第五十八話「届かない心配」
二〇二六年(令和八年)六月十九日、金曜日。
都立桜丘高校、三年四組。
「美月! 昨日、二万八千いったんでしょ!?」
朝の教室で、三浦茜が声を上げた。
「……う、うん!」
高瀬美月が頷く。
「配信が終わる頃に、ちょうど二万八千人になって……」
「やばっ! 四千人以上増えたってこと!?」
「うん……自分でもびっくりしちゃった」
「すごくない!? もう三万人じゃん!」
「まだ二千人もいるよ!」
「いや、もう誤差でしょ!」
「誤差じゃないよぉ!」
二人が笑うと、周りの生徒たちも会話に加わった。
「昨日の配信、結構話題になってたよな」
「俺もおすすめに出てきた」
「もう普通に有名人じゃん」
「そ、そんなことないです!」
美月は慌てて両手を振った。
そんな様子を、橘莉子は自分の席から見ていた。
昨日の夜、莉子は美月へLINEを送った。
――ちょっと気になることあったから、明日話そ。
美月はすぐに返事をくれた。
だから、今日はきちんと話そうと思っていた。
ただ、朝からこんなに盛り上がっているとは思わなかった。
「いやー、でも制服ってすごいね」
茜が何気なく言った。
「いつも着てるやつなのに、あんなに人来るんだもん」
「……うん。私も、あんなに反応してもらえるとは思わなくて」
美月は嬉しそうに笑った。
「みんな、すごく喜んでくれて……」
「……ねえ、美月」
莉子が口を開いた。
「ん? どうしたの、莉子ちゃん?」
「昨日の配信のことなんだけどさ」
「あっ、LINEくれたよね!」
美月が頷いた。
「心配してくれてありがとう。学校名とかは言わないようにしてたから――」
「……それは分かってる」
莉子は美月の言葉を遮った。
「でもさ、何で制服だったの?」
「……え?」
「何で、昨日は制服にしたの?」
美月は少し考えた。
「……いつもと違う服にしたかったから、かな」
「……それだけ?」
「うん。あとは……」
美月は照れくさそうに笑った。
「最近、衣装を変えると喜んでもらえることが多かったから」
「…………」
「でも、まさかあんなに人が来てくれるとは思わなかったよ」
美月はスマートフォンを取り出した。
「ほら、昨日の切り抜きも、もう結構再生されてて――」
「……コメント、見た?」
莉子が尋ねた。
「……うん?」
「その切り抜きのコメント」
「……少しは見たよ?」
「何て書いてあった?」
美月はスマートフォンの画面を見た。
「えっと……制服似合ってるとか、かわいいとか……」
「……それだけじゃないでしょ」
美月の手が止まった。
「……莉子ちゃん?」
「制服だから見に来たってやつ、めっちゃいたじゃん」
「……うん。それは、そうだけど……」
「本物の女子高生だからいいとか、そういうコメントもあったでしょ?」
美月は莉子を見た。
「……何が言いたいの?」
その問いに、莉子は一瞬だけ黙った。
昨日、茜へ電話したときのことを思い出す。
あの配信を見て、ぞっとした。
美月が普段着ている制服に、知らない大人たちが次々と反応していた。
しかも、美月はその反応を喜んでいた。
「……美月さ」
莉子はゆっくり口を開いた。
「最近、数字のことばっか気にしてない?」
「……え?」
「登録者増えるのはいいけど、何か、どんどん違う方向に行ってる気がすんだよね」
「……違う方向?」
「うん」
莉子は美月を見た。
「美月、あんたはなでしこのファンが欲しいの? それともエロい格好した女子高生のファンが欲しいの?」
「…………え?」
美月の笑顔が消えた。
近くにいた生徒たちも、会話を止めた。
「……莉子ちゃん」
「だって、そういう人たちが増えてんじゃん」
「……何、それ」
美月の声が小さくなった。
「私が……そういう人たちを集めたいって思ってるってこと?」
「いや、そうじゃなくて――」
「そんなこと、思ってない!」
美月が声を上げた。
莉子も言葉を止めた。
「私、ただ……みんなに楽しんでもらいたくて……!」
