に認められることではない。


 将来の見通しが立たない仕事に、娘を送り出していいのか。


 もし失敗したら。


 もし、また同じような危険な目に遭ったら。


 考えれば考えるほど、心配は尽きなかった。


「…………」


 由紀子は、凛へ目を向けた。


 若い教師は、何も言わずに待っていた。


 先ほどまで、自分はこの教師へ怒りをぶつけていた。


 間違っていると言われたことが、どうしても許せなかった。


 けれど。


 娘がここまで話している間、凛は一度も口を挟まなかった。


 ただ、聞いていた。


 由紀子は、もう一度美月を見た。


 娘もまた、黙って母親の返事を待っていた。


 その表情には、不安があった。


 けれど、目は逸らしていなかった。


「……美月」


「……はい」


 由紀子は、少しだけ目を伏せた。


「……三年」


「……え?」


「三年間だけ」


 美月が目を見開く。


 由紀子は、ゆっくりと顔を上げた。


「……高校を卒業してから、三年間だけ好きにしなさい」


「…………」


「ただし」


 由紀子の声が、少し強くなった。


「三年たっても、あなたのその『好き』が生活を支えられるものになっていなければ……そのときは容赦しないわよ」


 美月は、母親を見つめたまま動かなかった。


「……お母さん……」


「勘違いしないで」


 由紀子は続けた。


「私は、まだ賛成したわけじゃない」


「…………」


「配信を仕事にすることが、どれほど大変なのかも、あなたはこれから知ることになるでしょう」


 由紀子はノートを指さした。


「それに、そこに書いたことは、全部守りなさい」


「……うん」


「学校のことも、今までどおりきちんとすること。卒業するまでは、学生としての責任を果たしなさい」


「……うん」


「それから、生活していくためのお金のことも、きちんと考えるのよ。三年間、何もかも私たちが面倒を見るという意味ではありませんからね」


「……分かってる」


 美月は頷いた。


 由紀子は、最後にもう一度だけ念を押した。


「……それでも、やりたいのね?」


 美月は、まっすぐ母親を見た。


「……うん」


 少しだけ声が震えた。


 けれど、今度は俯かなかった。


「……やりたい」


 由紀子は、その顔を見つめていた。


 そして、小さく息を吐いた。


「……そう」


 美月の目に、涙が浮かんだ。


「……ありがとう、お母さん」


「……お礼を言うのは、まだ早いわよ」


 由紀子は少しだけ顔を背けた。


「三年後、ちゃんと結果を見せなさい」


「……うん!」


 美月は涙を拭いながら、大きく頷いた。


 父親も、少しだけ表情を緩めた。


「……美月」


「……お父さん」


「自分で選んだ道なら、簡単に投げ出さないことだ」


「……うん」


「……頑張りなさい」


 美月は、もう一度頷いた。


「……ありがとう」


 凛は、そのやり取りを静かに見守っていた。


 美月の言葉を、最後まで聞いてもらえた。


 そして、美月自身が選んだ。


 そのことが、何より嬉しかった。


     ◇


 四者面談が終わった頃には、窓の外が夕暮れに染まり始めていた。


 美月はノートを鞄へしまい、椅子から立ち上がった。


「……先生」


『ん?』


「……ありがとうございました」


 美月は深く頭を下げた。


 凛は笑った。


『……私は、話を聞いていただけだよ』


「……でも」


 美月は、少しだけ笑った。


「……先生がいてくれたから、ちゃんと話せました」


 凛は、静かに頷いた。


『……そうか』


 そして、美月をまっすぐに見た。


『だが、最後まで話したのは美月自身だ。よく頑張ったな』


「……はい」


 美月は、嬉しそうに笑った。


 父親が、凛へ頭を下げた。


「山本先生。本日はありがとうございました」


『いえ。こちらこそ、お時間をいただきありがとうございました』


「……娘のこと、改めて考える機会になりました」


 父親は、隣の美月を見た。


「私たちも、知らないことが多かったようです」


 凛は頷いた。


『……はい。私も、まだまだ学ぶことばかりです』


 そのとき。


「……山本先生」


 由紀子が口を開いた。


『はい』


 凛が顔を向ける。


 由紀子は、少しだけ間を置いた。


「……今回の件について、先生の対応に納得できない部分がなくなったわけではありません」


『……はい』


「ですが……」


 由紀子は、一度美月を見た。


 そして、凛へ向き直った。


「今日、娘の話を聞くことができたのは、先生のおかげでもあります」


 凛は、何も言わずに聞いていた。


「……山本先生」


 由紀子は、ゆっくりと頭を下げた。


「娘のこと、これからもよろしくお願いします」


 凛は、背筋を伸ばした。


『……はい!』


 そして、深く頭を下げる。


『私も、まだ勉強中ですが……美月と一緒に、頑張っていきます』


 由紀子は小さく頷いた。


「……お願いいたします」


 美月は、母親と凛を交互に見つめていた。


 少し前まで、同じ部屋で激しく言葉をぶつけ合っていた二人。


 その二人が、今は静かに頭を下げ合っている。


 美月は、胸の奥が温かくなるのを感じた。


     ◇


 その日の夜。


 凛は、自室の机に向かっていた。


 いつものノートを開く。


 ペンを手に取り、今日の日付を書いた。


《七月二十一日。》


《今日、美月が初めて、自分の未来を両親に話した。》


《その声は震えていた。》


《けれど、最後まで自分の言葉で話していた。》


 凛は、少しだけペンを止めた。


 由紀子の怒り。


 美月の不安。


 父親の驚き。


 そして、四人で交わした言葉。


 あの場にいた誰も、最初から正しい答えを持っていたわけではない。


 自分も、そうだ。


 凛は、再びペンを走らせた。


《私はまだ、誰かを守るということの正しい答えを知らない。》


《だから、これからも学んでいこうと思う。》


《あの子たちと、一緒に。》


 凛はペンを置いた。


 ノートを閉じ、窓の外を見る。


 夜の街に、いくつもの明かりが灯っていた。


 美月は、これから自分で選んだ道を歩き始める。


 きっと、楽しいことばかりではないだろう。


 悩むことも、失敗することもあるはずだ。


 それでも。


 今日、あの子は自分の言葉で未来を選んだ。


 凛は小さく笑った。


『……頑張れよ、美月』


 その声は、静かな部屋に溶けていった。

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