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第六十三話「消せない足跡」

 二〇二六年(令和八年)六月二十三日、火曜日。


 都立桜丘高校、三年四組。


「ねえ美月、昨日の数学の課題やった?」


「やったよ!」


「マジ? 最後の問題分かった?」


「……えへへ」


「……その笑い方、絶対分かってないじゃん」


「あはは! 途中まではできたんだけど!」


 莉子は呆れたように笑った。


「あとで見せて。あたしも最後だけ怪しくてさ」


「うん!」


 美月は嬉しそうに頷いた。


 金曜日の口論から、まだ数日しか経っていない。


 けれど、昨日きちんと話ができたおかげで、二人は以前のように笑い合えるようになっていた。


 そこへ、悠真が近づいてきた。


「……美月、ちょっといい?」


「ん? どうしたの?」


「……これ、見てほしいんだけど」


 悠真はスマートフォンを差し出した。


 画面には、制服姿で笑う美月が映っている。


「……あれ?」


 美月が首を傾げた。


「これ、木曜日の配信?」


「うん」


「……でも、私が投稿した動画じゃないよ?」


「そう。別のアカウントが上げてる」


「……え?」


 美月は画面に顔を近づけた。


 短く編集された映像。


 制服姿で視聴者と話している、自分の姿。


 投稿者の名前には、見覚えがなかった。


「……誰、この人」


「分かんない。昨日、たまたま流れてきてさ」


 悠真は画面を操作した。


「……問題は、こっち」


 コメント欄が表示される。


《かわいい!》


《この子最近よく見る》


《本物の制服なんだ》


《どこの高校?》


 そして。


《これ、桜丘高校じゃね?》


「…………」


 美月の表情が固まった。


「……え?」


 もう一度、文字を見る。


《これ、桜丘高校じゃね?》


「……何、これ」


 声が小さくなった。


「……私、学校の名前なんて言ってないのに」


「うん。それは分かってる」


 悠真が答えた。


「たぶん、制服見て言ってるんだと思う」


「…………」


 美月は自分の制服姿を見つめた。


 木曜日。


 みんなが喜んでくれると思って、初めて制服で配信した。


 学校名を聞かれても、答えなかった。


 だから、大丈夫だと思っていた。


「……こんなの、あるんだ」


 美月は呟いた。


 隣で画面を見ていた莉子も、表情を引き締めた。


「……悠真、これ、いつから上がってるの?」


「昨日見つけたときには、もう結構再生されてた」


「……そっか」


 莉子は少し考えた。


 そして、美月へ顔を向ける。


「……美月。これ、先生に見せよ」


「……先生?」


「うん。あたしたちだけで何とかしようとするより、その方がいいと思う」


「…………」


 美月は画面を見つめた。


「……うん」


 小さく頷く。


「……そうする」


     ◇


「……どうしたの?」


 そのとき、結衣が近づいてきた。


 隣には茜もいる。


「みんなで何見てるの?」


 茜が覗き込んだ。


 莉子は一瞬迷ったあと、悠真へ目を向けた。


「……見せてもいい?」


「うん」


 悠真が画面を二人へ向ける。


 結衣は動画を見て、すぐに美月へ視線を移した。


「……美月ちゃん、これ……」


「……うん。誰かが勝手に上げてたみたい」


 悠真が学校名の書かれたコメントを示す。


「……えっ」


 結衣の表情が変わった。


「……これ、本当に知らない人が書いたの?」


「分かんない。でも、少なくとも俺が知ってるアカウントじゃない」


「…………」


 結衣は美月を見た。


「……美月ちゃん、大丈夫?」


「……うん」


 美月は頷いた。


 けれど、その声には力がなかった。


「……ちょっと、びっくりしちゃった」


「……そっか」


 結衣は、それ以上無理に聞こうとしなかった。


 ただ、美月の隣に立った。


 一方、茜は画面を見つめていた。


「……すごい」


「……何が?」


 莉子が尋ねる。


「……再生回数」


 茜は画面の数字を指した。


「こんなに見られてるんだ」


「……だから怖いんじゃん」


 莉子が答える。


「美月が知らないところで、こんなに広まってるってことだから」


「……うん、そうだよね」


 茜は頷いた。


「……美月、大丈夫?」


「……うん。ありがとう、茜ちゃん」


 美月は小さく笑った。


 茜も笑みを返した。


 けれど、視線はもう一度、スマートフォンの画面へ戻った。


 これだけの人が、たった一人の女子高生を見ている。


 美月が特別な才能を披露しているわけではない。


 制服姿で、いつものように話しているだけ。


 それなのに。


「…………」


 茜は再生回数から目を離した。


 美月のことが心配なのは、本当だった。