「それは分かってるって!」
「分かってないよ!」
美月はスマートフォンを握りしめた。
「私だって、ずっと頑張ってきたんだよ!?」
「……美月」
「配信の準備だってしてるし、コメントもできるだけ読んでるし……!」
声が少し震える。
「それなのに、制服着ただけで変な人集めてるみたいに言わないでよ!」
「……だから、あたしは心配して――」
「そんな言い方されたら、心配してくれてるなんて思えない!」
教室が静まり返った。
茜は二人を交互に見た。
「……ちょ、ちょっと二人とも」
けれど、声をかける隙がなかった。
「……じゃあ、美月はあのコメント見て何とも思わなかったの?」
「全部読めるわけないでしょ!」
「だから危ないって言ってんじゃん!」
「危ないって……何が!?」
「何がって――!」
『莉子!』
鋭い声が響いた。
教室の入口に、山元凛が立っていた。
ホームルームのために来たところだった。
『言い方を考えろ!』
「……先生」
莉子が振り返った。
凛は二人のもとへ歩み寄った。
『大勢の前で、美月に向ける言葉ではないだろう』
「……でも先生、あたしは!」
『話は聞く。だが、まず落ち着きなさい』
「…………」
莉子は唇を結んだ。
凛は美月へ顔を向けた。
『美月。大丈夫か?』
「…………はい」
美月は俯いた。
「……大丈夫です」
その声は、あまり大丈夫そうには聞こえなかった。
凛は一度、教室を見回した。
『もうすぐホームルームだ。皆、席に戻ってくれ』
生徒たちは、互いに顔を見合わせながら席へ戻った。
美月もスマートフォンを鞄にしまった。
莉子は何か言いかけたが、結局黙って自分の席へ向かった。
水瀬結衣は、その様子を少し離れた場所から見ていた。
藤原悠真が、隣で小さく息を吐く。
「……結構、言い合ってたな」
「……うん」
結衣が答えた。
「……でも、橘さんの言いたいことも、少し分かる」
「……ああ」
悠真は美月の方を見た。
「学校の制服、そのまま出してたんだろ?」
「……うん」
「それは、ちょっと怖いよな」
結衣は頷いた。
しかし、美月の俯いた姿を見ると、それ以上は何も言えなかった。
◇
朝のホームルームが始まった。
凛は出席を確認し、連絡事項を伝えた。
教室はいつもどおりの静けさを取り戻していた。
けれど、美月と莉子が一度も目を合わせなかったことに、凛は気づいていた。
莉子が口にした言葉。
――エロい格好した女子高生のファンが欲しいの?
凛は、月曜日の放課後を思い出していた。
莉子と結衣が、美月の配信について心配していると話してくれた。
変なコメントが増えている。
見ている人たちの目的が変わってきている気がする。
そのときは、まだ十分に理解できなかった。
単に失礼な言葉を書き込む者がいるのだと思っていた。
しかし、今朝の莉子の言葉には、それだけではない不安があった。
美月が高校生であること。
その制服を着ていること。
それ自体を目当てに近づく人間がいるということか。
凛は出席簿を閉じた。
『……以上だ。今日も一日、しっかりやろう』
生徒たちが返事をする。
凛は教室を出る前に、もう一度莉子へ目を向けた。
莉子は机の上を見つめていた。
◇
昼休み。
美月は、いつもより静かだった。
茜が隣へ椅子を持ってくる。
「……美月」
「……ん?」
「朝のこと、あんま気にしない方がいいよ」
「…………」
「莉子も、悪気があったわけじゃないと思うし」
美月は小さく頷いた。
「……うん」
しかし、しばらくして口を開いた。
「……でも、びっくりした」
「……うん」
「莉子ちゃん、あんなふうに思ってたんだって」
茜は言葉を探した。
「……まあ、あいつ心配しすぎなとこあるからさ」
「…………」
美月は弁当箱の蓋を閉じた。
「……私、そんなに変わったかな」
「……え?」
「配信、最初の頃と違うのかなって」
茜は少し黙った。
昨日の夜、莉子から電話が来たときのことを思い出す。
制服を着ている女子高生というだけで、人が集まる。
そんなことを、初めて意識した。
美月が数字を喜んでいる理由も分かる。
けれど、莉子が不安になる理由も、今なら少し分かる。
「……変わったっていうか」
茜はゆっくり言った。
「見てる人が、めっちゃ増えたじゃん」
「……うん」
「だから、前とは違うこともあるんじゃない?」
美月は顔を上げた。
「……そっか」
「でも、美月が頑張ってたのは知ってるよ」
「…………」
「それは、莉子だって知ってると思う」
美月は少しだけ笑った。
「……ありがとう、茜ちゃん」
茜も笑い返した。
けれど、教室の反対側にいる莉子の方を見ると、その笑顔は少し曖昧になった。
◇
放課後。
『……莉子』
帰り支度をしていた莉子が顔を上げた。
「ん?」
凛が机のそばに立っていた。
『今朝のことだが、少し話を聞かせてもらえるか』
「……あー、うん」
『美月の配信について、お前が何を心配しているのか、もう少し詳しく知りたい』
「…………」
莉子は鞄の持ち手を握ったまま、少し考えた。
「……んー」
『どうした?』
「あたしさ、こういうの、上手く伝えられるか分かんないんだよね」
『……そうか』
「だからさ……」
莉子は教室の入口へ目を向けた。
「水瀬も呼んでくれない?」
『……結衣を?』
「うん」
莉子は頷いた。
「あいつなら、あたしが言いたいこと、ちゃんと説明できると思うから」
凛は莉子を見た。
水瀬結衣。
かつて莉子と親しかったが、今は以前のような関係ではない生徒。
その結衣を、莉子が自分から呼んでほしいと言っている。
『……分かった。結衣にも話を聞こう』
「……ありがと」
莉子は小さく答えた。
◇
放課後の空き教室。
莉子は窓際の席に座っていた。
凛が廊下から戻ってくる。
その後ろには、結衣がいた。
「……橘さん?」
結衣が足を止めた。
「……よ、水瀬」
莉子は軽く手を上げた。
結衣は莉子と凛を交互に見る。
『結衣。急に呼んですまないな』
「いえ……」
『莉子が、お前にも話を聞いてほしいと言ってな』
「……え?」
結衣は莉子を見た。
「……私に?」
「うん」
莉子は少しだけ視線を逸らした。
「あたし一人じゃ、上手く説明できそうになくてさ」
「…………」
「水瀬なら分かるかなって」
結衣は一瞬、目を見開いた。
そして、静かに頷いた。
「……うん。分かった」
凛が椅子を勧める。
『座ってくれ。二人とも』
「はい」
結衣は莉子から一つ席を空けて座った。
凛は向かいの椅子を引いた。
『まず、莉子』
「……うん」
『今朝の言葉は、美月を傷つけた。そこは分かっているな』
「……うん」
莉子は俯いた。
「……ちょっと、言いすぎた」
『ああ』
凛は頷いた。
『だが、お前がただ美月を責めたかったわけではないことも、分かっているつもりだ』
「…………」
『だから、改めて聞かせてほしい。お前たちは何を心配している?』
莉子は少し考えた。
「……先生さ」
『ん?』
「ネットの特定って、今どんだけ早いか知ってる?」
『……いや。正直に言えば、詳しくない』
「だよね」
莉子はスマートフォンを取り出した。
「昨日、美月が着てたの、うちらの学校の制服じゃん」
『……ああ』
「学校名は言ってないって言ってたけど、あれ見て学校分かる人なんて普通にいるでしょ」
『……制服だけでか?』
「うん。全然ある」
莉子は画面を見ながら続けた。
「しかも、一人が気づいたことをネットに書いたら、ほかの人にも広まるじゃん」
『……なるほど』
「美月が知らないところで学校の名前とか出されたら、もう自分じゃどうしようもなくなるし」
凛は結衣を見た。
『結衣はどう思う?』
「……私も、そこが心配です」
結衣は少し姿勢を正した。
「今は、一つの投稿が短い時間でたくさんの人に見られることがあります」
『……ああ』
「それに、美月さんは切り抜き動画を許可していますよね」
『そう聞いている』
「だから、元の配信を消したとしても、別の場所に投稿された動画まで全部消せるとは限りません」