 ただ、その数字が、妙に頭に残っていた。


     ◇


 昼休み。


『……なるほど』


 山元凛は、悠真が差し出したスマートフォンを見つめていた。


 そこには、木曜日の美月の配信が映っている。


 そして、学校名を推測するコメント。


『……これが、お前たちの言っていた切り抜きというものか』


「はい」


 悠真が頷いた。


「元の配信を短く編集して、別の人が投稿してるみたいです」


『……本人が投稿したものではないんだな』


「はい」


 凛はもう一度画面を見た。


 見覚えのある制服。


 見覚えのある教え子の顔。


 その下に並ぶ、知らない人々の言葉。


『……美月』


「……はい」


『怖かっただろう』


「…………」


 美月は少し迷ってから頷いた。


「……はい」


『学校名を自分から教えたわけではない。それは分かっている』


「……はい」


『昨日も話したが、こういうことが起こり得るんだな』


 凛はスマートフォンを悠真へ返した。


 正直なところ、分からないことが多い。


 動画を投稿した人物が誰なのか。


 どれだけの人が見たのか。


 このコメントが、どこまで広がっているのか。


 けれど、分からないからといって、そのままにするわけにはいかなかった。


『悠真。この投稿は、あとからでも確認できるのか?』


「はい。URLを控えてます」


『……そうか。助かる』


 凛は頷いた。


「先生」


 莉子が口を開く。


「こういう動画って、通報とか削除の申し立てとか、できると思うんです」


『……削除の申し立てか』


「はい。でも、本人じゃないとできない手続きもあるかもしれないし、詳しいことは調べないと分からないですけど」


『……なるほど』


「あと、消える前にコメントとか残しといた方がいいと思います」


 悠真も頷いた。


「俺、昨日の時点のスクショは撮ってあります」


『……分かった』


 凛は手帳を取り出した。


『まず、学校としてどう対応できるか確認する。管理職にも相談しよう』


 美月が顔を上げた。


「……そんなに大きな話になりますか?」


『……心配か?』


「……ちょっと」


 凛は少し考えた。


『学校の名前が出ている以上、私一人で判断するより、詳しい先生方とも情報を共有した方がいいと思う』


「…………」


『ただし、必要以上に大勢へ話すつもりはない。お前のことだからな』


「……はい」


 美月は小さく頷いた。


 結衣が隣から声をかける。


「……美月ちゃん。私たちもいるから」


「……うん」


 美月は結衣を見た。


「ありがとう、結衣ちゃん」


 凛は五人を見渡した。


『それから、みんなにもお願いがある』


「……はい」


『こういう投稿を見つけても、勝手に書き込んだり、相手に連絡したりはしないでほしい』


 悠真が頷いた。


「俺も、返信しようかと思ったんですけど、やめました」


『……そうか』


「変に反応したら、逆に学校名が本当だって分かっちゃうかもしれないし」


『……なるほどな』


 凛は感心したように頷いた。


『よく考えたな』


「……いや、何となくですけど」


 悠真は少し照れくさそうに笑った。


『その何となくが、大事なこともある』


 凛は美月へ視線を戻した。


『美月。もしまた何か見つけたり、知らない人から気になる連絡が来たりしたら、必ず知らせてくれ』


「……はい」


『一人で何とかしようとしなくていい』


 美月は小さく頷いた。


「……分かりました」


     ◇


 放課後。


 凛は職員室で、生徒指導担当の教師と話していた。


 机の上には、悠真から共有された投稿の情報がある。


「……なるほど。制服の切り抜きですか」


『はい。学校名を推測するコメントも書き込まれています』


「本人が学校名を出したわけではないんですね?」


『ええ。美月にも確認しました』


 教師は頷いた。


「まずは、今ある投稿を記録しておきましょう。URLと日時、問題のコメントが分かるように」


『……はい』


「それから、動画が投稿されているサービスの規約を確認して、削除申請ができるか調べます」


『お願いします』


「ただ、申し立てたからといって、必ず消せるとは限りません」


『……そうですか』


「転載されている場合もありますからね」


 凛は手元の資料へ目を落とした。


 画面の中の映像が、別の人間の手で広がっていく。


 それを完全に止めるのは、簡単ではないらしい。


 凛は少し考えた。


『……美月自身にも、今の公開情報を確認してもらった方がいいでしょうか』


「そうですね。ただ、責めるような聞き方にはならないようにしましょう」


『……はい』


「学校や自宅につながる情報が、ほかに出ていないか。本人と確認することは大切です」


 凛は頷いた。


『分かりました』


 その後、管理職にも状況を報告した。


 現時点で、直接的な被害やつきまといの事実は確認されていない。