凛は眉を寄せた。
『……一度出したものを、取り消せない場合があるということか』
「はい」
結衣が頷く。
「学校が分かるような情報も、本人が直接話したことだけとは限りません」
『…………』
「だから、学校名を言わなければ大丈夫、とは言い切れないと思います」
「……そう、それ!」
莉子が思わず声を上げた。
結衣が顔を向ける。
「……え?」
「それ言いたかったんだよ、あたし!」
莉子は少し身を乗り出した。
「美月、学校名言ってないから大丈夫って言ってたじゃん。でも、そういうことじゃないんだよね」
「……うん」
結衣が小さく頷いた。
「……私も、そう思う」
莉子は一度、安心したように笑った。
結衣も、つられて少し笑った。
そして二人は、ふと互いの顔を見た。
「…………」
「…………」
莉子が先に視線を逸らした。
「……まあ、そんな感じ」
結衣も小さく頷き、膝の上へ手を戻した。
凛は二人の様子を見てから、莉子へ尋ねた。
『それだけではないのだろう?』
「……え?」
『月曜日にも、最近の配信の雰囲気が変わってきたと言っていたな』
「……ああ」
莉子は少し黙った。
それから、ゆっくり口を開いた。
「……あたし、美月の配信好きなんだよね」
『……ああ』
「最初の頃、見てる人が少なくても、あいつずっと楽しそうだったじゃん」
莉子は机に置いたスマートフォンへ目を落とした。
「コメント一個来ただけでめっちゃ喜んでさ。何でもない話で笑って」
『……うん』
「でも最近、何着たら登録者増えるか、そっちばっか気にしてる気がする」
結衣も黙って聞いていた。
「別にさ、好きな服着ればいいと思うんだよ」
莉子は続けた。
「メイド服も、夏服も、あいつが着たいなら着ればいいし」
『……ああ』
「でも……」
莉子は少し眉を寄せた。
「変なやつらが喜ぶからって、それに合わせるようになったら……何か嫌じゃん」
『…………』
「昨日の配信、制服見て喜んでるやつめっちゃいたし」
莉子は顔を上げた。
「普通にかわいいって思ってる人もいるよ。でも、女子高生だからってだけで騒いでるやつもいてさ」
『……うん』
「あたし、そういうのが気持ち悪いんだよね」
莉子は短く息を吐いた。
「美月が何話してるかなんて、どうでもよさそうなやつらが増えてんの」
『…………』
「それで、あいつが喜んでるの見てると……」
言葉が止まった。
莉子は少し考えた。
「……いや、違うな」
『……どうした?』
「あいつが喜ぶのは、別にいいんだよ」
莉子は首を振った。
「頑張ってたんだし。人が増えたら嬉しいの、当たり前じゃん」
『……そうだな』
「でもさ……」
莉子は机の端を指でなぞった。
「美月が何したいかより、そういうやつらが何を見たいかの方が大事になっちゃったら……」
結衣が静かに口を開いた。
「……最初にやりたかったことから、離れてしまうかもしれませんね」
莉子が顔を上げた。
「……そう」
結衣は続けた。
「私は、美月さんが配信をやめた方がいいとまでは思いません」
『……うん』
「でも、登録者が増えたことで、今までと違う視聴者も来ていると思います」
『……ああ』
「その人たちが何を求めているのか、美月さん自身がまだ十分に分かっていないのかもしれません」
莉子が何度も頷いた。
「……そう、それなんだよ」
結衣は少しだけ莉子を見た。
「……橘さんが言いたかったのは、そういうこと?」
「うん」
莉子は頷いた。
「あとさ、もし何かあってからじゃ遅いじゃん」
『…………』
「今はまだ、ただコメントしてるだけかもしんないけど。学校まで分かったら、どうなるか分かんないし」
凛は二人の顔を見た。
ネットに投稿された映像が、本人の知らない場所へ広がっていく。
その映像を誰が見て、何を考えているのかは分からない。
そして、美月は今、登録者数の増加を何より喜んでいる。
凛はゆっくり口を開いた。
『……よく分かった』
莉子が顔を上げる。
『二人とも、話してくれてありがとう』
「……うん」
「……はい」
『私には、まだ知らないことが多いようだ』
凛は少し苦笑した。
『インターネットで何が起きるのか、正直に言えば、想像できていなかった』
「……先生」
『だから、教えてもらえて助かった』
結衣は小さく頷いた。
凛は莉子へ向き直った。
『莉子』
「……ん?」
『今朝の言い方については、美月に謝るべきだ』
「……うん」
『だが、お前が美月を心配している気持ちまで、間違っているとは思わない』
「…………」
『心配しているなら、その心配が相手に届くように話さなければならないな』
莉子は少し俯いた。
「……分かってる」
『……ああ』
「……朝のは、ちょっと言いすぎたと思ってる」
莉子は小さく息を吐いた。
「でも、言いたかったことまで間違ってたとは思わない」
『それでいい』
凛は頷いた。
『ならば、次は伝え方を考えよう』
「……うん」
結衣が莉子へ目を向けた。
「……橘さん」
「……ん?」
「私も、心配していることは同じです」
「…………」
「ただ、今朝はちょっとびっくりしました」
「……だよね」
莉子は苦笑した。
「自分でも、何であんな言い方したんだろって思う」
結衣も小さく笑った。
凛は二人を見た。
『美月本人の話も、聞かなければならないな』
「……先生が?」
『ああ』
凛は頷いた。
『お前たちが心配していることは分かった。だが、美月が何を考えているのかは、まだ聞けていない』
「……うん」
『それに、学校として確認しておくべきこともあるだろう』
凛は少し考えた。
『私も、ほかの先生方に相談してみる』
莉子は頷いた。
「……お願い」
結衣も静かに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
◇
話し合いが終わり、莉子と結衣は廊下へ出た。
夕方の校舎は、昼間よりずっと静かだった。
二人は少し距離を空けて歩いた。
階段へ差しかかったところで、結衣が口を開く。
「……橘さん」
「……ん?」
「さっき、呼んでくれてありがとう」
莉子は少しだけ驚いた。
「……別に」
肩をすくめる。
「水瀬なら分かると思っただけだし」
「…………」
結衣は小さく頷いた。
「……うん」
それから少し歩いたところで、莉子が言った。
「……やっぱ、説明うまいね」
「……え?」
「さっきの。あたし、全然まとまんなかったから」
結衣は少しだけ笑った。
「……橘さんの話を聞いて、整理しただけだよ」
「……そっか」
莉子も小さく笑った。
階段を下りる。
昇降口へ向かう途中、結衣が足を止めた。
「……じゃあ、私、こっちだから」
「あ、うん」
「……またね」
「……また」
二人は別々の方向へ歩き出した。
◇
帰りの電車。
莉子は座席に腰掛け、スマートフォンを取り出した。
美月とのLINEを開く。
昨夜のやり取りが残っている。
《ちょっと気になることあったから、明日話そ》
《うん! わかった!》
「…………」
莉子は返信欄を開いた。
《今日の朝はごめん》
そこまで打つ。
少し考えて、続きを入力した。
《でもあたしは美月のこと心配で》
指が止まった。
「……でも、って何だよ」
莉子は小さく呟いた。
そのまま送れば、また言い訳みたいになってしまう。
今朝、美月が怒った顔を思い出す。
――私だって、ずっと頑張ってきたんだよ!?
それは、分かっている。
美月が頑張ってきたことも。
配信を大事にしていることも。
だからこそ、心配だった。
「……あー、もう」
莉子は入力した文章を消した。
窓の外には、夕方の街が流れている。
もう一度、返信欄を開いた。
《美月、》
そこで止まる。
何を謝って、何を伝えたいのか。
今度は、ちゃんと自分の言葉で話したかった。
莉子はスマートフォンの画面を消し、鞄へしまった。
電車が次の駅へ近づいていく。
その窓に映った自分の顔を、莉子はしばらく見つめていた。