 ただし、今後気になることが起きた場合には、すぐに情報を共有し、必要な対応を取ることになった。


 話し合いを終えた凛は、自分の席へ戻った。


 手帳を開く。


 美月の名前の下に、今日確認したことを書き足す。


 投稿の記録。


 削除申請の確認。


 公開情報の見直し。


 今後の連絡方法。


『…………』


 凛はペンを止めた。


 昨日、美月は言っていた。


 配信は続けたい、と。


 その気持ちは、今も変わっていないはずだ。


 だからこそ、できることを考えたい。


 凛はもう一度ペンを取り、最後の一行を書き足した。


 ――本人の希望を確認する。


     ◇


 同じ日の夜。


 美月は自室の机に向かっていた。


 目の前には、スマートフォン。


 画面には、次回の配信予定が表示されている。


 六月二十五日、木曜日。


 午後九時。


 いつもなら、次は何を話そうかと考えている時間だった。


 けれど、今日は少し違う。


「…………」


 美月はスマートフォンを手に取った。


 土曜日の配信を思い出す。


 お気に入りのブラウスを着て、いつものように話した。


 映画のこと。


 お菓子のこと。


 何でもない日常のこと。


 登録者数は、二万七千六百人まで減った。


 それでも、楽しかった。


 またみんなと話したいと思った。


 その気持ちは、今も変わらない。


 ただ。


「……ちょっと、怖いな」


 美月は小さく呟いた。


 自分の知らない誰かが、自分の動画を持っている。


 その動画を、知らない人たちが見ている。


 学校を調べようとしている人までいる。


 もし、配信中にまた何かを聞かれたら。


 もし、知らないうちに別の情報まで広まっていたら。


「…………」


 美月はしばらく考えた。


 そして、配信予定の画面を閉じた。


 告知文を入力する。


《次回の木曜日の配信は、お休みさせていただきます。また楽しくお話しできるようになったら、お知らせします!》


 文章を読み返す。


 少し迷ったあと、投稿した。


「…………」


 しばらくすると、反応が届き始めた。


《了解!》


《ゆっくり休んでね》


《また待ってるよ》


《無理しないで!》


 美月は、その言葉を見つめた。


「……ありがとう」


 自然と小さな笑みが浮かんだ。


 もちろん、残念がる人もいるだろう。


 登録者数も、また減るかもしれない。


 けれど。


 土曜日のように、楽しく話せる時間をまた作りたい。


 だから、今は少し休もう。


 美月はLINEを開いた。


《莉子ちゃん、今日いろいろありがとう》


 少しして、返信が届く。


《全然。何かあったら言って》


 美月は小さく笑った。


《うん!》


 続けて、結衣にもメッセージを送った。


《結衣ちゃんも、今日はありがとう》


《ううん。いつでも話してね》


《ありがとう!》


 美月はスマートフォンを置いた。


 木曜日は、配信をしない。


 けれど、それはもう配信をしないという意味ではなかった。


     ◇


 同じ頃。


 藤原悠真は、自室でスマートフォンを操作していた。


 昨日見つけた動画の投稿を、もう一度確認する。


「……あれ?」


 おすすめ欄に、見覚えのある映像が表示された。


 制服姿の美月。


 しかし、投稿者の名前が違う。


「……また上がってるじゃん」


 悠真は動画を開いた。


 昨日とは別のアカウント。


 同じ配信から切り抜かれた、少し違う場面。


 コメント欄を確認する。


《この子かわいい》


《学校の制服?》


《桜丘高校って東京の?》


《制服似てるな》


《同じ学校の人いる?》


「…………」


 悠真は画面を見つめた。


 昨日の投稿だけではなかった。


 別の場所でも、学校名が話題になっている。


 しかも、最初の投稿が消えたわけではない。


「……マジかよ」


 悠真は新しい投稿のURLを控えた。


 コメントの内容が分かるように、画面も記録する。


 今日、凛から言われたことを思い出した。


 勝手に書き込まない。


 相手に連絡しない。


 何か見つけたら知らせる。


 悠真は凛に報告するため、必要な情報を整理した。


 その途中、美月の配信休止の告知が目に入った。


《次回の木曜日の配信は、お休みさせていただきます。また楽しくお話しできるようになったら、お知らせします!》


「…………」


 悠真は、もう一度切り抜き動画へ目を戻した。


 そこには、制服姿で笑う美月がいた。


 本人は、次の配信を休むことにした。


 けれど、その決断とは関係なく、動画は別の場所へ広がっていた。


 悠真は新しい投稿の記録を保存し、スマートフォンの画面を閉じた。

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